感傷と追憶の湘南モノレール紀行

はじめに

 私は物心ついたときより湘南モノレール沿線にあって、私の人生は湘南モノレールとともにあった。二十年以上の長きにわたって、私と湘南モノレールは近しかった。数年前、土地と家を失い、一家離散することで、その関係は終わった。しかし、私は断固として湘南モノレール派の人間であって、鎌倉=江ノ電という図式を許すものではない。
 私が湘南モノレールから離れて数年、新型の車両や駅の改良もあった。私はそれを知らぬが、それを恥とは思わない。また、私が新たにそれらを見ることを、また恥とは思わない。しかし、私は記憶からの逃避と現状直視の恐怖により、数年間この界隈に立ち寄らなかったことを正直に告白せねばならない。開きたくない箱もあるということを告白せねばならない。ただ、今の私には自転車という交通手段、いや、精神を拡張する乗り物があって、私の感傷と追憶がペダルを加速したのだ。なぜというわけもなく、この今日という日にだ。

  • 途中、父方の祖母が現在住んでいるアパートに立ち寄って、高校野球を見ながら長話をした。これについてはまた別に書く。
  • 途中、モノレールのレールではなく追憶のレールに従って道がそれた。そのために、実際は片瀬山以降の順番が前後している。ここでは駅の順に再構成した。追憶の中身については、また別に書く。
  • Dst53.02/Av16.9/Tm3:07'51

大船駅


 大船駅の思い出。大船の思い出。これについてはあまりにも膨大であり、ここで述べるのは不可能である。湘南モノレールの駅としての大船。後ろに大船観音が見える。のぼり電車に乗る場合、観音様が見えてくると、いよいよ終点だ、という気持ちになる。昔はホテルなど無かった。また、駅近くになると、廃線となった何かのレールがぶつ切れで下に臨めたが、あれはまだあるのだろうか、よくわからない。


 大船から富士見町に至る道。ここを右側に行くとJR線をまたぐ陸橋があり、ほぼモノレールと併走する形となる。また、モノレールからの眺めもよく、第一の見晴らしポイントといえるかもしれない。また、JRからも見上げる形でモノレールの姿が見え、一種の晴れ舞台ともいえる。ただ、陸橋は二車線しかなく、また歩行者ゾーンも確保されていない。そのうえで、歩行者、自転車立ち入り禁止でないのだから、止まって写真を撮ることなど不可能である。

富士見町駅


 陸橋ないし迂回路という方法はありながら、「あまりにも大船駅に近すぎるのではないか」と思わざるをえないこともある富士見町の駅。この駅に用があったためしがあるだろうか。いや、あるのだ。目の前にセブンイレブンがある。私は中高時代、片瀬山―大船間の定期券を持っており、その間の乗り降りは自由。そこで、地元のコンビニでは買いたくないような雑誌、ようするに、少しエッチな本を買うために、ここに降り立った、そんなことがあったかもしれない。

 駅を真下から見ると、このようになっている。落下防止の金網がはられている。


 富士見町〜湘南町屋間の直線。これは実に雄大な風景といえる。直下の道路は混むと逃げ道がなく、その上をモノレールの車両がぶっ飛ばしていく、そんなすばらしい区間だ。

湘南町屋駅


 さて、湘南町屋駅である。この駅こそ、一度も降り立ったことがないのではないか。なにせ、周りに買い物ができるような施設がない。とりわけ、なにかおもしろいことがありそうな駅なのではない。ただ、この駅には二つの顔があって、この駅から勤めに行く人がいると同時に、ここが勤め先の最寄り駅である人も少なからずいるのだ。すなわち、このモノレールにおいて、他に類をみない副称、「三菱電機前」がそれである。このあたりには、三菱電機の大きな工場がある……らしいのだ。


 とはいえ、どうも駅の目の前にあり、停車時に嫌でも目に付くこの店が「三菱電機」なのではないか? と、そう思うのは人間として自然なことではなかろうか。私はどこかに大きな三菱電機の工場があると知りながらも、毎日のようにこのファンシーな色合いの電器店(あるとき急にこの色になったと記憶する)を見ると、圧倒的なその存在感から、どうも「この店の前=町屋」という固定観念にとらわれ、今なおそうであることを白状せねばならない。


