劇場版『チェンソーマン レゼ篇』 サメと爆発とジェーン・ドゥ

 

劇場版『チェンソーマン レゼ篇』を観に行った。おれは原作既読者であり、この映画を含むネタバレを以下に含む。

 

 

ちなみに、『レゼ篇』を前に、なにやら評判のよかった総集編を見た。原作は読み返さなかった。そうだ、おれは『チェンソーマン』第一部の紙のコミックスを持っている。そのくらい好きな漫画である。テレビアニメ版も悪くはないと思った。むしろ、ネットで吹き荒れる悪評の多さに、「そこまでか?」と思ったくらいだ。オープニングとかエンディングとかよかったじゃないか。

 

まあいい、『レゼ篇』だ。おれが『レゼ篇』の映像化に求めるものは、台風の中でぶち上がるサメと爆発のテンションだった。それに尽きると言っていい。どうも、テレビ版の不評はテンションの低さだったようだが、映画は良さそうだという話だった。あれが動くならいいに違いない。おれはそう思った。

 

シアターはIMAXにした。この選択は間違いではなかった。おれはIMAX映画が始まる前の、「これはIMAXやで」という映像と音がわりと好きで、とくにジェット機がこちらに向かってくるところが好きだ。ただ、映画本編であそこまで腹に来る音というのは、あまり聴いた覚えがない。作品に没頭してしまうと、そこまで気にならないということかもしれない。まあとにかくこの映画、大画面、大音量がいい。

 

「いい」と書いてしまったので先に書くが、おれは『レゼ篇』をおおいに気に入った。かなり最高じゃないかと思った。さすがに『チェンソーマン』世界の前提知識は必要だろうが、一本の映画としてしっかりまとまっている感じがあった。あまり比べるものではないだろうが、この間の『鬼滅の刃』に比べると、「長いシリーズのなかの一部分を見させられているのだな」という印象は少ない。

 

一つには、レゼの登場から最後までがすばらしい。上田麗奈の声は想像とちょっと違ったが、前半とボムになってからとでたいへんにイメージを変えていて、そのあたりもよい。とにかく、レゼが魅力的に描かれていて、そりゃあ好きになっちまうだろうというキャラになっている。大画面でレゼを見られるのも魅力だ。

 

しかし、そのレゼと夜の学校で……までが、ずいぶん短いなとは思った。こんなペースだったっけ? と、思った。思ったが、それはもう、バトルアクションシーンにすげえ時間を割いている、力を割いているからだろうとは思う。爆発、爆発、サメ、爆発。やりすぎかというくらい爆発しまくって、その音もいい。迫力もある。少し長いがテンポもいい。

 

いや、しかし、ビーム(サメ)の活躍の多さには驚いた。花江夏樹を配しただけのことはある。だいたい、あんなふうに走っていたっけ。というか、サメは走るのか? いや、サメは走るらしい。

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このサメの姿のもう一つの重要な特徴は、脚が生えていることである。「昔、サメはバッファローと同様、陸の生物だった」(「ハウス・シャーク」より引用)というのは、いまや現代サメ映画のデファクト・スタンダードであり、藤本タツキもそのことを確実に認識しているはずだ。伊藤潤二の「ギョ」のような例や、人間に近い形をしたサメ人間を除けば、サメに脚が生え始めたのは「シャークトパス」のころからである。サメの悪魔の脚部は節足動物を思わせる形状のため、「Sharkarantula(原題)」(嘘予告しか存在しないが)や「KANIZAME シャークラブ」に近いと言えるかもしれない。

フハッ、現代サメ映画のデファクト・スタンダードだったとは知らなかった。ともかく、「ビームは活躍するのかな?」と疑問に思って、映画を見るかどうか迷っている人がいるならば、その心配は無用である。すぐに行ったほうがいい。

 

おれは映画の感想など苦手なので、いきなり話はオープニングに戻る。箇条書きにすればよかった。まあいい、米津玄師の「IRIS OUT」と、その使い方もかっこよかった。音楽もよかった。劇中歌のマキシマムザホルモンもよかったし、エンディングの米津玄師と宇多田ヒカルの「JANE DOE」もよかった。


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と、ここで皆さん一つ持って帰ってください。

劇中でもわりとしっかり歌われていたレゼのロシア語の歌(歌唱指導にロシア人声優のジェーニャさんの名前があった)。この部分、「ジェーンと私デートの日、準備よし」といった内容だという。むろん、このコマはコミックスにあった部分だろう(と、確認できないのは、おれの『チェンソーマン』単行本は会社に置いてあるからだ)。

 

ジェーン・ドゥとは女性の身元不明人を指す仮の名前だ。男性ならジョン・ドゥ。これまた手元にコミックスがないからわからないが、直接的にジェーン・ドゥというような表現はなかったように思う。むろん、ソ連で子供時代から研究所のようなところでモルモットにされた、親がない子なのかなんなのか、身元不明であるところのレゼを指したものに違いない。そのジェーンが原作のロシア語の歌から仕込まれていたというか、そこから発展させて米津玄師が作詞したというか、すげえなあと思った次第。

 

まあ、そんな細けえことはどうでもいいか。大画面でサメと爆発を堪能してほしい。もし、あなたがテレビアニメ版に不満だったり、現在進行中の原作第二部に物足りなさを感じていたりしても、この『レゼ篇』は裏切らない。そんなに言い切っていいのかわからんが、おれは満足した。それだけである。

 

以上。