『ホース・トレーダーズ(アメリカ競馬を変えた男たち)』スティーヴン・クリスト/草野純 訳

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 ブックオフの競馬本コーナーで、血統の本を探していたけれど、数年前のばかり。そこで、ふと目に付いたのがこの本。帯に「三冠は死んだか?」、「アメリカ競馬1973〜1985」とある。そういえば先日、ダーレー・ジャパンの馬主認可が下りたとかいう話があったばかり。アメリカの競馬史を見れば、あるいは今後日本が辿る道が見えてくるかもしれない。日本でもなじみの馬名がたくさん見えるし、なんとなくこのあたりのアメリカ馬にも興味がある。それに、本の状態がよく立派で安かったので買うことに。原著は1986年発行、訳書は1988年発行。

1.スペンドアバックの選択

安馬ながらもケンタッキーダービーを制したスペンドアバック。普通ならプリークネスステークスへ進み、三冠を目指すのが当たり前。が、しかし、この馬はケンタッキーダービー前にガーデン・ステート・パークという競馬場(新進気鋭の経営者が近代的に作り替えたばかり)で重賞二つを勝っており、さらにケンタッキーダービー後に行われるジャージー・ダービーに勝てば、このスペンドアバックの例の場合300万ドルのボーナスが出るという。スペンドアバックにとって、プリークネスはともかく、ベルモントステークスは厳しい条件。さあ、この難題に、大馬主でもない馬主はどう決断する?

「自分の物差しでしか話すことはできませんが、これだけははっきり言えます。十年前なら何も問題はなかったし、選択の余地もなかったはずです。ところが、現にいままでなかった問題が起きているのですから、競馬ははもうまったく新しいゲームに姿を変えてしまったといってもいいのではないでしょうか」

 この馬主の台詞で一章は終わる。歴史と伝統に代わる価値の出現。日本で言えば、秋の菊花賞回避や、皐月をパスしてマイルカップからダービーへ、といったところだろうか。ここでスペンドアバックの話はいったん終わり、最後に出てくる構成。

2.セクレタリアトと名血の逆説

 スペンドアバックから遡ること12年、日本の競馬ファンでも伝説的な存在として知る人も多いだろうセクレタリアート(本書ではセクレタリアトだけど、俺の趣味でこっちの表記)。馬主はクレイボーン・ファームのセス・ハンコック、当時23歳。父親のブル・ハンコックが世を去り、若くして牧場を引き継ぐことになったのだ。しかし、彼は次男で、父の信頼を失い、相続後に牧場を去った年上の長男がいた。

アーサーはクレイボーンで牧場の仕事に精を出すより、レキシントンのナイトクラブで自作のカントリー・ソングを歌う方に熱を入れるような青年だった。

 この青年は後に縁あって、日本に歌いにきたこともあったっけ。歌った曲名は「サンデーサイレンス」だったかと思う。
 で、セクレタリアート、この馬はアメリカ競馬ではじめて、三歳(この本では旧年齢表記だけど、ここでは現代の数え方に直す……つーか、さすが競馬専門の版元だけあって、発行時に旧日本式に訳していたのだな)現役時、四歳未出走段階で巨額のシンジゲートが組まれたのであった。こんな名前も出てくる。

売り出しを開始して何時間もしないうちに、1000マイルも離れたマイアミのハイアリア競馬場の厩舍筋からそのニュースを聞いた競走馬エージェントが問い合わせてきた。エージェントでは顧客の吉田善哉―当時、二歳馬のセリでは目立つバイヤーだった―のために一株欲しいという。交渉成立。

 フハッ、すごいな善哉さん。『血と知と地』引っ張り出してこようかな。まあ、ともかく、セクレタリアートは三歳あたまにはシンジゲート成立。そして、三歳いっぱいでの引退を表明してしまう。

