しばらくやらないでいるとなぜか上手くなっていることをあらわす言葉はないのだろうか?

 しばらく前に買ったPSP、100円ショップで買ったポーチに入れて放置していた。読書やケータイの麻雀アプリにシェアを奪われていたのだ。しかし、さすがにこんなに放置していいのかと電源ON。電源入らない。放置しすぎて電池切れてしまったみたい(あるいは、最後に使ったときに電池ほとんどなくなっていたのかも)。
 もしかしたら故障ということもあるだろうし、とりあえず充電。充電できたみたい。スイッチオン、『みんなのゴルフ』。動くかなとちょっとプレイ、あれ、なんかスゲーうまくなってる。ショットもパットも自由自在だ。みんなのゴルフを独り占めだ。
 なんだろうね、こういうのは、こういうのってあるよね。こんな話を聞いたことがあった。通ってた中学の数学教師、彼の中学高校時代はバスケ漬けの毎日。大学に入るとともにやめて、就職、就職先学校。それでちょっとバスケ部の顧問を手伝うことになって、数年ぶりにバスケしてみたら、なにもかも上達していたという。シュートやなにかも上手くなっているし、できなかったテクニックもなんかできるようになっていたという。むろん、体力は落ちているが、バスケおもしろいことこのうえないということだった(だから、自分の時間割すっかり忘れて他のクラスの体育のバスケにうつつを抜かしていたことがあったっけ)。
 で、そんな話、信じられる? 俺は信じた。時間のスパンは違うが、自分自身の小学校のころの話。習字の授業だ。俺は習字が苦手だった。とくに、ある日の課題であった「家」という漢字がどうしてもうまくかけなかった。苦手と下手を自覚しながら完璧主義者という悪いタイプの俺、何枚も紙を無駄にして、半ば泣きべそかきながら休み時間ちょっと入ったくらいにようやく提出した最後の一人、できあがりはひどく平体(ひらたい/へいたい……文字を縦に潰すこと)かけたような、客観的に見ても最悪のできばえ。
 たぶんその年度の最後の方、「市のコンクールに出すので、習った字の中で得意なものを選んで書きましょう」というお題。俺、そのとき不思議なことに、「家」の字を選ぶしかないと思った。思って、書いてみたら、半紙いっぱいに見事な「家」があらわれた。自画自賛のできばえ。そして、自画自賛どころか客観的にもよかったらしく、なんか学校代表になって鎌倉市の市役所だか公民館だかに飾られた。一生のうちで俺の字がほめられるのは、おそらくこの一回だけだろう。
 この、ささいだけれども不思議な体験。いまだによくわからない。半べそかきながら「家」書きまくったときには、結局最悪のものしかできなかった。その後毎日研鑽を積んだということもなければ、「得意な字を」というお題が出されるまで、「家」の習字のことなどすっかり忘れていたのだ。
 だから、たとえば引退したスポーツ選手などが、まわりから見たらちょっと不可解な現役復帰をするような話を見ると、「ああいうことだな」と思うのである。中には若くして引退して、若くして復帰して再活躍するような例もあるけれど、その場合、肉体もついてきている、そういうことじゃねえかって思うのだ。あと、中年になってなにか学ぶ意欲が湧いてきて、むつかしい資格など取ってしまうのも、勉強についてのそれがピタッとはまったんじゃないかとか。
 ただ、どうもこのはたらき、人に話せば「あるある」と言われること、なんと呼べばいいのかわからない。あるいは、あえて寝かせておく訓練法、練習法、上達法などというものもありえるんじゃないかと思えるのだが、さてわからない。とりあえず、『みんなのゴルフ』はおもしろい。