二度目の『破』〜あるいは、なぜ私はこんなに真希波・マリ・イラストリアスにひかれるのか?〜

※ネタバレしとるかもしらん

私は真希波が見たかった

Cut (カット) 2009年 08月号 [雑誌]

Cut (カット) 2009年 08月号 [雑誌]

  • 発売日: 2009/07/18
  • メディア: 雑誌

 なぜ私は、二度目の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』鑑賞後に本屋に寄り、『CUT』八月号を迷いもなく買ってしまったのか。あるいは、真希波のフィギュア付き『ニュータイプ』八月号をとっくの昔に買っているのか?

 ……というか、そもそも二回目の『破』を見ようとしたのも、真希波・マリ・イラストリアス目当てなのである。レイもアスカも、『序』のDVDで……、いや、アスカはほとんど出てこない。しかしまあ、もうなんというか、彼女らは見飽きた、というとすこしおかしいが、「もう一度、‘ぽかぽか’言う綾波を見たい!」とか、「アスカのスケスケ死亡フラグ会話が見たい!」とか、それほどの欲求はなかったのである。ただ、私はキレキレの真希波を見たかった。
 そうだ、真希波の動くのを、喋るのを見たかった。『CUT』の表紙(『CUT』、というか、ロキノン系列の雑誌を買うのは何年ぶりだろう! 書いている面子の名前にひとつも見覚えがなかった)の真希波もすばらしい。しかし、やはり坂本真綾が声を吹き込み、ニャーニャーいいながら動く真希波が見たかった……。

二度目の『破』

 私は今まで、同じ映画を二度映画館で観たことはなかった。二度目の『破』。気づいたことはたくさんある。なにせ二度目だ。いろいろの考察も読んだ。蛇口も見た。
 たとえば……、前回は同行者がいて、鑑賞後、飯を食っているか、あれをしているかの間、Y150の話になり、ヒルサイドエリアの話になり、「そういえば、ヱヴァでもセグウェイ出てましたよね?」、「そうそう、最初に、あのメガネの子が……」などと結論づけられたりした。
 が、あなた、セグウェイっぽいものに乗っていたのは、真希波ではなく、ランカ・リーである。私は今回、それに気づいた。記憶の錯誤はおそろしい。これも庵野の狡猾な罠である。「裏コード、ビーストモード! キラッ☆
 また、真希波が「昭和のおっさん」であるという意識が強すぎ、「エヴァに乗れれば食っていけるだろ」って、ねじりはちまきで醤油をひたしたカツ丼食いながら言ってたのが、実はアスカであったとは思いもしなかった。そういえば、『CUT』に掲載されたカットに(カットだけにってな、ガハハ)、アスカと真希波が乾杯するものがあったが、この二人はどこか似通っている。また、鶴巻和哉監督のインタビューによれば、当初真希波はレイのようで、カヲルのようで、アスカのようで……と、キャラが定まっていなかったというのだから、そのあたり重なり合うところもあるやもしれず、私が勘違いしたのも無理のない話だ(ということにさせてくれ)。
 ほかに気になったのは、ミサトさんと加持さんの居酒屋シーン。シーサーらしき像、ミサト側のが口を開き、加持の側のは口を開いていない。
wikipedia:シーサー

スフィンクスや中国の石獅(石獅子、en:Imperial guardian lions参照)、日本本土の狛犬などと同じく、源流は古代オリエントのライオンもしくは犬と伝えられている。

元々は単体で設置されていたものだが、おそらくは本土の狛犬の様式の影響を受けて、阿吽像一対で置かれることが多くなった。阿吽の違いにより雌雄の別があり、各々役割があるとする説もあるが、研究文献等にそのような記述は見られず、近年になって創作された俗説である可能性が強い。

 これは、ミサトと加持が「阿吽の呼吸」の仲であるということをあらわしているのか? 私の直観では、ミサトは口を開くものであり、加持が口を閉ざすものである、というようにも見えた。また、加持の側には腰掛けた三体の像が見られる。この像はなにやらうすらおそろしいので、もしもこれから見られる方は注視してもらいたい。
 また、目当てであった真希波の、碇シンジとの邂逅のシーンである。空から女の子が降ってきて、シンジ君に直撃、跨る形になる。これはなにをあらわすか? 言うまでもない、騎乗位だ。なぜ、騎乗位の形なのか? 言うまでもない、このエヴァンゲリオンにおいて、女性上位、騎乗位といえば、リリスをあらわすに決まっている。リリスは正常位を好まない。
wikipedia:リリス

