『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』を見に行くのこと


 土曜だか夕方だかの中山秀征が出ていそうなPR番組(たぶん出ていた)をぼんやり見ていたら、わりと行きたくなってきて行くことにした。東京都現代美術館は……ものすごく久しぶりだ。

 もちろん追憶の電車に乗って行った。
 追憶。特撮と私。
 私は1979年の生まれだ。ウルトラマンウルトラセブンもリアルタイムで見ていた世代ではない。ただし、おれが物心ついたころにちょうどビデオデッキというものが普及し始めて、ぽつぽつとレンタルビデオ店ができはじめたころだったと思う。私は親にウルトラマンというものを貸し与えられた。
 たぶん、初代ウルトラマン帰ってきたウルトラマン、エース、タロウあたりはひと通り見ただろう。私が今も最強だと思う怪獣はタイラントである。世代的にはウルトラマン80だったが、どこかにせものっぽいという印象があった。
 まあともかく、私は弟と買い与えられたソフビのウルトラ兄弟や怪獣でふつうに遊んで過ごしていたのだった。私はレッドキングの頭の小ささがどうにも気に入らず、ブラックキングのほうが好きだった。

 やがて興味は毎年毎年更新されていく戦隊物などに移り(サンバルカンが最初だった。そして、宇宙刑事ギャバン)、やがて漫画、アニメ、同時代のものたち。ウルトラマンのソフビから、聖闘士星矢の……今で言えばフィギュアだろうか、まあ、そういったものに移って行った。べつにウルトラマンを嫌いになったわけじゃないが、興味はつづかなかった。私は興味というものを持続させるのができないたちだ。

 ただ、いくらかなら記憶がある。なぜかわからないが、ダビングしたか録画したかわからないが、ともかくビデオがあったために繰り返し見ることになったウルトラマンタロウのモチロンの回である。モチロンは臼のような形をしていた。また、今にも死にそうな病気の母親のために花屋で花を買おうとしたら足りなかった子供の回も印象に残っていて、彼は代わりにチョークを買って病室から見える壁に花の絵を書くのである。……って、それって何トラマンのエピソードだろうか。よくわからない。また、弟とよく大魔神の表情が変わる真似をして遊んだような気がする。
 というわけで、ウルトラマン大好きな子ではあった。あったのだが、かといって心酔して夢中になって、いや、していたのかもしれないが、どこか古臭さを感じていたのも確かだった。まさかウルトラマンのカラータイマーが脇の下の電池ボックスからの配線で光ってるからとか、そんなのに気づいていたわけではない。いつものラスト、空にシュワッチと飛び去っていくときの、吊るされた人形感というものが、どうにも気に入らないところがあった。そこがいい、という人もいるだろうが、幼少の私にはどうもそこで引き戻されてしまうなにかがあった。なにと比べてそう感じたのか。たぶん、なにかもっと精巧な、ハリウッドの映画かなにかかもしれない。
 その後、最後に見た特撮といえば『プルガサリ』であった。

 追憶の話が長くなったが、ともかく私としては現役の特撮マニアではないし、世代が微妙にずれているのだった。だからこの展覧会のことを知ってからも、とくに行く気はなかったのだ。
 しかし、だ。土曜か日曜の夕方に中山秀征が出ていたような気がする紹介番組で、短編映画「巨神兵東京に現る」のメーキングシーンを見て、こりゃあ行かなきゃと思ったのだった。なにせ、なんというか、なんの知識のなかった匠の技というか、職人の業というか、そんなものが詰まっているように思ったからだった。たとえば、川本喜八郎監督の人形アニメーション死者の書』のDVDなど持っているのだが、その本編はさることながら、メーキングシーンにもひどく感銘を受けたものである。人形劇の人形に合わせて、実際に織れる機織り機のミニチュアを作る人間がいる!
 して、「巨神兵東京に現る」本編。正直、「使うところにはCG使ったんかな?」みたいに思った。が、それがどうだろう。はっきり言ってしまえばノーCGなのだ。あれも、これも。まあまったくすさまじい。ともかく、本編後のメーキングは必見だ。あの、中に人の入れない巨神兵をどう動かす? 溶けるビル、きのこ雲、犬! まったくの驚異である。そして、これは消えゆく技なのだ。まったく。

 と、「巨神兵東京に現る」ばかり書いてしまったが、他の展示物はどうだったろうか。これはもう、ここまでたくさんのものを集めて、並べて、さらに言いたいことが山ほどあって、言わずにはおられないという、すごい熱量のシロモノだった。好評ということで、生まれてはじめて美術館で音声ガイドをレンタルしてみたが、いったいどれだけの量あることか。そして、それにもまして語り出したら止まらない熱い客層。
 で、注意すべきは同行者というべきか、とくに特撮に興味のない女性などを連れて行ってはならない。私とて「ジャンボーグA」の説明を聞いてもなにかピンとくるところなどないのだ。でも、せっかくだから熱量に触れてみたいじゃないか。それにほら、あの零戦、右翼には増槽だけど、左翼は爆弾吊るしてますよ。ええ、興味ないですか。つーか、そうか、戦争映画も特撮か。というか、最近の映画作品とかもミニチュア技術は生きているんだな、『沈まぬ太陽』のジャンボとか。
 でも、やはり「巨神兵〜」とそのメーキングや犬は面白がっていたし、貼ってあった成田亨の随筆の「デザイナー志望がデザインを勉強してもいいデザインは生まれないんだ。芸術で己と向き合って表現をやった人間からじゃないといいもんは出てこないんだ」(ひどく曖昧な要約、間違ってたらすみません)みたいなところに関心を示したりしていたが。

 まあ、そういうわけで、結局、なにかたいへんに時間がかかったし、最後の撮影可能領域では私ももうすっかり疲れていて、もうヘトヘトという具合だった。もう、あまり写真も撮らずにあとにした。宮島達男のデジタル・カウンターもなかったし。土産物は500円のガチャガチャと、昭和のメダル刻印機、まったく悪くない。
 閉館時間くらいに出たが、そとはまだ明るく、木場の公園を歩く人、走る人さまざまであった。そして遠くに見えるは東京スカイツリー。精巧に作られたミニチュアも多くは破壊されるためにある。破壊の願望、偽物の世界。さて、そんなことを考えたのかどうだったか。