 これだけ若い馬がこれだけ高く売れたのを境に、産業のあり方が大きく変わったといっても過言ではない。しかし、もう一つ忘れてならないのは、早期の引退を義務づけられたことである。この引退宣言はスポーツ精神とまったく関係ない立場から決められたもので、絡んでいたのは金、ただそれだけだったし、そんな決定が出されてもファンの不評を買うだけだった。

 ただ、セクレタリアートはすべてレコードタイムで三冠を勝った上に、秋には古馬一線級を撃破して、最後には芝レースでも圧勝してみせて、もはややることが残っていないというくらいの戦績を残し、ファンを満足させるばかりが、スターホースとして競馬のイメージアップにまで貢献したのであった。
 このあたりの話となると、やはりディープインパクトの件が記憶に新しいだろうか。ディープの件の引退は賛否両論出てきたし、とくに怪我もないのだからもう一年、という選択肢もありえた。しかし、ディープ以前にも、それまでだったら怪我の回復を待ちそうなところ、ささっと引退させてしまう例も多くなってるように思うが、どうだろう。しかし、逆に1.5流〜2流重賞馬の競走寿命は延びる一方。

3.セリ戦争―サングスター対シーク

 シークって誰だと思ったら、シーク・ムハマド(本書ではモハムド)、今話題の殿下であらせられた。八十年代初頭、アメリカのセリで超高額馬を次々に落としていったのは、海外からの二大勢力、一つはイギリスサッカーくじの胴元、ロバート・サングスター。そしてもう一つはドバイから来た三兄弟というわけ。こういった勢力が、ノーザンダンサー産駒を買い漁っていった。

 市場が一変すると、アメリカの生産者は金銭的に満足しながらも、心の底では妄想的な不安をつのらせていった。金に厭目をつけない外国人をはるばるやって来させ、アメリカのゲームで湯水のごとく金を使わせるのは実に愉快なものである。だが、自分たちは市場から追い出され、欲しいと思う一流馬を競ることもできず、実際にはサングスターやシークの欲しがらなかった二歳馬しか買えなくなるほどおちぶれてしまったことに気づくと、アメリカ人は冷たいものを感じはじめた。

 でも、やっぱり巨大な買い手がいなくなったらいなくなったで困る。それでも、そういう危機はいつもあって、それまでも、ある大手馬主が居なくなったら、日本人が出てきて、そんでニアルカス、サングスター、シークと出てきて、ということ。今後はどうなるのだろうね。新しい名前としては、ロシアの新興財閥だとか(プーチンは競馬好きらしい)、中国の富豪だとかが出てくるだろうか。
 日本ではどうだろう。殿下とかガバガバ日本馬買うかな。しかし、もはや自前の大牧場が世界にあるのだから、競走馬は……買うかな。ただ、一番上の金が上がれば、それを買えなくなった人が一つ下のレベル、そのレベルの人はさらに……と、全体的な価格はあがるかな。そんでも、やっぱ問題はありそうだな。

4.黄金がいっぱい―シアトルスルー

 「森の国から来た素朴な田舎者」という夫妻が馬主だったシアトルスルー。そんなストーリーもあって、ファン人気も高まる。が、実はその夫婦の他に、夫が獣医の別の夫婦が権利を持っていたり、さらにはこんなところに目をつけていたりもした。

オーナーたちは自分たちの馬をキャラクターにして使用権の申し込みを受け付け、契約を結ぶ計画を立てていた。そういったことはいままで競馬産業で扱われなかった分野である。

 金に目ざとい競馬界のお歴々のお株を奪うような発想。これで、人形やノンフィクションやTシャツを売りまくった。ファンは「スルー・クルー」と書かれたTシャツを来て応援に来たそうだ。
 Tシャツというと、やっぱりディープインパクトの勝負服のあれなどを思い出すが、こういったキャラビジネスの歴史はもっと昔からあるか。ぬいぐるみとか、いつからだろう? オグリキャップあたりか?
 シアトルスルーは波瀾万丈の競走生活を、最後はファンの支持も取り戻して終え、繁殖生活に。ここで、ほとんど素人馬主だった夫婦は、シンジゲート株をすべて売り払って退場せず、手元に残すことによって、さらにゲームの一線に残ることにする。一頭の馬の稼ぎ(レースの賞金だけでない)で、そういうことになる。

