……いや、別にマケイン氏が当選してもお慶び申し上げますけれども。
しかし、なんだ、黒人初の大統領だ。しかし、そうあっさり書いてみると、違和感がある。バラク・フセイン・オバマは黒人と白人の間に生まれた人だ。もちろん、その背景を知らぬ人はいないけれども、要約すれば「黒人初」となる。
ハワイ出身で、白人の母を持つオバマ氏は民主党の候補者指名争いのころ、南部の黒人や黒人政治家との間に距離感もあった。だが、奴隷の子孫で労働者層の出身であるミシェルさんが南部サウスカロライナ州などに足を運んで黒人からの信頼を広げてきた。
http://www.asahi.com/international/update/1105/TKY200811050318.html
そして、このように夫人とセットで「アメリカ黒人代表」という足場を得たということだ。このことは、選挙前のこちらの記事でも読んでいたっけ。
明らかにオバマは最初に人種を超越した政治家である。しかし他方で、アメリカ人である以上、旧来的な人種やエスニックなカテゴリーのどこかに基盤を持たないと、アメリカ人として脆弱な存在感しか持ち得ないことを、最初に証明した政治家でもある。オバマがめざしたのは、アウトサイダーとインサイダーの双方を代弁する存在だった。「脱人種」を目指しながら、他方で一から「アメリカの黒人になる努力をする」という、時間軸に逆行することをした。それは、多民族社会アメリカにあっては、「差異」は認め合うものであり、混ざり合い無色透明になるものではない、というアメリカのアイデンティティ・ポリティクスの現実を受け入れることでもあった。
http://www.tkfd.or.jp/research/sub1.php?id=167
と、まあ、そのあたりの人種感覚については、いまいちわかりかねるところもあるのだけれども、まあそれ以前の、話にひっかかっているのだ。白人と黒人のハーフで、黒人の代表、あるいはどっちつかずの代表になれても、おそらくオバマは、白人の代表になる道はなかったのではないか、ということだ。オバマの母はオバマをアメリカ黒人としてのアイデンティティを持たせるよう教育したらしいが、それとは関係なく、やはり黒人なのだろう、ということだ。
……って、まあ、たぶん、見た目の問題だ。見た目の問題だけれど、そこらあたりが、白人の白人意識というか、あるいは、我々他の人種が、白人を見る意識であるかもしらん。白人はあくまで白と白を代々配合されてきた(用語が競馬っぽくなるのは俺が競馬狂いであるからであって、差別的な意図はないことを先に明言しておきます)、純白、純血の白人でなければ白人でないのだろうなあ、と。プーサン(Pur-sang)でなければ白人ではないのだろうなあ、と。ちょっと検索したら、南アフリカでもそういう感じだというものが出てきた。
などと、他人事言ってる俺、ひるがえって俺は人種、肌の色についてどういう意識を持っているのか? と、問うと、はっきり言って、ようわからんというのが実感。とりわけ肌の色に対して強い意識を持っているわけではないけれども、たとえば分け隔てなく白人、黒人その他を見ることができるかというと、やはり、おそらく、日本人の多くが持つ「外人」意識はある。見上げも見下しもしないが、村の外から来た人だという意識はありそうだ。ただ、はっきり言って、こう生きてきて、ろくに外国人と接する機会はなかったから、なんともわからん。いや、でも、小学校のころ、ベトナム難民のクラスメートとかいたっけな。
まあともかく、なんとなく黒人大統領というのは、近未来的な印象があっていい。フィクションの影響が大きいかもしれない。もしも俺が何らかのフィクションを作るとき、とくに重要な部分でなく、どうでもいいというのであれば、なんとなくアメリカ大統領を黒人か女性にしてみたりするかもしれない。まあ、ともかく時代が変わったという感じがする。そっちの方が、なんとなくいい。それだけだ。
追記:マイケル・ムーアもお慶びのコメントを出しているよう。
ブッシュ政権への攻撃で知られるマイケル・ムーア監督は、選挙前夜の3日、HP会員に向けたメールで「8年で十分だ。この国を我々の元に取り返すときが来た。オバマほどリベラルな大統領は歴史上いない。オバマを大統領に ! 」とメッセージを配信した。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp1-20081106-426571.html
ムーアはブッシュ攻撃で知られるが、それとは別に俺は印象深い彼の作品を思い出す。彼が「フィカス候補」を擁立したドキュメンタリだ。フィカスは観葉植物だ。それを立候補させて、選挙運動を起こしたのだ。なんか、爆笑問題が紹介する形で、テレビで放映されていた。その内容は、共和党批判というより、二大政党制批判に近かったと思う。どうしようもない固定化がが起こること。似たり寄ったりの大政党の二つしか選択肢がないということ。そのころ、なんとなく日本でも「二大政党制を」という声が聞こえ始めたころで、俺も「政権交代可能な二大政党制は望ましいのではないか」などと思っていたものだが、そうとばかりは言えないのかな、などと思ったもの。なので、ムーアにはラルフ・ネーダーを応援するような方向かと思っていた。
wikipedia:マイケル・ムーア……と、2000年の大統領選挙では本当に応援してたんか。でも、分裂が共和党に利するというところから、やめたって感じかいな。日本における日本共産党の全選挙区立候補に対する批判と同じものやね。