ふりむくな、うしろには夢がない ― さよならエヴァンゲリオン 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』感想

ふりむくと

一人のマニアが立っている

かれはエヴァンゲリオンの新作が出るたび

うれしくて

三度も劇場に通った

 

ふりむくと

一人の失業者が立っている

かれは綾波レイのフィギュアを売って

苦しい月末の飢えをしのいだ

 

ふりむくと

一人の人妻が立っている

彼女は夫にかくれて

渚カヲルのキーホルダーを買ったことが

たった一度の不貞なのだった

 

もうだれもふりむくものはいないだろう

うしろには暗い劇場があるだけで

そこにエヴァンゲリオン

もうないのだから

 

ふりむくな

ふりむくな

うしろには夢がない

エヴァンゲリオンが終わっても

すべてのアニメが終わるわけじゃない

人生という名のモニターには

次の放送を待ち構えている数千作もの

名もないアニメの群れが

朝焼けの中で追い込みをかけられている 地響きが聞こえる

 

思い切ることにしよう

エヴァンゲリオンは ただ数体のフィギュアにすぎなかった

エヴァンゲリオンは 風変わりなアニメシリーズにすぎなかった

エヴァンゲリオンは 時流に乗った一つのエンターテインメントにすぎなかった

エヴァンゲリオンは むなしかったある日々の

代償にすぎなかったのだと

 

だが 忘れようとしても

目を閉じると あの日の仲間たちの論争が見えてくる

耳をふさぐと EOEを見終えたあとの観客たちの声にならない声が

聞こえてくるのだ……

 

……と、いきなり寺山修司の「さらばハイセイコー」で始めてみたのだが、なにを書こうか。注意書きを書こう。

 

※『シン・エヴァンゲリオン劇場』に関係する内容のある記事です。

ネタバレはしないつもりですが、軽くネタバレになる可能性もあり、それはひょっとすると大きなネタバレになっているのかもしれないので注意が必要です。

新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として厚生労働省首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。

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おれがそれに気づいたのは、木曜の深夜、いや、0時を過ぎて30分くらいだったろうか。「月曜日に封切りになる『シン・エヴァンゲリオン』の上映時間を調べてみるか」とiPhoneのアプリ「キネパス」を開いた。封切り日のレイトショーでも見に行こうかと思っていたのだ。

が、木曜の深夜とはいえ日付はすでに金曜日だった。そして、『シン・エヴァンゲリオン』の座席は、朝の7時から、ほとんど埋まっていた。レイトショーはなかった。緊急事態宣言の影響かもしれないとは、あとになって思った。

すこし、迷った。年度末の忙しい時期に「アニメ映画見に行くので」と早退できるものだろうか。あるいは、朝7時の回に行って、遅刻できるだろうか。いや、もう、これは買うしかない。初日を過ぎてしまえば、どれだけのネタバレを恐れて暮らさなければいけないのか。そんな一週間は耐えられない。おれは封切り日のチケットを買うぞ!

というわけで、その日の最終回、16時30分からのIMAXを予約購入した。

おれは20年待ったのだろうか? 待ったような気がする。パンフレットを読んでみれば、初期メンバーの声優陣は25年と言っている。少しずれがある。だいたい20年だ。

何度か書いた話をまた書く。おれが『エヴァ』を知ったのは、高校生の頃だった、「おまえに向いているアニメがある」と数少ない友人から教わった。その男は柔道部の主将だった。おれは聞いたとおり、夕方にチャンネルを合わせた。そこで始まったのは第24話「最後のシ者」だった。おれはあっけにとられた。あっけにとられて、残り2話も見た。おれのエヴァは一分間の静画と首ポチャから始まった。

そして大学に入り、サークルの先輩からこう言われた。「エヴァンゲリオンみたいなアニメはおまえのような人間のためにある作品だ」。アニメのサークルではなかった。競馬のサークルだった。

それから……やはり25年という方が適当だろうか。もちろん、深夜の再放送でTVシリーズは全部見た。旧劇も全て映画館で見た。関連本も買ったし、ネット上の考察サイトも見た、掲示板で繰り広げられる論争も見た。その場、その場では納得できても、やはりなにかが残った。喉に刺さった魚の小骨? いや、なんかもっと大きな、もやもやのようなものが。

