俺は俺のピンク色のDSiにうごメモはてなを入れようと思った。というか、入っているものと思っていた。入れなければいけないのだ。しかし俺は、無線LANどころか、インターネットすら持っていない。会社も有線だ。俺はDSステーションに行くことにした。
直線距離ではみなとみらいのトイザらス。横浜駅まで出て、ビックカメラ、ヨドバシカメラ、あるいはソフマップ。そのあたり。
俺は、家を出て、マスクをして、電車に乗って、横浜駅まで出た。西口を目指した。西口以外よく知らないので。
しかし、人、人、人、だ。俺は人ごみがきらいだ。俺はもう、うんざりして、市営地下鉄に乗った。乗って、終点のあざみ野をめざした。あざみ野で乗り換えて、たまプラーザに行くのだ。
俺とたまプラーザ。たまプラーザと俺。俺がたまプラーザの名前をはじめて知ったのはいつか。正確な日時はわからない。しかし、その機会ははっきりと覚えている。小学五年生の俺。日能研という中学受験予備校に入る。なにかで、系列校一覧を見る。「たまプラーザ校」。……なにそれ? なんだ? なんで「たま」なの? 「プラーザ」って? 地名? なんなの? 世の中って……広い。
って、思った。その後、俺は「たまプラーザ」について、縁無く暮らしてきた。ほとんど、そのときの驚きというか、不思議さを抱いたままだった。いくらウィキペディアで由来を知ろうとも(wikipedia:たまプラーザ駅)、名付け親の名前を知ろうとも、もうどうしようもない。ただ、いつかは行かねばならんのだ。YRP野比と同じだ。YRPに行ったのだから、たまプラーザにも行く。
なんという行動力。俺は、出不精の人間だった。YRPもたまプラも、死ぬまで未知の町であって、それでよいとするような人間だった。が、俺は変わった。何によって? 自転車によって。無論、YRPもたまプラも自転車で行くわけではない。ただ、自転車によって広がった行動範囲、行動力というものは、電車や徒歩、それらによる遠出、とくに一人での遠出というところに、大きな影響を及ぼしている。自転車でどこかに行きたいのと同じく、電車やバスでどこかに行きたい。歩きたい。知らない町を歩いてみたい。つい最近、「日帰り失踪」という記事を読んだりして、そんなところに共感したりもする。俺は、ひょっとすると、いきなりいなくなるかもしれない。
ともかく俺は、たまプラーザのイトーヨーカドーでDSiの更新、うごメモのインストール、サービスでもらった1000ptで適当なソフトの購入、そんなことをした。インストールには思っていたより時間がかかった。三十のおっさんが一人でDSステーションの横にポツンとピコピコ。居心地の悪さ。ガキが代わる代わる来ては、なにかデモゲームをやろうとするが、電源が入らないようで、乱暴にがたがた扱うばかり。俺の心はすさんでいった。でも、行ってみてよかったと思う。たまプラーザはよいところだった。
たまプラーザ駅は工事中であった。しかし、ガラスばりの駅の威容は、この町の将来にわたる栄華を約束するようである。
ここがイトーヨーカドーである。知らない町のダイエーやイトーヨーカドーに入るのは、正直いって好きだ。
これは工事している裏側? の方。ちなみに、駅前の方は、なんともいえず高級そうなビルがあらわれ、正直、おしゃれだ。というか、道行く人々の雰囲気が……関内のこちら側や野毛とは違う。雰囲気? 雰囲気というとなんだ、なんというか、もっとわかりやすく、一言で言えば、「所得が高そう」とか、「生活レベルが高そう」とか、そんなところだ。老いも若きも、上品なんだ。だから、街並みも上品で、牛丼屋チェーンとか100円ショップとか、そんなものは目に入らなかった。びっくりした。でも、寂れてるわけじゃないんだぜ。
インドのとなり。カレーを食う。歩道は広くとられている。
公園もある。花も咲く、緑も繁る。並木はユリノキ。大きく育っている。
俺は家路につく。が、時間も時間だ。俺は、久しぶりに、すごく久しぶりに、桜木町の場外へ行くことにした。地下鉄もそのようになっている。先ほども書いたが、歩いている人間が違う。俺は、ひどく安心する。
が、そこに安心しきれないなにかがある。俺は、それほど野毛になじめていないのではないか、と。この不安はいつでもあった。高校の頃からあった。俺は、俺自身を、ドブの中ではきれいすぎるが、きれいなところではドブすぎると、なんかのコウモリ野郎じゃないかと思っている。俺が、そこに居て気が楽になると思うのは、圧倒的に場外馬券売り場だが、かといって、場外馬券売り場にグループで来るような人らとつきあうとなると、気が重い。ただ、俺は、場外馬券売り場の、他の孤独な一匹と、ときにさりげないやりとりをしたいというばかりだ。
そうだ、俺はこんなんなのだ。そういうわけで、俺はたまプラーザっぽい格好をして、たまプラーザに生きた方が、楽かもしれない。そういう局面もある。
ただ、たまプラーザに生きるにはたまプラーザに必要な条件があって、俺はそれを満たしていない。俺に選択肢なんかないのだ。
俺はずいぶん人生を切りすてて生きてきたような気になっているが、後悔の傷跡、持っているような気になっている分岐とか、そんなものを意識することもある。そんなときは、どうにもしょうもないね、って思う。たまプラーザで、俺は、今日、そう思う。
追記______________________
あらためて見返すと、写真から俺のたまプラーザへのリスペクトが感じられないので問題だと思った。でも、人とか大写しにできないのに、ハッピーでハートフルな写真って撮れないような気もする。わからん。あと、曇りだし。