5.アリダー対アファームド

 名勝負数え歌……でもあるのだろうし、次のようなジョークのネタになりそうな関係でもあるのだろうか。もしも、血統と競走成績にはっきりした相関関係があるとすれば……

アファームドの産駒が1000ドル売り上げるたびに、アリダー産駒は999ドルで追いかけるに違いない。

 10戦対決してアファームド7勝。合計で16,000mほど走って、着差の合計は約4.5mにも満たないというのだから、ハイセイコータケホープや、TTGどころじゃない。で、ファン人気はアリダーだったというのも面白い。タケホープが勝ち、サンデーサイレンスがイージーゴーアーに勝ったとか、そういうのに似てるのかしらん。
 アリダーの生産者は名門カルメットファーム。が、マルセル・ブサックよろしく、自家生産種牡馬にこだわって没落していた。牧場を経営する老夫婦は車椅子でしか移動できない。そこが人情に訴えたらしい。その後、逆にアファームドの馬主の方が、アファームドの血にこだわって下降したのは皮肉、と。
 カルメットはその後、あまり競馬経営に向いていない感じの娘壻だか後継ぎになって、露骨な金儲けをはじめたとかで、かなり辛辣に書かれている。では、その後の後はどうなったのだろう?http://en.wikipedia.org/wiki/Calumet_Farm
 むむむ、やっぱりなんかいいことにはなってないみたいね。でも、別の人たちが引き受けたのかな。そこに出てくるポーランド人の富豪、Henryk de Kwiatkowski。本書にもたくさん名前出てきたな。コンキスタドールシエロダンチヒの馬主。クィアトコウスキと読むらしい。勘弁してくれ。ちなみに、カルメットファームの生産馬は今日本で二頭走ってるっぽい(http://db.netkeiba.com/breeder/900815/)。

6.魔術師たち

 この章で取り上げられる魔術師とは調教師のこと。

十年続いた真のチャンピオンの時代のあとに幕を開けたのは、いわばひらめきの時代である。これからは確認された資質より予想された可能性に、かつてない大金が賭けられていくことになる。

 真の〜とは、セクレタリアート、シアトルスルー、アリダー、アファームドスペクタキュラービッドなど、競走能力を余すところなく発揮していった時代。で、その後の時代に腕を発揮したのはウッディ・スティーヴンズ調教師や‘スタリオンメーカー’D・W・ルーカス調教師。
 しかし、ここで紹介されてるスティーヴンズ師のコンキスタドールシエロはすげえね。三歳春時に古馬相手のマイルG1、メトロポリタンハンデを制した五日後に、2,400mのベルモントステークスをも制霸したのだ。でもって、この二人の調教師のように、二歳戦からきっちり仕上げて結果を出し、種牡馬入りをぴたっと目指すところにいい馬がわんさか集まり……ということ。あと、「どこで稼げるか?」を第一に考え、西海岸、東海岸、出るところを選ばず、また、早熟の馬は他の馬の成長する前にばんばん二歳重賞を使ってしまう、なんてあたり、日本でもいろいろな調教師が思い浮かぶ。それと、ルーカス師はスタッフの規律を重んじ、また、厩舍まわりは「造園技師も目を見張るほど生け垣の手入れが行き届き、芝刈りの專門職人が十分に配置されている」らしく、このあたり川島軍団なども思わせる。