 なお、工業団地を見下ろすその向こうに、雄大丹沢山系、さらには富士山の姿を拝めるのがこの付近だ。夕焼けに照らされた光景なども美しい。


 付近には三菱関係の企業が入ったビルもある。町屋〜深沢間にあるこのオフィスは、ほぼモノレールと同じ高さで、通るたびに中が気になってしまう。また、夜遅くに灯りが漏れているのを見ると、「おつかれさん」と言いたくなる。これもモノレールの人情といえよう。

湘南深沢駅


 大船と江の島を除き、ほかに特別な駅があるとすればどこか。個人的な感傷を抜きにすれば、この深沢駅であるというのが、定説であろう。周辺が栄えていることのほかに、もう一点、決定的な理由がある。この駅に隣接する深沢車庫がそれである。モノレールの車庫といえば、この深沢車庫しかないのである。ゆえに、終点大船ないし終点江の島の一本道を行ったり来たりするするだけのモノレールにおいて、ぴりりと効いたスパイスのごとき「深沢どまり」が存在するのである。これは、京浜東北線において横浜より向こうから下るときに味わう、「桜木町どまり」や「磯子どまり」とは異質なものであるとここに申し添えておく。「深沢どまり」にておろされた乗客は、あの栄光の深沢車庫、マルエツの方へ消えていく車両に思いを馳せ、またメンテナンスにいそしむ職員の労苦に感謝の念をささげるのである。そのとき、深沢駅に吹く風の爽やかなことといったらないのである。


 右に分岐するそのさき、マルエツの方に車庫がある。……私は二度マルエツと言った。しかし、マルエツが今マルエツかどうかは知らん。湘南ボウルは存在するようだ。これは今後の課題とする。


 現在空店舖になっているここには、本屋が存在していた。。私は中高時代、片瀬山―大船間の定期券を持っており、その間の乗り降りは自由。そこで、地元のコンビニでは買いたくないような雑誌、ようするに、少しエッチな本を買うために、ここに降り立った、そんなことがあったかもしれない。また、この駅から少し歩くとレンタルビデオ店もあり、またそのようなこともあった。そうてつローゼンもできたが、あそこには一度も足を踏み入れていないと思う。

鎌倉山



 鎌倉山に、湘南モノレールの駅はない。だが、ここは湘南モノレールにおいて特筆せねばならん区間であると私は主張する。この区間でのみ感じられる、あの特別な時間……、深沢の街並みが遠ざかり、山中を登りながら、速度を増してガランゴロンと大きな音を出し始める車両。そして、突如訪れる闇、そして空気、音の変化。そう、トンネルだ! 気圧の変化で、バタンと音を立てて上部窓が閉まることもある。初めてモノレールに乗る人間を、恐怖と驚きのどん底にたたき落とす、あのトンネル……。ここに湘南モノレールの、ある種の神髓があるといってよい。吊されているのに、なおかつトンネルを通るのである。この二重の非日常感は、毎日これに乗っている人間にすら、多大な影響を及ぼさずにはおれない。すなわち、このトンネルこそは、世界の神話において見られるあのトンネル、この世とあの世をつなぎ、あるいは隔て、なおかつ英雄や神のイニシエーションの舞台となる、あのトンネルなのである。これは、湘南モノレールを利用するものなら、誰もが首肯するであろう、公然の秘密なのだ……。


 私も、できることならトンネルを通りたかった。自転車では願わぬ夢である。が、そのかわりに、初めて変電施設に近接することができた。


 このようにモノレールは来る。


 そしてこのようにトンネルの闇に消える。……ただ、この闇を、モノレールに乗らずして、自分の足で踏破した少年が存在したのである。私は、かつてその「噂」は、知っていた。しかし、どうやらそれは実際に起きたことであったという。私がそれを知ったことは、私がインターネットをはじめてからの、最大級の衝撃であった。


 鎌倉山を下る。どこか家族で遠くに行き、大船方面から帰ってくるとする。私にとって、ロイヤルホストの気配が感じられ、遠くに巨大な給水タンクが見える、この風景こそ、「自分のテリトリーに帰ってきた」と思える瞬間であった。なお、鎌倉山については、さんざん車の練習で走ったことなども思い出される。今度は深沢側から登ってみようか。