そしておれは気づいたら貧しい労働者になっていた。そんなおれの前に『新劇場版』が現れた。現実なんて関係ねえ! 槍でやり直すんだ! さあ、あの映像センスと謎の設定に満ち溢れた、エヴァをもう一回やってくれ。そして、今度はすっきり終わらせてくれ! おれはそう思った。

そう思いつつ、何年か経って『Q』を観た。また、これか、これなのか? と思った。でも、これだ、これだよな、と思うおれもいた。

して、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に何を望んでいたのか。一つには、決着を望んでいた。わかりやすい決着を。しかし、また一方で、単純に終わってくれたら、それはそれでエヴァではないよな、と思うおれもいた。基本的に、面倒くさい人間が好きになる作品なのだ。とすれば、かなりの人間が面倒くさいし、そもそも人間は面倒くさい生き物なのかもしれない。

話を戻す。おれは金曜日に、「来週の月曜日はエヴァを見るために早退します」と高らかに宣言した。月曜日はリモート組も出社するので、おれがいなくてもある種の作業はこなせる。そんな目算もあった。というか、止められるか、このおれを。40歳をこえて、アニメに現を抜かすこのおれを。

というわけで、おれは16時30分の上映のために、45分前に会社を出た。15分後には映画館にいた。おれは平日16時ころの映画館というものを知らなかったが、わりあいと人が多かった。学生服を着た若者の姿も少なくなかった。とりあえず、グッズ売り場の列に並んでパンフレットを買った。そして、お手洗いに行った。わりと、長丁場の映画である。こわいのは、耐えきれなくなること。もちろん、そのために残っていたわずかな席から、大きなシマの最前列を選んでいた。出口は近い。

さて、まだ入場には時間がある。なにか飲み物を買うか。おれは映画館でものを食べる習慣というのはない。だから、飲み物だ。ふと、クラフトビールというのが目に入る。酒を飲みながらでかいスクリーンでエヴァの新作、という誘惑にも駆られる。が、やはりトイレがこわい。結局、アイス・カフェラテにした。エヴァのコラボレーションメニューを頼んでいる人も多かった。

飲み物を買っている間に入場が開始された。いつもなら10分前厳守という感じなのだが、15分前くらいだろうか。白いプラグスーツを着たアスカが表紙の何かを渡された。シアター内は空席を除いてほぼ満席、というか、ほぼ満席。最前列の両横あたりは人がいなかったように思うが、ほぼ数席。みんな平日月曜の夕方になにしてんだ。おれもだが。

さあ、マナー呼びかけ、新作紹介、映画泥棒、IMAXのアピール、そして本編。マリの鼻歌からスタート。人を食った始まり方だ。あ、いや、その前に、新劇の振り返りから始まったんだった。そういえばおれ、今回『シン・エヴァンゲリオン』を見るにあたって、テレビでの放送やアマプラ、というか持っているフィジカルでの復習というか予習を全然してこなかった。いや、アマプラの冒頭10分とかいうのは、当日の昼休みに見たっけ。そうだ、そこで、「今までの新劇」も流れていて、「劇場でも流すんだ」と思ったんだった。

まあいい、ともかくIMAXはでかい、音もでかい。パリ決戦……! 

と、斜めうしろで横の連れに話す男がいた。連れが男か女かもわからないが、一方的になんかしゃべる。詳しくまでは聞こえないが、べつにネタバレをいってるわけでも、ひゃーとか、うひょーとかいってるわけでもなく、なんとなくそのシーンについてしゃべってるだけだ。ネタバレはギルティ、ひゃー、うひょーはセーフ。なんとなくどうでもいい話はアウト。もしも自分の前の席だったら蹴りを入れているはず。いや、それもギルティ。そいつ、終盤に入ってから「スミマセン、スミマセン」いいながら後ろの席を横切って、スマホ片手に出口に行った。なにやらイヤホンをしているようにも見えた。気のせいだろうか。また戻ってきて「スミマセン、スミマセン」いいながら後ろの席を横切って自分の席に戻った。さわがしいやつ。

 

映画は終わった。

 

