俺とみうらじゅん、みうらじゅんと俺。俺はそんなにみうらじゅんにとりくんだことがなくて、なんとなく面白そうだ、たぶん俺はすごく好きだろうというのは強いのだけれど、ただなんとなく機会があれば目にする、というていどであって、VOWでよく見かけたとか、目白山医院の待合室にあった『見仏記』を読んだとか、たまに深夜「シンボルず」を見ていたとか、そういうくらいであって、食わず嫌いならぬ食わず好きとしては、自分の中で筒井康隆にならぶ存在といえる。
そんなみうらじゅんの、こんなインタビューを読んだ。
だから、世の中のことって友達じゃないからよくわからないよね。総理大臣がどうこう言うけど、友達じゃないもん。友達じゃない人のことを「頭にくる」とか、よく言うなと思っちゃう。それでも気に食わないことを感じたら、「そこがいいんじゃない!」って口に出して言うんだな。僕もそうしているから。
http://career.livedoor.com/article/199/
これ、この箇所いいね。すごくいいと思う。ものすごく個人的で、感情的で、ある意味ちゃらんぽらんなものの考え方で、まじめな人からしたら、「本当に何をいってるんだ?」というような発想なんじゃないかと思う。だけれども、俺はこれがすごくいいと思う。やばいくらいの肯定。そのきわどいところがいいんじゃねえのって。
たとえば、こないだ村上春樹が卵と壁の説話をしていたけど、「われわれが卵であると同時に壁だ」という「かべのなかにいる」という矛盾と同時に、「壁である彼らもひとつひとつは卵だ」って打ち返すところがなきゃ不完全だと思う。「あれは壁だ」と、そのときの権力、大組織、集団、数に対して非難、批判、攻撃するとき、しかし同時にその壁はひとつひとつの卵であって、そのことを同時に思わねばならない。それを欠きながら、その敵に打ち勝ったところで、こちらの勝利の裏で別の地獄がふくらむ危険が大きい。俺はそう思う。本当は、どの人間もみんな悪を想像できる存在だ。数そのものでありえないんだ。
もしも、「生まれた国や人種や環境によっては、人間がもつあるべきようを絶対に分からないんだ」なんて考えがあったとしたら、俺はそれにすごく反対する。
だけれども、同時に、そんな差別をせざるをえない人間の地獄を想像しなきゃいけないと思う。「そこがいいんじゃない!」とはいかないが、そんな地獄にいる人間も、ときに壁の中で自分の卵を壊しながら、ほかの卵を潰さなければいけない人間の地獄も考えてやらねばならない。彼らも救わなければならない。彼らは救われなければいけない。
もちろん、壁に対して壁、力に対して力、それによって得られる均衡もある。バランス・オブ・パワーが、相互確証破壊がもたらす利益もある。あるいは、この社会の、たとえば法律とかそういったものも、そういったバランスの上に成り立っているのかもしれない。これを否定して人間は生きていくことはできないだろう。
だけれども、それには限界がある。いつまで経っても終わらない。繰り返される。俺はそんな気がする。だから俺は、別のアプローチを模索してもいいんじゃねえかと思う。横や、斜め後ろや、真後ろからのアプローチ。いきなりみんなそうなるのは無理がある。ちゃんと弱い者のための壁をつくる人も必要だ。情況によっては、力を力で黙らせるのが、一番人間のあるべきように沿うやもしらん。だけれども、そのとき、敵の壁の中の卵を考えるような発想を、「敵に与するもの」として押し潰しちゃいけない、俺はそう思う。
というわけで、みうらじゅんの話から逸れた。逸れすぎた。こないだの、村上春樹の話と、それをとりまくいろいろの賢い人たちのやりとりを見ている中で、自分の中でもやもやとたまっていたものだ。このもやもやはたまりつづけるだろう。だけれども、同時に俺は俺の生活の楽しみ(競馬、自転車、エロ、野球、その他いろいろ)はぜったいに手放さない。(←この箇所、翌日追記、修正→こちらを見よ。いや、見てください、よかったら)
う〜ん……結局、生きているのはヒマつぶしだからね。つぶし方が面白いかつまらないかだけだからね。きっとね、死ぬのって気持ちいいと思うんだ。自殺する人が怒られるのは、おいしいショートケーキのイチゴを先に食べてしまうからなんだ。パンケーキの部分もちゃんと食べなきゃダメ。そして、楽しくヒマをつぶさなきゃ。
http://career.livedoor.com/article/199/
人生は暇つぶしって、カート・ヴォネガットもよく書いてたっけ。あとはこのあたり。
自分だけがストイックな方向に突き進んでいくぶんにはかまわないんですけど、突き詰めていけばいくほど、他人がそうじゃないことが気にくわねえってのが拡大していきましてね。そのうち、こりゃかなわねえってことになるわけですよ。
遊んだり、お洒落をしたり、恋愛をしたりっていうことがなくなったら、人類の歴史のいいところはほとんどなくなっちゃうんですよ。
『悪人正機』吉本隆明・糸井重里 - 関内関外日記(跡地)今でも、慰安婦問題や教科書問題について、熱心すぎるほど取り組んでいる人たちがいますけど、そんなの冗談じゃないよって思いますね。
何かこう、みんなが同じようにそのことに血道をあげて、一色に染まりきらないと収まりがつかないって人たちは、根本の人間の理解から違ってるんだよってことです。
いいのかな、本当に。すこし、不安になる。でも、不安タスティック! やったー!
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