人体が機械化するということ

 心臓ペースメーカーに不具合があったとして、医療機器輸入販売会社「日本メドトロニック」(東京都港区)が19日、全国の医療機関に01〜05年に出荷した2機種「カッパ」「シグマ」計5970個の自主回収を始めたと発表した。

http://www.asahi.com/national/update/0520/TKY200905190410.html

 現実に起きている病気とその治療、それにまつわる問題を枕に、俺はこれからSF的な空想や妄想を書く。不謹慎のそしりをうけるやもしらん。ただ、俺は、俺がSFについて考えているとき、かなり真面目に、人間のことや世界のことを考えているのだと、そう言い訳だけさせてほしい。そうじゃないこともあるが、これはそうだ。
 サイボーグ、機械化する人体。義体化。たぶん、人間はこれと無縁ではいられない。あとは、「どこまで」の線引きじゃないのか。たぶん、技術が人体にとってかわる日がくる。あるいはもう、いくつかは実現している。俺はもう、身体も心も存在もみんな機械になっちまえばいいのにって思ってるふしがある。俺は、サイボーグというか、人体の機械化というものに、無限のあこがれをいだくところがある。

 が、現実問題として、機械に身体を託すというのは(脳とか存在とかいうものはともかくとして)、この「自主回収」みたいな話と無縁ではいられない。新しいパソコンを買ったら初期不良だったというのと、新しい臓器とかを買ってみたら初期不良だったというのでは、話が違う。
 なんというか、自分の命を、どこまで託せるか、というような話。もちろん、「託せるか」というのは、現状の話ではない。病気とその治療のために「託している」、現在の人たちは、生きるために託さざるをないのだ(もっとも、輸血すら拒否する宗派があるように、いろいろの考え方もあるだろう。また、個人個人にとっても、終末医療、延命措置の問題など、一本道というわけにはいかない)。
 だから、仮定の話、未来の話として、じゃあ、そんなリスクを、身体の拡張と引き換えに、選ぶ人間がどれだけいるだろう? というところ。そこんところが、なんか甘く無さそう、という気がする。
 たとえば、攻殻機動隊に「年下の人間に脳をいじらせたくない」と、電脳化せずに指先の機能拡張だけ行っていた医師(だったかな?)出てきたが、ああいうあたりだ。「脳に電極直接ぶっさしてー」とか思っていても、現実問題、やれるか?
 そこんところだな、どこまで人間が生物としてのヒトを捨てられるかってさ。いや、違うかな? 矮小かな? どうだろうか。
 たとえば、上にもリンクを貼ったが、俺は、テレビで、頭に電気流してパーキンソン病を止めるようなものを目の当たりにした。俺は俺の祖父が長年パーキンソン病を患っているのを見てきた。俺は、俺がパーキンソン病になって、そのときその治療を受けられるという選択肢がある場合、果たして脳深部刺激療法(Deep Brain Stimulation)にどう向かい合うだろうか(保険きくのね)。わからん。わからんが、たぶん、それを選ぶだろう。
 でも、なんか、もうちょっと、その、必要性に迫られていないことの場合だ。たとえば、「パーキンソンのDBSと同じリスクなんだけれども、電極ぶっ差したら、脳で直接ネットにアクセスできますよ、人と話しながらウィキペディアで知らない単語調べたり、競馬場でパドックの馬見ながら、血統や全成績、過去のレース映像とか、視界の端で見ることできますよ。この手術が、今ならなんと1万円ぽっきり!」とかだったどうか。まあ、費用の話は放っておくとして、さあどうよ? どうするよ? なあ?

 ……と、まあ、俺はしょっちゅう、そんなガキみたいな妄想をしたりしているわけなんだけれども。ただ、たぶん、俺はね、思うんだけれども、いや、もうね、起こってる話だと思うんだけれどもね、あんまりうかうかしてられねーっていうか、そういう気がするんよ。たぶん、俺の世代なんかは、おおよそ、このままの血肉+α(まあ、たとえばメガネ一つにしたって、そういうものだといえばものだし)くらいで朽ちて死んでいくと思うけれども、昨日今日生まれたやつは、なんかそのαの大きさに、どうにかしなきゃって思う日が来るような、わかんねーけど、なんか、半分妄想、半分マジ、そんなところが、俺にはあるんだ、な。たとえば、病気の治療はともかくとして、寿命に対してどうするか? みてえな。そんなん、もう、数え切れないほどのSFであるとか、あるいはファンタジーが取り扱ってきた話だが、そのありきたりが、向こうからこっち覗いてるんだぜ。どうするよ? なあ。おもしれえなあ。神さま相手にするのと、どっちがおもしろいのか、楽なのか、わかんねーけど、なんか、まあしかし、それが時代なんだしな。