『シン・ウルトラマン』とおれと昭和のウルトラマン

おれとウルトラマンウルトラマンとおれ。

それについては東京都現代美術館の『特撮博物館』に行ったときに書いた。書いたのを今知ったので、そこから引っ張ってくる。

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 私は1979年の生まれだ。ウルトラマンウルトラセブンもリアルタイムで見ていた世代ではない。ただし、おれが物心ついたころにちょうどビデオデッキというものが普及し始めて、ぽつぽつとレンタルビデオ店ができはじめたころだったと思う。私は親にウルトラマンというものを貸し与えられた。
 たぶん、初代ウルトラマン帰ってきたウルトラマン、エース、タロウあたりはひと通り見ただろう。私が今も最強だと思う怪獣はタイラントである。世代的にはウルトラマン80だったが、どこかにせものっぽいという印象があった。
 まあともかく、私は弟と買い与えられたソフビのウルトラ兄弟や怪獣でふつうに遊んで過ごしていたのだった。私はレッドキングの頭の小ささがどうにも気に入らず、ブラックキングのほうが好きだった。

「世代的にはウルトラマン80」と書いているが、79年生まれにリアルタイムというのは無理がある。そして、80の次が平成ウルトラマンとなり、そのころにはおれのウルトラマン熱は冷めていたので全く知らない。おれにとってのウルトラマンは初代からタロウまでだ。親はわりと見境なく子供におもちゃを買い与えるタイプだったので、たくさんのソフビを持っていた。肩を回すと中でライターの着火装置のようななにかがジャリジャリ音を出して光るやつもあったような気がする。違うかもしれない。

まあともかく、テレビ放映という意味において、おれはウルトラマン谷間の世代にあたる。あたるわりにはレンタルビデオでたくさん見ていた。戦隊物はあったが、ちょうどウルトラマンにあたるものがなかったのか、あるいはウルトラシリーズがおもしろすぎたのか。

むろん、以上は四十年近く前の話だ。平成以降のウルトラマンは知らない。特撮も『シン・ゴジラ』くらいしか見ていないといっていい。とはいえ、庵野秀明「シン」なのである。最初に知ったときはそれほどすごくひかれたわけではないけれど、その後に公開された、湖の向こうにヌボっと立っているウルトラマンの画像を見て、なぜかわからないが見たくなった。

※というわけで、見てきたので、以下はネタバレ全開です。

はじめに断っておくが、上に書いた通りおれは特撮マニアではないし、幼少期にウルトラマンに熱中していただけである。「このシーンで使われた曲は!」とか「このシーンの効果音は!」とかいう話はできない。たぶんいっぱい仕込まれているし、意味もあると思うが(なにせ、エンドロールで「選曲 庵野秀明」とあった)、そのあたりはくわしい人にまかせる。

おれに書けるのは、おれとウルトラマンのあるいはシン・ウルトラマンの話だけだ。

上に書かなかった「おれとウルトラマン」でいうと、おれは子供心にハヤタ隊員(その他のウルトラマンの人)が心配でならなかった。「怪獣と戦って大丈夫なのか」ではない。「大切なときにいつもいなくなって、いじめられたりしないのだろうか。クビになったりしないのだろうか」ということである。そういうことを考える子供だった。

『シン・ウルトラマン』でその点はどうだろうか。……などと思っていたら、わりとあっさりそのあたりは割れてしまう。もう割れるの? というくらい早い展開だった。というか、それ以前に人類(というか日本にしか禍威獣あらわれていないので日本人?)によって何体か倒されている描写があるので、神永新二も活躍があったのだろうし、ちょっと単独行動したくらいではクビにはならないのだろう。安心だ。

そういう妙に現実的なところが気になる子供だったおれがおっさんになって、やはりそういうところが気になるので、『シン・ウルトラマン』の政治的な描写とかはまあまあ好き。ちょっと多いかなと思ったが、まあこれも芸風というところだろう。怪獣の名前を決めているは誰か、などとどうでもいいところがいい。それにしても、すぐ「ネロンガ」と思いつくセンスは政治家には惜しい。