7.ブリーダーズカップの誕生

 海外の買い手の参入などもあって、生産界のビジネスはがらりと一変、巨大化した。が、肝心の競馬人気についてはかげりを見せる。馬単三連単を導入しても、売り上げは改善しない。カジノやくじがシェアにシェアを奪われる。テレビ中継を拒んだことで、競馬は日陰のスポーツに成り下がった。……なんか、テレビを除いては、日本と一緒のように思える。敵はカジノじゃなくてパチンコだ。しかし、テレビを押さえたのはよかったな、日本競馬。緑のターフに映えるカラフルな勝負服、そして何より走る芸術品であるサラブレッド。カラーテレビとともに人気アップという話はあったっけな。アメリカでは、競馬場に人が来なくなる、ノミ行為を助長するという理由で、競馬界が拒んだそうだ。電話投票システムみたいなのも充実していなかったか。

 もし一般市民が毎日競馬場に足を運んで馬券を買おうとしなくなったら、種牡馬シンジゲートも、2歳馬(引用者注:旧年齢表記)価格の高騰も、生産産業もあったものではない。競馬場の運営資金や、ステークス以外の一般競走で馬主に支払う賞金は、馬券売り上げのうち競馬場が得る収益でまかなわれている。競馬場と賞金がなければ、どんな価格や血統であろうと、競走馬そのものが必要なくなってしまうだろう。

 というわけで、生産者側も危機感を抱く。やはりヨーロッパやアラブの貴族型とは違い、あるいはそれ以前のアメリカ競馬とも違い、馬券売ってナンボの世界になっているというわけ。それで、対策として打ち出したのがブリーダーズカップ。大手企業のスポンサーをつけ、テレビ中継も入れる。そういうところから出てきたのがこのレースだったのだ。日本のJBCもある程度似たような発想だろうか。でも、大井の海外現役馬導入に反対して云々みたいなのが見えると、ファンのためのレースなんだかわからんから、違うだろか。

8.アメリカ競馬の行方は

 ここで冒頭のスペンドアバックに戻る。結局スペンドアバック陣営は、三冠路線のプリークネスをやめ、ジャージー・ダービーを選択し、300万ドルのボーナスを得る。そのジャージー・ダービーを創設したのは、競馬界に新しく入ってきた人物。競馬をイメージチェンジしようと、買い取った競馬場をぴかぴかにし、今まで競馬場に来たことのないファンを取り込もうとする。その結果、このスペンドアバックのレースは、単勝1.05倍。普通の競馬ファンであればここまでオッズが下がらず、スターホースの馬券を買いに来た素人がいかに多いことかの証左という。このあたりは、ディープインパクトなりフィールオーライなりの減少の、小さいあたりという気もする。
 それと最後に、フュセロマイドという利尿剤について触れられていた。ラシックスのことだろうか(……検索したら、ラシックスの一般名として‘フロセミド’とあったので、これだろう)、鼻出血防止剤のこと。スペンドアバックも使用しており、使用禁止の地区で負ければアンチは「やっぱり薬が無いとダメだ!」と言う。このあたりも、ケースはかなり違うけれど、ディープインパクトの騒動なども思い浮かぶ。あと、これのせいで、「ドーピングまでして馬を酷使する動物虐待スポーツ」のレッテルを貼られ、競馬のマイナスになっているとか。
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 まあ、とまあ、いろいろあれだけれども、もう日本で起こったこともあれば、起こりそうなこともありで、差違はあれども同じ競馬やってる以上、いろいろ参考にしていく面があるのかもしれない。一方で、巨大な馬券売り上げに関しては、アメリカが日本を参考にしたとかいう話もあって、まあお互い頑張っていきましょう。
追記:今日はセレクトセールだったんだな。
http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=21613&category=D
アドマイヤムーンの半弟が2億5000万円にエアグルーヴの仔が2億4500万円などなど。これらの馬を捉えるにはPOGなどがもってこいの遊びかもしれない。しかし、もう少し長く、馬主や生産者の栄光と没落を見ていくレンジでの遊び……は遊びにするには長すぎるかもしれない。一方で刹那のレースがあり、長く見れば血の興廃。競馬は奥が深い。