 ところで、この坂の途中には、アニメ『青い花』第三話において、井汲京子さんが歩いた舞台ではないかと私が推理した道がある。ここがそれである。背後には高級住宅街がひかえている。さあ、どうだろうか。ただ、この場所からでは、深沢に行くには山を越えねばならず不可能、西鎌倉に行くにしても、少し遠いのが実情である。もしも駅まで走り続けるならば、井汲さんはかなりの健脚といえるであろう。

西鎌倉駅


 私にとっては、片瀬山とならんで地元感のある駅だ。歩けば山ノ井書店、さらには文教堂があった。コンビニもあった。また、親はよくスズキヤで買い物をしていた。私は、早朝に週刊少年ジャンプを買いに親の車を出し、左手に見えるファミリーマートの駐車場で接触事故を起こしたこともある。上にはバレエ教室があって、私が小学生のころには中の様子が車両から覗えてドギマギしたものだが、しばらくして観葉植物の覆いができてしまった。また、いつだったか夏の夕方、浴衣を着た若い女の子二人が、ここを鎌倉市街地に近い駅と勘違いし、「花火大会はどちらに行けばいいのか?」と車掌に聞いていたのもいい思い出である。語り出せば止まらぬ界隈であるといえる。


 西鎌倉というと、やはり私にとっては高級感がある地名だ。より、ハイソなのである、腰越や津西に比べると。そして、西鎌倉の駅にも、華やかなイメージを抱いている。歩道橋から直接連絡される入口などは、実に優雅ではないか。とはいえ、この階段がくたびれていることは明白である。やがて、また新しいハイソさに上書きされていく、それがこの人間の世の理なのやもしれぬ。


 エレガントな分岐である。ここで事故があったとは微塵も思わせぬ気品がある。なお、この下には砂入りテニスコートがあったが、今は空き地となっている。空き地であれば、子供に遊ばせておけばいいのではないかとつい考えてしまうが、管理責任のようなものもあって難しいのだろうし、いざアパートでも建てようとすると、「子供の遊び場を奪わないで」と反対運動が起きたり、二十一世紀から来たタヌキのような何かを中心に、とんでもない目に遭うかもしらん。

片瀬山


 いよいよ、我がかつての最寄り駅である片瀬山である。正直に告白すると、曇り空などを理由に、ここで大船の方にひきかえそうかと思った。それは誇張ではない。この先にあるのは、失ったわが家である。とはいえ、その葛藤はこの記事には関係ない。稿をあらためる。

 ともかく、私は諏訪ヶ谷の交差点まで来てしまったのだ。右手に見えるのはそば屋「山家」。理由はわからぬが父が毛嫌いしており、また、中高生が一人で行くような店でもなく、いまだに私はその中を知らない。

 突如として雲が晴れてきた。低い雲がすごい速さで流れていく。なにがおこったのか、私はモノレールの線路に問うた。こたえはなかった。


 諏訪ヶ谷からそのまま直進すれば、すぐに駅である。だが、私は左折して、一本向こう側の道を通った。一つには、坂の上から逆走状態で疾走してくるママチャリの姿が見えたからであり、もう一つは、やはり先延ばしの心理であるといえる。この右手には、かつて吉川園芸という園芸店があった。花のイメージというよりも、無造作に並べられた鉢のイメージが強い。モノレールからよく見えたのだ。今はなにかエステのような店になっていた。また、この近くには、私の初恋のひとつについて追憶がある。いくつも初恋があるのかわからないが、人間の成長にいろいろの段階があって、その都度のもろもろの欲望、欲求を考慮するに、何段階かの初恋があるのではないかと、私は思う。


 これが片瀬山駅の顔である。ほかの駅に比べると、きちんと箱で覆われているという感が強い。開放性がないのである。これは、住宅との近接具合などによるところが大きいのやもしれぬ。ちなみに、ホームの下は有料駐車場になっている。坂にあるのだから、屋根の高さが違ってしまうというのがおもしろい。


 我が追憶の白百合たち……。だが、この看板は変わらない。ちなみに今日は日曜日であるので、一輪の白百合も見掛けられなかった。また、ある種の初恋のひとつを明かせば、反対方向ですれちがう白百合でなく、この片瀬山から大船まで、また横須賀線で途中まで一緒になる女の子が気になっていたことがある。もちろん、一度も話しかけることなんてなかった。また、同じ人生を繰り返すことになっても、その勇気は生まれないだろうと思う。


