マルフク主義宣言〜ホームページだのブログだのなんてなくったって〜


 こないだの、不毛な県央自転車行のさいに、寒川町で撮った写真だ。俺は、マルフクの写真を撮った。ひさびさに。
 おもえば、子供のころ、俺は、マルフクの看板の写真を撮るのが好きだった。街の真ん中ではあんまり見ない。少し、街をはずれていくと、道中にあるマルフク。家族旅行で田舎に行って、田舎っぽい風景の中にあるマルフク。俺は、使い捨てカメラとか、親にあてがわれた小さなカメラで、マルフクの看板の写真ばかり撮っていた。むかしの、俺の、まだフィルムカメラのころの写真、マルフクばっかりだった。綺麗な風景とか、家族の写真なんてほとんどなかった。修学旅行でもマルフクを撮った。マルフクとか廃屋だった。
 母親は、フィルムの無駄だと言った。父親は、面白がってるようだった。そういうのはいい趣味だ、と言った。ただ、撮った写真をどうするのか。その先はなかった。まったくない。ただ、現像のおまけについてくるアルバムに溜まっていくだけだった。やがて、デジカメを手にするまで、俺の、カメラとのつきあいは断絶した。家族旅行も行かなくなったし、俺がむかし撮った写真も、実家を失ったときにどこへ行ったかわからなくなった。
 しかし、たとえば今、俺が、マルフク趣味のまっただなかにあったらどうだろうか。撮ったあとの次がありうる。ウェブサイトでもブログでもいい。えんえんとマルフクの写真をアップし、記録し、アーカイブしていくことができる、誰かに見せることができる、この世のマルフク好きに出会えることもあるかもしれない。そういうことも、できる。

 でも、だからといって、俺は、ここから、あんまりネットやブログといったメディアを礼賛するような方向に、この文章を導かない。そういうものじゃなくって、かつての俺、小学生の俺が、こつこつとマルフクの写真を撮っていたそれ、そんなところに楽しみを見出すところ、俺は、そこのところの俺が、俺の中で気に入っている。
 そしてたぶん、俺がこの日記をつらつら書き続け、このように晒しだしているところも、あんがい、誰に見せる目的もなく、ただただマルフクの写真を撮っていたそれに近いんじゃないかと思う。
 だから、俺が、どうもネットにおけるコール&レスポンスや、ギヴ&テイクに乗れないのは、そのへんがあるのかもしれない。違うのかもしれない、たんなる面倒くさがりなのかもしれない。まあ、よくわからないが、俺がどうもこの、ブログと言うのか、ネット日記というのか、そのあたりをえんえんと続けるのは、俺がかつて、なんのアウトプットもなくマルフクの看板を撮りつづけた、その行為に近い。俺は、このたび、ひさびさにマルフクの看板を撮って、そう思った。
 そして、ネット上には、まあ人によって動機や目的はさまざまだろうけれども、その人なりのマルフクを、ただマルフクを見せてくれることもあって、俺は、そういうものに強くひかれるし、あるいは、たまに自分の日記に、誰かがそのように感じてくれるならば、それはうれしいことだ。

 なんだ、俺は、結局、ネットやブログを礼賛してしまった。まあ、そうだ、文章を書くということに、読み手を意識するということは必要だ。そのくらいの縛りはあった方がいい。そして、読み手が想像上の存在ではなく、じっさいに、どこかにいる誰かであるということは、たといそれがどんなに少ない人であったって、これはなかなか得がたい体験なのだろうと思う。
 というわけで、なにかの間違いでこれを読んでくれている人、ありがとう。そして、よかったら、あなたのマルフクも見せて下さい。いつかなにかの間違いで、俺も、それを読むことがあるかもしれません。そのときは、よろしく。

君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安い バーボンのウィスキーでも
そうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう

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