リリスがアダムの最初の妻であるとした中世の文献は『ベン・シラのアルファベット』(en:The Alphabet of Ben-Sira)で、8世紀から11世紀ごろにかけて執筆された(著者不詳)。それによれば、リリスは性行為の性交体位におけるアダムの支配的地位を拒否し、そして彼を捨てて去っていった(「彼女は『私は下に横たわりたくない』と言い、彼は『私はきみの下になりたくない、上位にしかいたくない。きみは下位にしかいてはならないが、私はきみより上位にいるべきだ』と言った」)。リリスはただちに神の名を口にして、空を飛び、エデンの園を去り、紅海沿岸に住みついた。
リリスは紅海沿岸でアスモダイやほかの多くの悪魔たちと関係を持ち、無数のリリンたちを生んだ。アダムは神に、リリスを取り戻すように願った。そこで3人の天使たちが彼女のもとへ遣わされた。セノイ(en:Senoy)、サンセノイ(en:Sansenoy)、セマンゲロフ(en:Semangelof)という3人の天使たちである。彼らはリリスに、逃げたままだと毎日子供たちのうち100人を殺すと脅迫したが、彼女のほうは永遠にアダムとエヴァの子供たちを餌食にするが、その子供たちはただ3人の天使たちを召喚することによってのみ守られるだろう、と言い返した。彼女はアダムのもとへは戻らなかった。

 大瀧啓裕はリリスを「フェミニズム闘士の元祖」とかなんとか書き、悪魔の世界では男女同権が確立していたようだ、などと書いていたが、かような話である。真希波は、このリリスの体位であらわれ、なおかつシンジに「ネルフのわんこ君」などと言うのである。わんこといえば、ワンワンスタイルであり、シンジはああ見えてバックが好きなのか? などという疑問も立ち現れる。シンカヲかカヲシンか。神話の時代よりの対立でもある。
 

ともかく、真希波はいいんだ

 私の知識や想像力、なによりも読解力から考察のまねごとなどしても、まあ詮無きこと。ともかく、いま、私は、真希波がなんでこんなにいいのか考えるしかないだろう。
 ただ、言っておきたいのは、見た目とかにそれほどグッときたわけではない、ということだ。十数年前の私のように、綾波のエロイラストを漁ったような、そんな気持ちはない、ということだ。見た目と中身のギャップというのはおもしろいが、それのみであって、私が好きなのは諌山黄泉であるとか、秋山澪のような黒髪長髪系であって、そのあたりははっきりさせておきたい。じゃあ、見た目でなく声、坂本真綾に思い入れがあるかといえば、そういうわけでもなく、というか、名前をマクロスFで認識した程度の知識しかない。
 となると、やはりキャラ全般、全体。エヴァ世界にあらわれた「破」の象徴としての存在。そこのところがいいのだろうね、たぶん。あの、アニメの、わけのわからない終わり方、旧劇場版の、ぐるぐる空を旋回する量産型に感じた途方もない恐怖感、「気持ち悪い」に突き放された呆然、そういった、あの完成した世界を、どこか未完のまま完成した世界を、開かせるのか、ぶっこわせるのか、庵野秀明にとっても他者的であるという、そのところが、今の自分にしっくりきているのかもしれない。『破』にどこか感じた違和感をぶちのめして、どこか新しいところに連れて行ってくれそうな、そんな気がしているのかもしれない。

あと、やっぱりエヴァは異常だろ

 〜EVAがこんなにおもしろくていいのかしら?〜『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のネタバレ感想 - 関内関外日記と、前に書いた。そして、似たような指摘をいろいろの、とくに自分と同世代かもしれない人々が述べているのを見た。「エヴァが普通の面白い映画になってしまった」。
 が、しかし、やっぱりあなた、これかなり狂ってるよ。選曲ばかりじゃないよ、なんかでかい人間みたいなのが、首締めあって、なんか食い始めたりして、住宅街に超でかい内臓ぶちまけて、クレーンで骨拾ったりしてる映画の、どこが普通なんだよ。いちいちブシャーッって血まみれだ。いかにもおかしい。そこんところを、もう一回虚心坦懐に見つめ直さなきゃいけないと思う。だから、なんか宝くじとか当たって、これの発売に備えてBlu-rayレコーダーとか欲しくなってるくらいだ。
 あと、真希波の出番が大幅に増えたのは、『序』公開後にファンが大盛り上がりになったせいもあるというので、またなんか変な風にサービスサービスしてくれるんじゃねえかとか、そんな予感もあったりして。なんかわざわざあと二部残しているのが、怪しくね?
 まあ、そんなところで、ひとまずおしまい。

追記:真希波があまりによいので、おもわず日記を真希波のピンクプラグスーツ色にした。

関連______________________