幼稚園のころか、小学校に入ってからだったか。ともかくそのくらいのころ、弟とよくチャンバラごっこをして遊んでいた。武器にするのは多種多様の剣であって、祖母が厚紙で手作りした「かみのけん」や、ヒーローものの玩具、木の棒、いろいろだった。そんな中で、俺の一番のお気に入りは、「本物の剣」だった。
「本物の剣」。それは、祖父が戦時中に持っていたものだった。剣といっても日本刀のように長くはなかった。握りの部分は白くごつごつして手に痛く、こどもが振り回すには少し重かった。鞘に小さなポッチがついていて、それを押すとロックが外れて刀身を抜くことができる。あの小さなポッチに力を入れてグッと握り込む、あの感覚というのはよく覚えている。俺は本当の刀を振り回して、チャンバラをしていた。
結局、母に叱られて、取り上げられた。ただ、最初に俺に軍刀を渡した大人がいるはずである。元海軍大尉といっても化学者として研究をしていただけで、パーキンソンを患った晩年、ただ静かに暮らしていた祖父が、わざわざ孫にそんなものを渡すことはない。断言してもいい。あの人は軍人とかチャンバラごっことは程遠い人間だ。
となると、犯人は父か祖母である。父のような気もするが、父と祖父は心理的に疎遠なところもあって、そのあたりの関係性も今になって思えるとこもあるが、ともかく祖父が父に軍刀を渡していたこともないだろうし、わざわざ父が祖父の私物から軍刀を俺に与えることもないだろう。ただ、父ならば軍刀を振り回す俺に、たいして気を払わない。
して、おそらく今俺が思うに、俺と弟に「これはおじいちゃまが戦争のころ使っていた刀よ」と見せびらかしたのは、祖母であると思う。まったく、ろくでもない祖母である。
……というようなことをふと思い出した。思い出して、いろいろな疑問もある。あんなロックシステムを搭載した軍刀があるのか? などと。ともかく、俺は追憶をググってみた。最近は追憶もググるのだ。
士官短剣は、士官個人の魂の象徴に止まらず、社会的地位・権威・男らしさの象徴そのものであった。白い夏用詰襟の二種軍装に短剣を佩いた海軍士官の姿は、殆どの女性の心を魅了して止まなかった。海軍士官にとって、短剣は誇りと栄誉の象徴であった。
はい、ありました。まさにこれ。いや、ともかくこれの仲間であることは間違いない。あのロックは「駐爪ボタン」というらしい。なんとまあ。おじいちゃまもモテたのかね? 背は高かったが。
と、俺は俺の父の父からほとんど戦争のころの話など聞いたことがない。そもそも、同じ家に住みながら、ほとんど話した覚えもない。もっぱら、おしゃべりな祖母経由でいろいろのことを聞かされただけだった。いろいろ話を聞いたほうがよかったのだろうか。とはいえ、彼もあまり話したがるタイプでもないように思える。もう終わってしまったことなので、いまさらどうこうも言えないが。
さて、あの短剣はどこに行ったのだろう? 取り上げられたのち、どうなったか。たまに親の部屋などを漁って探したりしたが、ついぞ見かけることはなかった。母が片づけ苦手な人とはいえ、うっかり捨ててしまうということはないだろう。とはいえ、売ったりできるものでもないだろう。まったく検討がつかない。実家がなくなるときに、否応なしにすべてのものが引っ張り出され、仕分けされたわけだが、そのときに出てきたということもなかった。もし出てきたなら、俺は所有権を主張しただろう。俺が手に入れたのは、鹿の頭だけである。今さらイミテーションを買ったところで、追憶も、戻るまい。
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