笑いどころもいくつかあった。じっさいに劇場でそこそこ笑い声が聴こえることが何回かあった。が、おれが笑えたのは画面の後ろの方でニセウルトラマンが無表情に街を壊しているところだった。いや、本物も無表情だけど。なんかすげえやさぐれてるウルトラマン

しかし、「ニセ」は目が悪そうだったりするのが定番だが、さすが令和は完コピなのか。バリエーションという意味ではゾーフィ(ゾフィー)も色違いなだけに見えたが、よく見たら謎の突起があるのかどうか。ああ、しかし、ゾーフィが最初に画面にうつるシーンには少しゾッとするところがあったな。

あ、どうでもいい小さな話しかしません。

巨大長澤まさみ隊員はどうだったか。これは事前にいっさい知らされていなかった話なので、やってくれるわ、と思った。その映像がYou Tubeらしきものに大量アップされるのも実に現代的だろう。

メフィラス星人山本耕史もよかった。「私の好きな言葉です」も、短い映画の中でしつこいほど繰り返され、ちゃんとネタになっていたように思う。また明日もお顔を見ることになると思うけど、三浦殿。

主役についてはあれだ、おれはあまり斎藤工という役者を知らないので、だんだんハヤタ隊員のようにも見えてきたのが変な感じだ。むろん、おれははっきりとハヤタ隊員の顔を覚えているわけではないのだけれど、なんとなくそう感じた。それがいいことか悪いことかわからない。

主役というと、ウルトラマンが主役なのかもしれない。やはり、画像で見た佇まいがあって、なんともいえずいい感じであった。初代に忠実なのかどうかなどはわからないが、あの体型がよいのだな。あと、力作であるというスペシウム光線も「これか」と思ったりした。しかしなんだろう、あの飛行姿勢のままグルグル回るのって初代でもあったのだろうか。グルグル回ってたいへんだな、と思った。

ゼットンの発想については、そう来たかというところ。たぶん、『空想科学読本』かなにかでネタにされていた、「あの温度の熱球が存在したら太陽系ごと吹き飛ぶ」を、逆輸入したのか、というわかりやすくもなかなかやってくれるなと。しかもそれを展開させたのがゾーフィというところも「おお」という感じ。

というか、最後の「ゼットンを倒した地球には他の知的生命体からも目をつけられる」あたり、どうしても『三体』を思い浮かべてしまった。というか、やっぱり『三体』の映像化は庵野秀明じゃあかんかね、などと。

となると、やはりこの「空想特撮映画」はSFよな、ということになる。いや、もとからSFだったろうというところだが、おれのなかでウルトラマンウルトラマンであって、後に知るおれのなかのSFではなかった。が、SFなのだなというのがなんとなく『シン・ウルトラマン』で抱いた感想の一つでもあった。

ほかに抱いた感想としては、有岡大貴(今知ったがジャニーズの人らしい)演じる滝隊員の顔がなんとなくカープの森下暢仁に少し似ているような気がしてならなかったとか、まあどうでもいいことだ。

あ、一緒に観た女の最初の言葉は「なんでウルトラマンの赤いのがエネルギーが減ると緑色になるの?」であった。知らん。ちなみに、彼女のウルトラマンについての思い出というと、小学生のころ「ウルトラマンの放送が終わる」という話に「終わらない!」と言い張る子がいて、なんでもその子のお兄さんだか従兄弟だかおじさんだかがウルトラマンの中の人(スーツアクター)だったという話だ。え、古谷敏が親戚。すげえな。あと、「シュワッチ」って言ってなかったね、と言われたが、たぶんそうだろう。シュワッはウルトラマンらしさというのは、正統派のマニアにとっては違うのだろうか。

あー、というわけで、取止めがないまま終わります。それにしても久々に映画館行ったな。IMAXのあの「針が落ちる音まで」も久々に見たわ。あ、劇場は時間のわりにけっこういっぱいになっておりました。やはり男性が多いが、カップル、家族連れも多く。いろいろな世代、たとえば平成のウルトラマンを見た世代にとってどう感じられたかなども気になるところ。昭和初代のおれにとっては、満足と言っていいものでした。

おしまい。

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このポーズよりも。

 

この立ってる感じね。