俺はいったいなんなんだ? 俺は俺をあらためて問い直す

同僚の仕事の仕方、モラルやマナーに驚いたり、世間話をするにも興味の方向や考え方が異なったり、会話のボギャブラリーにすら気を使わなければならなくなったり。

落ちぶれた高学歴の人へ

 これにはなにかゾクッとさせられるものがあった。俺の行く末というようなものだ。俺はいま、幸いにしてぬるま湯の中にある。上から派生している書き込みにある、自営業で安穏というのに近い。が、こんな安穏が続かないのは、お前に言われんでもわかっとる。この業界に先はないし、このままでは遠からずおさらばだろう俺はなにか悟ったようなことを言っていても、やっぱり環境が変わるのは怖い。新しいものは怖い。
 ただ、無闇に恐れていても話が進まん。俺が怖いのは何か? 恐れるのは何か? こう、ゾクッとするのは、何か? そこを見たい。

 と、その前にはっきりさせておくが、自分は高学歴ではない。大学中退の高卒だ。でも、私学の中高一貫から、それなりのところに入れたあたりで、なんとなく我が身を「高学歴側」に置いてしまう、そういう悪い癖がある。あと、仕事と収入に関しては、もう仕事なんてものはしたくない、しないに越したことはないし、収入ももう、別になんというか、なくなったらなくなったでそれは地獄に落ちる心持ちだろけれども、今この時点の、最低限の暮らしができるなら、まったく上を望まないというか、ぽいっと大金もらえたりすりゃ、そりゃもらうけど、難しいことを覚えたり、人といろいろ交渉したり、責任を負わされたりなんてのは、まっぴら御免といっていい。というか、現段階でかなり底気味なので、どんな悪条件の職に行こうとも、横滑りであって落ちぶれにはならん。そのあたりははっきりさせておく。

 たとえば、モラル、モラルというのは何だろう? 我ながら、俺には倫理観というか、人間らしさというか、遵法意識というか、そういうものがない。それは自覚している。世間体というか、自分が安穏にいられるために振る舞う(たとえばこの日記に書いていることだってそうですよ?)ことについては、それなりによくやってると思うが、体面ではない内心を問えば、なんというか、我ながら罪悪感とかそういった感情があまりにもなさすぎると、あきれるくらいだ。もしも、もう悪を為してしか食えないとか、そうなれば、俺はほとんど躊躇なく、盗んだり騙したりすると思う。ただ、それが面倒だったり、得でないと思えばもっと別の、楽な方に流れる。たとえば、しょっちゅう「いつかは刑務所に」とこぼしているのは、そのへんの判断でもある。というか、これまた上の話の流れから「被害者のいない罪を犯して刑務所へ行こう」みたいになっていることは、心強くもある。みんな考えることは一緒だ。
 →まあともかく、俺は刑務所を夢想するために犯罪を考えるほど、モラルはない。しょうもない野郎だ。この点は、大丈夫だ。
 ほかにはなんだ。世間話というものか。いろいろ派生している書き込みから見るに、「パチンコ、競馬、芸能ニュース、下ネタ、ギャンブル、女、車」などの話題についていけるかどうかということか。このあたり、ついていけない人には厳しいかもしれない。さて、俺はどうだ。……なんというか、だいたい大丈夫じゃねえのか。この日記やブックマークの割合を見れば一目瞭然。競馬狂は言うに及ばず、下らない芸能ニュース大好き、スポーツもミーハーに食い散らかしてどんと来い。競馬以外のギャンブルも、まあネットで舟券、車券買えるくらいの環境は用意しているし、麻雀も点数計算できないくらいには知っている。下ネタときたら、もうどんなひどいことになっているのか、自分にもわからないくらいだ。下品すぎて話にならない。ただ、パチンコと風俗、これはわからん。あと、車というのも、免許があるくらいで、たとえば、ヤンキーの方々はどっからお金が出てきてVIPカーとかに乗っているのだろう。あの、かっこいいビッグスクーターなんかの費用も、どっから出ているのか。実はみんな金持ちなのか。そのあたりは不安だ。自分には自転車が限度だ。それも不安だ。でも、別に話くらいできる。そこそこに車のことも、あるいはバイクのことも知っているように思える。興味が無いわけではない。
 →というわけで、全般的に言えば、だいたい東スポから同時代の中の多くのことがらを学んでいる身として、あんまり世間話には問題ない。むしろ、「ライフハック(笑)」←で揶揄されている内容なんかにはついていけない。身震いする。ずっと競馬と野球と下ネタばかりしていたい。

 ……あれ、じゃあ俺、問題ないの? やったー! ……とはいかない。ブックマークのコメントに書いたとおり、俺にはDQN耐性がないのだ。話題や価値観の違い、ましてや仕事の内容や収入などではない、DQNと呼ばれるような人間そのものに対する耐性だ。具体的には、以下のようなことがらだ。

