吉永正人の死

http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20060912-88777.html

 競馬を愛した詩人寺山修司は「当代随一の名騎手」と評し、最もひいきにしていた。「はるか群衆を離れて、という映画のタイトルを思わせる、ひどく孤独なレース運び。だが、吉永は直線でこの遅れを一気に取り戻し追い込んでくる」(『馬敗れて草原あり』より)。極端な騎乗法で批判も浴びた寡黙な男を常に理解し、擁護した。そしてミスターシービー皐月賞制覇を見届けた後、ダービー勝利を知らずに83年5月4日、47歳で死去。その寺山に、天国でようやく、3冠の報告をするのだろう。

 吉永正人といえば寺山修司。その寺山が吉永について語ったものを読みたくなって職場の机の周りを探したが、残念なことに出てこない。それでも、競馬好きのスポーツ紙は用意している。こんな泣かせる文章をちゃーんと用意しているのだ。
 吉永が出てくるより少しまえの、虫明亜呂無との対談本(id:goldhead:20060628#p1)は出てきた。そこで寺山は騎手についてこう語っている。「ぼくなんか、騎手を技術で見るよりも、ドラマで見るようなところがある」。
 ドラマとして見られるような騎手。今の騎手ではちょっとぴんと来ない。‘闘将’加賀武見、‘剛腕’郷原洋行、‘ターフの魔術師’武邦彦、そしてのこの吉永のような、そんな騎手はあまり思いうかばない。
 全体の騎乗レベルもあがり、レースのスタイルも変化した。社会も変わり、泥臭い土壌を持った人間の数も減った。そんな中で、騎手が独特の個性を持つのは難しいのかもしれない。
 それでも、たとえば俺が競馬を始めたころはまだまだ現役だった南井克巳や川内洋、小島太田原成貴大崎昭一……は、それぞれスタイルは違えども、古い時代の空気が感じられたように思う。
 先日のストーミーカフェも、正人師への励みとして用意された騎乗だったのだろうか。吉永護、うそでもいいから孤独の追い込みを試してみてくれないか。新しい道が開けるかもしれない。
 しかし、俺はうんざりするほど懐古主義的だ。いや、自分が生まれる前のことに抱くあこがれなのだから、それよりも遡る。でも、昔があって今がある。どう思おうがかまわないだろう。名騎手、吉永正人に合掌。