そんなの関係ねえ! 映画『オッペンハイマー』感想

おれの父親は広島の人間だった。おれは小さな頃から「反米愛国」を教育されてきた。新左翼的な意味で、だ。それでは、「反核」はどうなのか、というと、そうでもない。吉本隆明信奉者の父は「西側の核ばかりする左翼」を批判しており、どうもその批判のほうが印象深くなってしまった。そしておれは、父親の英才教育によって、なぜか右翼少年に育ってしまった。なんで?

 

というわけで、おれはもとからうっすらと日米関係におけるアメリカが嫌いであり、うっすらと白人嫌いであり、「どうせ白人はアジア人のことなど人間と見ていないのだろう。だから原爆だって平気で落とすし、反省の心なんていっさい持つことはないだろう」と思っている。

 

そんなおれは映画『オッペンハイマー』を観るのが楽しみでしかたなかった。もう、おれのなかではうえのように定まっているので、どんな描写、あるいは描写の欠落があろうと、そんなのは承知の上だ。言い切ってしまえば、どうでもいい。それよりも、クリストファー・ノーランの新作だ。日本公開はいつなんだ?

 

……って、これがぜんぜん公開されないのな。面倒だから調べないけれど、おれはとにかく「早く公開してくれ」と言いつづけてきた。なんか漏れ伝わってくる内容から、日本人にとっておもしろくないとか、批判の声が聞こえそうだとか、いろいろ言われるが、そんなん見なけりゃわからない。

 

で、そんなん言っている間にも、全世界でかなりの興行収入をあげているというニュースが入ってくる。「見てないからわかんないけど、戦場描写すらない伝記っぽい映画でそんなに人気って、どんな内容なんだ!」と気になるばかりだった。ようやく、ようやく公開となった。さっそく……というわりには公開二週目にシアターへ。

 

劇場の入口にはこんな注意書き。必要なのだろうか?

 

で、上映開始は10:00。終わるのは……え、13:15? これは予約するときに目を疑った。「大作」と言われていたが、こんなに長いのか。トイレに行きやすい席にした。あと、前の晩に眠るのに失敗したので、上映前に「眠眠打破」を飲んだ。客の入りは……はっきり言ってスカスカ。選んだのはIMAXシアター。

 

で、どうだったのか。長さをぜんぜん感じなかった。トイレに行くこともなかった。眠くもならなかった。おもしろかった。

 

おもしろい、というのはたいへんなことだ。おもしろくなくては、映画に込められたメッセージもなにもない。おもしろくなくては人も見に来ない。もちろん、ここでいう「おもしろい」はかなり大きな範囲を含む。

 

映画の構造は三層構造になっている。若き日のオッペンハイマー自体の基本的時間軸。これに、戦後1954年の聴聞会、1959年のストローズという政治家の公聴会が加わる。一番時代的に後かと思われる公聴会が基本的にモノクロで描かれているが、基本的時間軸が追いついたらカラーに……かと思っていたけど、違うかもしれない。オッペンハイマー不在の場面がモノクロなのか?

 

まあいい。これがかなりの頻度で入れ替わる。これが、飽きさせない。これがなかったら三時間はきつい。

 

とはいえ、それゆえに話しの把握はやや厄介でもある。下手すると『テネット』みたいに話をロストすることになる。『インセプション』だってそういう話だった。伝記映画なのに、SFみたい。それでいてサスペンス要素もある。

 

なにより、オッペンハイマーという人間の描写が、いや、それぞれの登場人物の描写がみごとなもので、これが絡まって一筋縄ではいかない。それにしてもオッペンハイマーの顔の「感じ」のよさよ。これがこの映画の決定打じゃないかとすら思う。

 

話を構造に戻すと、あれだな、予習はしておいていい。Wikipediaでオッペンハイマー自身と、(映画)を読んでおいていいと思う。ネタバレとかそういうのはない。

ロバート・オッペンハイマー - Wikipedia

オッペンハイマー (映画) - Wikipedia

 

というわけで、あれだ、なんか身構えていないといいつつちょっと身構えていて、そりゃまあそういうところもあったし、原爆投下前後はそのあたりの描写を中心に見たけど……終わってみりゃそんなの関係ねえ、とまでは言えないまでも、娯楽大作であっという間に時間が過ぎてしまった、そんな体験に近いものが残った。あ、ネットのどこかでオッペンハイマーの愛称が「オッピー」で、それを見るたびに小島よしおが頭をよぎる、という感想を読んだことによって、おれも「オッピー」を見るたびちょっとだけ小島よしおが頭をよぎってしまうことになった。これを読んだ人もこの呪いにかかるかもしれない。ごめん。