しかし、世の中を見渡せば、他人に悪意をぶつけてもへいちゃらな人たちがいる。小さなところでは(大きなところは知らないので、そもそも例を出せないが)、たとえばコンビニや飲食店の店員にやけに横柄な態度を取ったり、怒鳴りつけたりする類の王様。ちょっと肩がぶつかっただけで、何様かになれる人間。ドキュンなどと言えばいいのか、そういった類の人間。老若男女問わずいる。彼らはいつも何様かでいられるので、(彼らにとって)この世は幸福だ。

悪意の跳ねっ返り - 関内関外日記(跡地)

 カッコ内は引用者による補足……って俺なんだけれども。まあともかく、そういう人たちの、言動とか、物言い、物腰、そういったところに現れるもの。俺はこれに弱い。どう弱いかといえば、単純にいえばビビってしまう。腰くだけになってしまう。生理的に無理、というあたり。俺は、たとえば自分で冗談を言う場合にも、ものすごく親しい人相手に軽口を叩く場合にも、相当に汚い言葉を使えるし、使っているけれども、あんまり知らない相手に、初対面の相手に、いきなりため口みたいな、そういうのには参ってしまう。うまく言えないが、ナチュラルに言葉使いが荒い人には、本当に参る。電車内で子を叱るある種の親の口調や、バイトを怒鳴りつけるおっさんの口調、他人事ながら参りすぎる。あれが自分に向けられたなら、耐えられない。そのあたり、なんというか、2chブラック企業話など読んでは、「くわばら、くわばら」と言うしかない、そんな心境。
 ああ、弱い、弱すぎる俺。そこんところだ。俺は茶髪のピアス野郎で、携帯電話もこんな感じで、別にヤンキー文化とかを嫌っているわけではない。ヤンキー漫画も、ヤンキー文化も、むしろ好きな方だ。ただ、直接関わりたくはない。NIMBYじゃねえけど、ヤンキーゴーホームっつうか、そんなものに関わり合うくらいなら、俺は俺の部屋に籠もりたい、というところだ。

 なんなんだ、このひ弱さは。うーん、いろいろさかのぼって考えるに、まあ肉体的な弱さという、チビというところがまずあって、そのあたりでビクビク生きてきたというか。正直、馬鹿にされたら殺す、お前らは体の大きさで偶然有利だから、こっちもハンデとして武装させてもらう、という具合で、中高時代はナイフ必携の危ないお子さまだった。滅多刺しにしてぶっ殺して、犯罪評論家に「犯人は自分の無力さにコンプレックスを抱いており、必要以上に遺体を損壊した可能性があります」とか言われるタイプ。まあ、幸いにして、ヤンキーに絡まれたり、警察に職質されたりしたことはないんだけれども。
 まあしかし、やっぱり温室育ちなんだろう。中高私学。このあたり。小学生でぐれてる奴とかいっても、たかが知れている。中学になったら、どうなっていたかわからなかった。まあ、それが怖くて俺は親に言われなくとも私学に行きたかったくらい(地元の中学は荒れていると評判だったので。ただ、もっとすごい地域に比べたら、たいしたことないかも)。ここんところで、免疫ができなかった。大学の話もいつかしようと思うが、もうそこも、たとえば塾高上がりみてえのは、絵に描いたような金持ちの子息子女さまたちであって、庶民とはかけ離れすぎていて、「あー、だめだこの世界」と思ったのだ。そうだ、俺は上の方の世界にも挫折していて、それも非常に怖く、また、下といってはなんだけれども、まあ下のノリにもついていけない。体育会系はだめ、上昇志向はだめ、コミュニケーションがだめ。

 ……と、結局俺は、DQNもなにもなく、ともかく人間が駄目だったんだ。それならどこでどう生きようとかわらねえや、やったー! 娑婆で困ったら、自由の刑務所行って、そこも地獄なら、この世とおさらばだー!
 いや、つーか、働かなくても食っていける世界って到来しねえの? ベーシック・インカムの世界って到来しねえの? まったく。
BIのせかい、あたらしきむら、ゆめのくに、うつくしいひび - 関内関外日記(跡地)


追記______________________

→以上反語的価値観、ルサンチマン的、自己憐憫的、自己愛的、敗北主義的、価値観。実際には恥や道徳は尊ばれよう。しかし、この世の現実社会、日常世界は九割方がそれらの逆でできてはいないか。道徳的に尊ばれた世界は、それ自体、知的貴族、肉体的貴族、収入的貴族、コミュニケーション貴族による上流階級の話ではないのか、とやっかむ俺様は何樣。貧乏人の子に道徳の灯火など見せてはならぬ。さもなければ肉を与えよ。

 って、上に引用した記事の最後にあったんだけれども、今回も使えるな、これ。でも、なんというか、今の俺にはここまできりきりくるような、なんというか、こだわりみたいなもんがないな。たぶん、それはいいことだ、たぶん。