終盤は、汗が出てきた。額にではなく、なぜか後ろ頭に。興奮していたのかもしれないし、劇場が暑かったのかもしれない。「終劇」の二文字を見て、劇場が明るくなるのを待って、おれは立ち上がり、コートを着て、バッグを取った。そして、飲み終えて空になったアイス・カフェラテのカップを持って出口から出た。空容器を回収台に載せて、係員に「おねがいします」と言い、足早にトイレに行った。少し我慢していたのは否めない。否めない同類がたくさんいたので、少し行列に並んだ。そのとき、誰かが連れの友人にこう言うのが聞こえた。

 

「長かったから、どんなシーンがあったのかよく覚えてないよ」

 

それを聞いたおれは、頭がポカーンとなった。その一言で、おれも、どんなシーンがあったのか忘れてしまったのだ。いや、もとより覚えていないのかもしれない。なんともいえない。

おれはぼんやりしたまま映画館の入っている商業施設を出て、駅まで歩いた。階段を昇って電車が着た。逆方向だった。おれは階段を降りて、反対側のホームに昇った。ちょうど出るところで間に合わなかった。次に来たのが桜木町止まりで、2本損した気になった。次に着たのは8両編成の横浜線磯子止まりだった。おれはそれに乗った。山手で降りて、駅前のセブン-イレブンで弁当とサラダを買った。弁当とサラダとインスタント味噌汁で晩飯を済ませ、パンフレットを読んだ。記憶が少し戻った。とはいえ、戻った記憶とはおれの「印象」だった。だから、ここに考察などは書けない。パンフレットを見ながらネタバレを書くこともできるだろうけど、べつにそんなことをしても楽しくはない。

おれの印象。

エヴァンゲリオンは、終わった。

大団円で、終わった。

庵野秀明はやりたいことをやりつくしてこれを世に放った。

まだまだ考察すべきところは残っているだろうが、劇中で登場人物たちは実に親切に説明してくれた。出てきたよくわからない単語は、入場時に貰ったアスカの二つ折り冊子に書いてあった。いや、本当に単語の羅列だけだけど。これを手がかりに、またなにか謎の考察をするのも楽しみかもしれない。だれかの考察を読むのも楽しみかもしれない。

でも、おれのなかでその気持ちはいまのところ起こっていない。おれの中にあるのは、エヴァンゲリオンに対する充足だった。貞本義行の漫画版でも得られなかった充足。

おれはエヴァンゲリオンに満ち足りてしまった。

劇中でいえば、まるで冬月先生のように。

たとえば、細かいところでは、テレビ版や旧劇で内面世界に入ってしまったとき、外の世界はどうなっていたのか、ということ。『Q』で描かれたように完全にどうにかなってしまったのかどうか、ということ。その外の世界に、かなりの時間を費やし、丁寧に描いてくれている。

また、繰り返しになるが、世界内の設定について、あまり隠すところなく登場人物たちが喋っているように思えるということ。専門用語はわからないなりに、それでもはっきりと。そしては、各登場人物の内面もはっきりと。行動もはっきりと。結末には幸せも。

そして、碇シンジの、あるいは碇ゲンドウの物語がきっちりと完結したということ。その思いが強い。

∀ガンダム』でもないけれど、すべてのエヴァを、すべての黒歴史を飲み込み、上質なエンターテインメントとして昇華させてくれた。「おい、ちょっと待てよ」という笑いどころもあるし、エヴァらしいサービス、庵野監督らしいサービスもところどころにある。

完成度が、高い。

それはエヴァを支えてきた、アニメーションとしての質であり、今度は物語にも同等の質が与えられた。力で押し切られた。そんな感じになる。だからもう、細々とした推察や考察もどきも、するつもりにもなれない。圧倒されたのだから仕方ない。少なくとも、今、ここにいるおれはそれしか言えなくなっている。もちろん、本作を映画館で再観賞するつもりはある。あるけれど、しなくていいかもと思っている自分もいる。

本当に、幕は降りてしまった。あのテーマにのって、ミサトさんが次回予告することもなかった。エヴァは完成してしまった。

だから、さよならエヴァンゲリオン

ありがとう、エヴァンゲリオン

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