 

それにしてもなんだろうか。この映画、直接的に人が死ぬシーンの一つすらない(もちろん、見せていないところで十万人以上死んでいて、それが非常に大きな意味を持つのだが)。直接のドキドキハラハラアクションシーンもない。それなのに、なぜ飽きないのか。「おもしろい」のか。それはもう、オッペンハイマーの栄光と屈辱、いや、人間のそれを描いていて、これに関心が起きる。一国の英雄にまで上り詰めた人間のアップダウン。いや、アップダウンて、もっとましな表現もあるだろうが。語彙がない。

 

それで、そこんところで、結局、この映画がオッペンハイマーを赦しているかどうかということになるのだと思うけれど、たぶん赦していないんだよ、おれの感想では。あ、それはもう「原爆の父」だけの意味でなく、オッペンハイマーのやってきたこと全部、これについてどうなんだというか。いや、やっぱりプロメテウスなんだよな。原爆抜きんオッペンハイマーはない。そこんところで、アインシュタインの預言があって、そこにそのシーン持ってくるのか、という衝撃があって、ほんますごいなと。

 

ああ、でも、やっぱり日本の扱い方について書いておく? おれの感じたところでは、大日本帝国とか日本人とか、広島とか長崎とかそんなものよりも、敵はナチスであって、さらに戦後のソ連であるという意識が強く描かれていた。ジャパン・パッシング。それを「あえて日本人の被害から目を逸らさせる描写だ」と批判することもできるだろう。原爆の被災地を描かなかったことについても、あえて逃げた批判することもできるだろうが、三層構造の時間軸から外れたところをどう描くかというのは、作品上問題になるともいえるだろう。おれは気になったとも言えるし、気に入らないとも言えるし、これも一筋縄にはいかない。

 

一筋縄でいかない作品だし、これもできるだけ多くの人に見てもらいたいなと勝手に思う。そして、できれば映画館、IMAXで。「伝記映画なのに?」と思うかもしれないが、これはね、IMAXよ。音とかもうビリビリくるし、これは騙されたと思って。三時間無理だろと思っていたおれが、三時間いけるぜ、と言うし。説得力ねえかもしれねえが。

 

ああ、それにしても、核兵器よ。核兵器のあった世界となかった世界。なかった世界はおそらくありえなかった。たまたまオッペンハイマーが最初にやった。人類の歴史とある役割を担うことになったある個人。そりゃあ、地球が消滅する妄想くらいしてしまうだろう。

 

ただ、核兵器は実在する。核兵器製造可能とみなされているイランが、核保有国であることがほぼ確実なイスラエルへ報復攻撃をするというニュースを見た。用意はできているか?

 

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映画を観たあと、飯食って、女の人が用があるというのでワールドポーターズへ行った(もちろん歩いて)。狭いスペースで花見などしている人もいた。

 

毎年のことだが、年度末で外に出れない日が続いて、桜の咲き具合もよくわからなかった。今日はとても晴れていて、直射日光が暑いくらいだった。人々の服装もまちまちで、昨日とか寒かったし、ダウンジャケットみたいなの着ている人もいれば、もう半袖みたいな人もいた。

 

ワールドポーターズのあと、マークイズに行った。向かいの横浜美術館ではトリエンナーレが開かれているが、盛り上がっている感じはなかった。

 

そんでおれはなんか体調が悪くなってきて、そういえば昨日も発熱していたし、ちょっと風邪気味なのだろうか、まあ帰った。帰って桜花賞の録画見て、カープ戦見ようと思ったら中日に三試合連続完封であっさり負けたあとで、そのあと叡王戦見た。終盤の藤井聡太叡王の8四歩はAIが最善手(それ以外はマイナスに振れる大逆転)だったけ「なんで?」と思ったら、これを藤井聡太は指す。結果的には、最後のとどめに王手飛車をかけるための仕掛けだったらしいが、そこまで読んでいる。えげつない。解説者とかぜんぜん説明できなかったように見えた。というか、中村太地は伊藤匠挑戦者の勝ち筋ばかり読んでいたし、紙一重なんだろうが、分厚い紙よな。とりあえず一本出てほしいが、なんかこう、強すぎるよ八冠。