久々にクロスバイクにまたがった。とりあえず南下。134まで出て、そのまま大磯まで行って夕日を見る計画だった。が、16号→環状4号→朝比奈越えというルートで力を使い果たし、十二所(じゅうにそ)のあたりをうろついたのち、海沿いの写真など撮りながら腰越・津方面へ。帰りは疲労もあって、手広経由で鎌倉山をスルーするなどした。土地鑑のない人間に説明する気はない。
十二所神社は思いのほか小さかった。
稲村ヶ崎。人気のない側の穴場みたいなところにいたら、サーファーのお兄さんが一人海に漕ぎ出して、ついに見えないところまで行ってしまった。あれは波に乗る以外に、移動も楽しいのだろうか。楽しそうだ。
天気晴朗なれども波高し。腰越海岸あたりがにぎやかになっていて面食らう。江ノ島が藤沢市側にあることに遠慮してか、少し控えめだったような気がしていたのだ、鎌倉にいたころは。
以下、これらの話のつづきになる。べつに知らなくてもかまわない。そもそもここには俺しか知らなくていいことしか書いていない。
- 感傷と追憶の湘南モノレール紀行 - 関内関外日記(跡地)
- 感傷と追憶の腰越・津・西鎌倉紀行〜その1〜 - 関内関外日記(跡地)
- 感傷と追憶の腰越・津・西鎌倉紀行〜その2〜 - 関内関外日記(跡地)
- 感傷と追憶の昭和史〜リアル大正野球娘に聞く〜 - 関内関外日記(跡地)
初恋のぐるぐる坂
近所に「ぐるぐる坂」というのがあった。ぐるぐるしているのだ、坂が。高速道路のインターチェンジなどを思い浮かべていただければよい。そのようなものがあったのだ。世間的にいえば、「のの字橋」というらしい。こちらのサイトが非常に参考になった。
みなさんは、「のの字橋」をご存知でしょうか?あまりにも傾斜がきつくて、直線の坂道だと転がり落ちてしまう。でも階段ではなくて車を通したい。このような時、ループ状に登坂する道路を造ります。 地図を見ると、 螺旋状の道が「の」の字に見えることから「のの字橋」で、あくまでも坂道を登るのが目的。 いくらループ状に登る道でも、 線路や道路や川を跨ぐ為の「弧線橋」は「のの字橋」の範疇ではありません。
http://homepage2.nifty.com/mamis/walking/torey.html
そうか、「東レ」か。今日、片瀬山あたりの緊急避難場所が東レの基礎研究所であることに気づき、この社宅と相まって東レが気になっていたのだ。なぜと言えば、化学博士であった祖父が勤めていたのは東レだったからだ。このあたりの山は東レが切り開き、祖父は社宅でなく一軒家を建てた。そういうことか? しかし、祖父はどこに通っていたんだ?
話を「ぐるぐる坂」に戻す。ぐるぐる坂は子供の目にも特徴的だった。とても気になるものだった。が、同時に怖さも感じていた。あの坂の上はどこに通じているのか? 立ち入ってよいのか? と。なにか立入禁止のような意識があった。
学校の「遊んではいけない場所」に指定されていたように思う。今考えれば、おそらく特定の会社の社宅であること(もっとも、道路は私有地ではないようだ)、あるいは坂で自転車遊びなどしていたら危険ということもあったのだろうか。まあ、元の理由はともかく、幼い自分の地図の中では、ものすごく意識されると同時に、何らかのタブーの場所でもあったのだった。
しかし、それと同時に、またひとつ別の記憶がある。ぐるぐる坂のあたりで、俺ははじめて見たのだ、男女のキスを。男女といっても、中学生、すぐ近くの腰越中学の生徒同士だった。(ふたりでひとつの?)ブランコに座り、抱き合い、そしてキスしたのだ。俺はそのとき何年生だった? まだ高学年ではなかった。多く見積もって三年生。
して、小学三年生の俺はどこから見ていたのか? いや、俺たち、だ。ひとりではなかった。なにか、植え込みの後ろから覗き込んでいたように思う。カップルの顔をはっきり見た覚えはない。みな、しばらくのあいだ。無言だった。固唾を飲んで、というやつだ。だが、最後には、みなではやし立てるような言葉、あるいは単なる「うわぁー!」などという叫び声をみんなで発して、そして走って逃げた。ものすごく走った。自分たちよりずっと足の速いであろう中学生が追いかけてきたらどうしよう? そのままどちらに走ったか。おそらく、坂は登るまい、信州屋の方まで逃げたんじゃないのか。
そのあと、我々の間で、先ほど見た光景についてなにか話したりしただろうか。あまり話した記憶はない。ただ、みなそれぞれに、頭の中はたいへんなことになっていたと思う。少なくとも俺はそうだった。自分の好きな子のことを考え、中学生になった自分を考え、あの光景のことを考えた。それはずっとずっと先のことのようにも思えたし、それでもやがてやってくることだろうと思った。
……まあ、まったくあてが外れて、俺に甘酸っぱい青春の思い出などなかった、のだが。まったく、当たり前に訪れるであろう恋愛も、結婚もなかった。なにか妙なことにはなった。ただ、小学三年生の俺にそれを告げるようなことはするまい。告げようとしても術はないのだけれど。
……その、公園を探そうと思った。が、社宅のあたりをうろうろしても、まったく無いのだ。さすがに四半世紀前の話、公園もなくなったのか? しかし、雰囲気というか空気から感じるに、そんなに大きな再造成があったようにも思えない。とはいえ、もうしかたないから帰ろうと、速度を坂任せに下ろうとすると……、あった!
なんと、坂の途中、ぐるぐるの外側にあった。ろくに入り口もない! これでは気付けない。
ブランコも、植え込みもある。ここだ!
植え込みの裏側を見てみると、下の道路へつながる獣道ならぬ子供道が。そうだ、あってないような入り口、歩くのが怖いぐるぐる坂。斜面をショートカットして公園に登ってたんだ。たぶん、ここ最近のガキもそうなんだ。
ある夏の日(夏ということにしておいてくれ)、おまえは友だちと公園で遊ぼうと斜面を登る。公園に先客の気配がする。ドロケイをしているわけでも、キャッチボールをしているわけでもなく……。
そしてお前は見た!
……まったく、だからなんだ。なんだっていうんだ。でも、しょうがないじゃないか、俺の記憶だし、記憶は確認されたのだ。もう、あのうぶな中学生のカップル、おそらくは初恋の真っ只中だった彼らも今はもういない。俺も、俺と一緒に走って逃げたやつらもいなくなった。ただ、残るのは追憶と感傷、そればかり。そればかり残して、みなモノレールに乗ってどこかに行ってしまったのだ。戻らない日々!