『ブロークバック・マウンテン』

ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディション [DVD]

 あざといぐらい美しい色づかい(『バグダッド・カフェ』とか思い出した。あと、最後の方の彼の実家の白さ、印象的)にメロディ、雄大な自然も田舍の街もきちんと描いて(たとえば主人公たちを取り巻く「物」の変化とかもきちんと描いてるとか)、なおかつ同性愛をメーン・テーマに持ってきて、個人の葛藤も社会のおかしさにも切り込んで、これで文句があるかって感じの映画。たくさん賞を受賞しているのもわかるし、これはいい映画だ。5点満点で3〜4は確実だ。ただ、ただですよ、なんかそれ以上突き抜ける感じはしない(バックから激しく突き抜いておったがな、ガハハ)。良作、佳作であって、傑作という感じはしない、というのが俺の感想。
 ……と、エンディングのスタッフロールがはじまったとき思っていて目に飛び込んできた名前が、「E. Annie Proulx」。あれ、アニー・プルー、そうだ、最近、こんな感じの映画を観たばかりだ、それだ。

 そうだ、これと原作者が一緒だったんだ。で、できた映画も似ていたってか。いや、しかし知らなかったな、偶然だ。アン・リーという監督が最新作でいろいろな体位に挑戦しているという話は知っていたけど、これの原作が『シッピング・ニュース』と同じとはな。ふーん、『ガープの世界』と『サイダーハウス・ルール』とが似ているというくらいの似てる感じだろうか、わからんが。
 それはともかく、この映画は主人公たちの愛を抜きには語れない。もしもその愛、単に「この凡庸なラブ・ストーリーの脚本、性別を男同士にしたらウケるんじゃね?」みたいな安易なものであったらつまらない。では、この映画はどうだったろうか? どうだったんだろう。そのあたりを語れるほど愛の機微について知らねぇよ、俺。
 でも、そうだな、たとえばこの生々しさはどうだ。最初のまぐわいは獣欲、獣の誘い受け(?)だ。ギムナジウムじゃねえよ、アメリカの、ワイオミングだってところだ。美少年同士のイノセンスさ、ピュアさ、そして美しさとは一線を画すところがある(言っておくけど、俺、ボーイズラブどんとこいですので)。まさにジーンズの生まれた世界でのことだ。汗臭く、泥臭く、えげつないところだ(これはどんとこいでないです)。だけど、同じところもある。最初の出会いの段階で、片方には婚約者もいたわけだし、むしろ、最初から回帰、自由への回帰だったのかもしらん。そしてマウンテンへのトポフィリア。あらかじめ失われた場所、あっちの嫁の言う「空想かと思ってた」ところ。
 空想を手に入れられなかったのはなぜか。現実、つまらない日常、カウボーイも単なる肉体労働者だ。片や虚飾の富、片や貧しい現実。このあたりの、あるいはアメリカの暗部、弱さをアジア人の女が描くあたり、彼の地のミスターマチョたちが大きな拒絶反応を示したとしても驚かない。そうだ、同性愛へのヘイト、そしてヴァイオレンス、それが物語のボトムラインで脈打ってる、それについても大きな反発があって当然だろう(その反発への揺り返しとして「いや、私はこれを評価するよ」というリベラリストのアッピールの仕方もありえそう。それがいたずらに長い受賞歴だとまでは言わない)。
 そのあたりを饒舌に爆発させて、クライマックス、カタルシスを作り出すこともできただろう。ただ、この映画ではその道を選ばない。すくなくともそこまででもない。それも一手、下手な盛り上がり、大事件で途端にチープになってしまうこともある。そこをこう、じわじわときて、あの美しい回顧カットと去りゆく馬上の人、それでいく、いいじゃないか。壊れることを前提とするような少年愛の刹那でなく、積み重なる逢瀬、苦しみ、ここんところがガチっぽいところかもしれない。
 苦しみといえば、当人たちより一番えぐい思いをしとんのは、奥さん、とくにアルマさんかもしらん。怒りの中身をぶちまけることは、愛した男への復讐としては大きすぎるし、土地柄時代柄子どもたちや自分がどうなるかもわからん。ただ、いくら少年愛や人妻より寝取られ(並べるようなものなのだろうか?)が好きな俺といえども、それに感情移入するのは無理だった。
 というわけで、やっぱり見て損はない秀作ということで、レッツ・トライ・ブロークバックマウンテン! ああ、しかし、なんだろう、なんか俺の方が性別観(?)とかがゆるみきってるというか、当事者でない上に、そのへんについて意識のない人間だから(でも、たとえば甲子園のマウンドでバッテリーがキスしたとかいうのに、妙にきゅんとなるのは、どっかしら禁忌に触れる背景を感じてのことか。でも、善悪のレベルに引き上げる、引き下げる回路がない。性的道徳観? 倫理観? のゆるみ? 馬鹿になったねじみたいな。だからたぶん、同性愛者に優しいとか、理解しているとか、そういうこともないと思う。観念的なもてあそび?)、逆にこの映画の破壊力が柳に風だったのかもしれない。当事者いや、むしろ強度のホモフォビアが見て、ボカーンて打撃になったりするのが面白いのかもしれない。ボカーンってなってそのあとのことは知らないけれど。
 あと、どっかで「あんなりすんなりインサートできるものなのだろうか、そんな小さなことにこだわる俺はケツの穴の小さい人間なのだろう」とか書こうと思って忘れてたから、ここに書いて終わる。