あの家族写真のこと

 正月を少しすぎたくらいの適当な時期に、庭で家族写真を撮る習慣があった。鎌倉に家があったころの話だ。父が三脚にご自慢のミノルタをセットし、タイマーを仕掛け、一家の写真を撮る、それだけのことである。
 それだけのことを、拒否したことがあった。中学生になった俺が拒否したのだ。なぜ拒否したのか明確な理由は覚えていない。ただ、寝っ転がって「めんどくさいから俺はいい」というようなことを言った。ほかの家族は用意をはじめていたかと思う。俺は、漫画を読んでいたのか、ゲームをしていたのか。
 その言葉に、態度に、父が切れた。「じいさんは今年死ぬんだぞ!」と怒鳴ったのだ。パーキンソン病の祖父は、病気と年齢相応に弱っていたが、とくに体調を崩していたわけでもなかった。しかし、俺はなにかその予感に飲み込まれ、「やっぱり撮ろう」と申し出た。が、すねてしまった父は、もう写真を撮ることはなかった。
 その言葉通り祖父はその年に死んだ。二度と家族写真が撮られることはなかった。ただ、そんな話である。

学生の夏の帰省したおり、まったくすることがなくて、親のPENTAXではいはいをはじめたくらいの甥っ子を撮りまくりながら、日がな一日一緒にいた祖母を撮りはしなかった。やがて寝たきりとなり、入院すると、怖くて病院にいけなかった。私はなにを恐れていたのか。

告白について - 北小路ゲバ子の恋