『新世紀エヴァンゲリオン Vol.09 DEATH(true)2』&『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』

http://www.dmm.com/rental/-/detail/=/cid=n_653kibr10
http://www.dmm.com/rental/-/detail/=/cid=n_653kibr9
 ……正直、自分がどのバージョンを観たのかよく理解できない。DMMでVol.9とVol.10と番号が振られていた、旧劇場版……らしいもの。Vol.9の方は、intermissionが最後に入ってて、それで終わった。量産型ぐーるぐるのシーンはなかった。まあ、でも、たぶん、目的のものは観られたからええことよ。
 さて、旧劇場版。ヱヴァンゲリヲン新劇場版を観てから、エヴァ脳になっている私。本当は旧テレビシリーズを見返したいところだが、そんな金と暇もなく。
 こないだバリバリの新作を観たばかりだから、あまりわからぬとはいえ、作画とかいうのに古さを感じるかと思いきや、そんなことはなく。映画版なので、テレビからリニューアルされたものかもしれないが、そんなに感じなかった。あと、初号機の蛍光色、前も結構光ってたんだな、とか。
 それにしてもまあ、ともかく、『エヴァンゲリオンの夢』を読んでいたので、昔々劇場で観たときに比べたら、いろいろなことがわかった(ような気がした)。ただ、「さっぱりわからんが、異常なものに巻き込まれた!」という感触、それについては比べるまでもなく、また比べられるものでもない。
 でも、『エヴァンゲリオンの夢』の、かゆいところに届いていないところもなんとなくはっきりした。あの本は、最初に放映されたテレビ版を底本(底アニメ?)として、コツコツと解釈をすすめた物。EOEが終わったあとの段階での本であって、それも考察の対象になっているが、さすがにテレビ版と比べるとボリュームが少ない。「映画版のラストは、最初から想定されていた内容だったと、放送版の内容から推測できる」という、一つの整合性を取ることが中心になっている(ついでにいえば、テレビのラストの方針が決まった時期についても考察していた。突発的ではなかったと)。で、ちょっと、劇場版の方がおざなりな感は否めないかな、と。やっぱりアニメは、作り手(監督)の意図通りにできるものかどうかといえば、そうでない事情も多そうで、後から出たものの方がよりかっちりしているのは確かだろう。そんでもまあ、この本はいい。
 それでもって、えーと、やっぱりこりゃあえらい作品だったと。なんか昔劇場で観たときの印象から、やたら実写パートを大きくとらえていたけれど、そんなにでもなかったな、とか。それで、やっぱり弐号機の大立ち回りやら、何やらから、人対人の戦いやら、全体の流れやら、見どころ十分、十二分。何回も観た。満腹。
 で、ちょっと気になったところは……、リリスの性器のところって、白塗り(いや、本体も白いが)になってるよな、ってところ。あれは女性器が隠れているということでいいんだろうか? でかい綾波の額にパックリ開いたクリちゃん描写も細かい眼球付きヴァギナは無修正だったけど(歯がついてりゃヴァギナ・デンタータ、だっけ? 眼球付きってのはあったかな。バタイユ眼球譚のはどんなんだっけ?)。
 あと、ペンペン。ペンペンが気になった。あれ、ペンギン、何なんだろう? 『エヴァ夢』で、「なぜラストの補完シーンに人類でないのに紛れ込んでいるのか」という疑問が出てきて、それで気になった。アニメにありがちなマスコット的な存在、で済ませていいんだろうか。映画版でも、シンジ君がアスカに「助けてよ」ってなって、コーヒーこぼしてジュワーってなる(コーヒー煮詰まりすぎ)ところでも、なんかペンペンが覗いててこわかった。まあ、どうも人類を含む、人類を霊長とした生命全体が選択肢の一つ(恐竜と使徒は同列ではない)みたいな感じだから、混じっててもいいんだろうか。そのあたりはわからん。わからんし、なんかちょっと、新劇場版の方のペンペンめ、なんか気になる感じだったので、なんかあったりとか思うのだ。まあ、ちょっとなんかネットで読み物探してみようっと。