『対談 競馬論』寺山修司 虫明亜呂無

goldhead2006-06-28

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 競馬をはじめてしばらくたち、寺山修司の本を手に取るようになったころのことだ。父から、「競馬なら虫明亜呂無を読め」とすすめられたのを覚えている。俺はその不思議な名前を気にとめはしたが、とめただけになった。寺山の本に比べると、あまりに手に入りにくかった。そのころはネット通販などという便利なものはなかったのだ。
 そういえば、父は競馬を知らない人だった。虫明亜呂無の名前を出したのは、競馬からではないはずだ。俺はようやくこのごろになって『野を駈ける光』(ASIN:4480031626)を読み、この対談を読んだくらいなので、競馬以外の著者の業績は知らない。
 そうだ、その父が、競馬について何度も話すことがあったっけ。騎手の嶋田功(現調教師)を取材したときの話だ。当時の嶋田功オークス三連覇のころ。「牝馬の嶋田」と言われるだけあって優男風だったけれど、取材中に運送屋がやってきて、ばかでかい金庫が運ばれてくるのを見て、「騎手というのは儲かる仕事だ」と思ったという(おぼろげな記憶なので正確性は保証しない)。
 この本は、そんな時代のちょっと前の、シンザン後くらいの対談。寺山の本などいろいろ読んでいると出てくるエピソードや馬名など多く、すんなりと入っていけた。が、やはり一筋縄ではいかず、衒学的といったら言い過ぎかもしれないが、演劇論などに話が飛ぶと少々ついてはいけない。「単勝の思想」は馬と馬とのドラマで感情的なもの、「連複」または「連単」の思想は馬と馬とのドラマをこえて、馬と神のドラマを持っている、などと言われると、へぇと唸るしかない。
 とはいえ、もちろんそればかりなはずもなく、相変わらず「トイレでウンを……」などと言っているので安心だ(何が?)。思わず笑ってしまったのは、たとえば次のようなところ。

寺山 ……ハマテッソに乗っていつも遅れて行く男、中神騎手が突然ブラジルへ行って亡命したでしょう。
虫明 傑作だね、あれは。おれはもう遅れてやってくるのはゴメンだ、と日本から離れた。
寺山 ことし免許が消されたでしょう。ブラジルのカーニバルかなにか見ているうちに、すうっと自分が遅れて行く、遅れるということが、レースだけの遅れだと思ったら、人生の遅れだということに気がついたんだね。飛行機が飛び立ってから、飛行場でボヤーッと立って、なんか遅れたっ、と思ったんじゃないかな(笑)。

 有名なエピソードだけれど、この飛行場の情景は面白い。そういえば、寺山はぽつんと遅れる騎手が好きだった。今でいえば、こないだいきなり廃業した安田康彦だろうか。今でもいるじゃないか、個性派(いなくなったけど)。
 ところで、中神騎手のその後はどうなったんだろう? ちょっと検索してみたら、なんとブラジルの日系人新聞の記事がヒットした。その名もニッケイ新聞、日系人馬主に関する記事だ。
http://www.nikkeyshimbun.com.br/031112-62colonia.html

 著名人との交流も多い。六七年に、ハマテツソ号(牡五歳)と共に来伯した中神輝一郎騎手との親交も深く。毎年、ブラジルを訪れている畑正憲さん(通称、むつごろうさん)にも、競走馬を購入する際にアドバイスをおくった。

 おお、確かに来伯したはずだ。しかし、親交が深いということは、そのまま続いていたということだろうか。よくわからない。しかし、この記事、この文体、なんとも味わいがある。それと文中「アルゼンチンからの使者モガンボ号が、スタート当初から大逃げをうった」。一瞬、あのモガンボかと思うが、生まれた年があわないのでモガンボ違いだろう。
 なんの話だったか。対談論だった。いろいろのうならされるところあって、どこもかしこも勉強になる。適当に引用してみる。

ぼくは賭博の世界では「悲運であることは悪徳だ」と思っているんです。

 とは、九歳にしてなお走らされる菊花賞馬グレートヨルカについて寺山の発言。俺も最近、キャニオンロマンについて「ちょっと、いくらなんでも悲惨すぎるな」と思ったところだったな。これに対して虫明。

悪徳に打ち克つというのが必勝法の眼目ですね。必勝法は美徳の最たるものです。真・善・美の真をめざしている。だからまた、競馬の美の前にはもろくも打ち敗かされます。

 むむむ、真・善・美、競馬必勝法も美学の世界に突入なのだ。
あとはそうだな、こんな箇所。

虫明 そうなんだ。馬としても困っちゃう。騎手に、どうしましょうかって、聞くわけにいかないものね。そんな騎手の動揺だけが敏感に伝わってきてしまう。それからずっとタケシバオーが前に行って、直線でアサカオーが抜きますね。並んだ時の……これは野平祐二の名言だと思うけれども、中野渡とタケシバオーが、一瞬、横向いて泣いたというんだ。

 この名言を残した野平祐二がこの本の解説を書いていて、それがまた品格のある名文。次は野平祐二の著書を買ってみようと思った次第である。