 これが、ホームである。いい思い出もあるだろうし、わるい思い出だってある。ホームというのは、そういうものなのだ。

 かなりの急坂を登ってくる。

 ホームに、滑り込む。この段差というのは、地味ながらもなかなかのエキサイティング・ポイントではないかと考える。むろん、ひいき目はある。だが、このような段差、傾斜の渦中にある駅は、この片瀬山駅のみではなかろうか。

 外に出たがって、出られぬ蝶がいた。

目白山下駅


 目白山下駅の特異性は、目白山公園との関係性にある。公園にめり込むような形で、駅が存在するのだ。ただ、公園の側からは入れない。この入口を通るよりほかはない。なお、目白山公園は、そのまま龍口寺の方に通じており、これもまた異世界への通路のごとき公園である。初春には梅が楽しめる。


 デルタ翼を思わせる、機能的であり、なおかつ洗練された美感を有する分岐である。閑静な住宅街、新しい富裕層の増えている地域に合っているといえようか。


 写真に写ってるのが、私たち一家が頼りにしていた医院である。母は、鎌倉を離れた今なお、定期的にここに通っているのだから、その信頼度がうかがえよう。なお、ここの待合室で私はいとうせいこうみうらじゅんの『見仏記』を読んだ。そのときは仏教に興味を持ったわけではなかったが、いずれ持った。また、黒鉄ヒロシの『新選組』を読んだ。そのときは新選組に興味を持ったわけではなかったが、いずれ持った。なにかある、医院である。

湘南江の島駅



 「湘南」モノレールを名乗る以上、接続性、拠点性は大船に譲るとしても、この路線、湘南モノレールプリンシパルは、この「湘南江の島駅」をおいて他にはない。が、「江の島」の駅と聞いてイメージするような雰囲気は、微塵もない。クラシックな雰囲気をただよわす江ノ電江ノ島駅や、龍宮城をモチーフにした、小田急の奇抜な片瀬江ノ島駅とは、まったく違う。私は、この異様さ、特殊性をうまく言い表すことはできない。
 ただ、私がこの湘南江の島駅に感じるのは、大昔の、私がまだ小さかったころの、大船駅である。ルミネウィングもなく、あの暗い通路をもくもくと国鉄に向かって歩いた、あの大船駅。よどんだクリーム色。あのころの大船駅と対をなす湘南江の島が、二十一世紀の今日、今なお趣を変えず存在している……、それが、湘南江の島駅。そう、追憶と感傷の昭和、これである。湘南江の島駅という構造体が有する空気、匂い、そのノスタルジー。それは江ノ電のような商業化された、観光化された昔らしさなどではない。そのままに、古びてる。古さなど指向していない。ただ、ありのままに古い。匂いが、変わらない。
 これこそが、湘南江の島の秘密をとく鍵なのかもしれない。Wikipediaにも「駅名から得られる印象に反して、土・休日を除くと観光客は少なく、利用者の多くを地元の住民や通学客が占める」などと書かれる始末ではあるが、その裏表のない、かざらぬ真の部分こそが、この駅の魅力なのではないか。そう、湘南から阻害された湘南、隔てられた江ノ島と江の島。ただ、蓄積されていくよどみ。ここに、私は真の江の島を見る。古風な湘南文化とも、夏の盛り場とも違う、リアル湘南、追憶と感傷、叶わなかった夢、ありえなかった思い出、それこそが、湘南モノレール湘南江の島駅」なのだ。
 輝ける青春を送る者、女子と仲良くできる者、そんな者、リア充どもは江ノ電に乗っておればよろしい。そう、この湘南江の島駅こそは、暗い青春、果たされなかった恋、太陽の照りつける砂浜に焦がれながらも、その太陽に肌を焦がしたことのない者の江ノ島である。そして、現在とは、敗北の時代である。先行きの見えぬ不安、コミュニケーションの地獄、競争における敗北、あるいは逃走……。そこにあって必要とされるのは、おしゃれな駅舎でも、龍宮城でもない。湘南江の島駅である。そして、江ノ電以上の存在でありながら(なにせ空中に吊されているのだ!)、江ノ電以上の評価をえられぬルサンチマンの路線である、湘南モノレールそのものである!
 

 それでもなお、湘南の光を乞うのか?

 それならそれでもよい! 永遠の往復、それもまたモノレールの宿命である!

<おわり>

あとがき


 思いのほか長くなった。長くなったうえに、何を書いているのかわからなくなるようなこともある。そして、当然のことながら、言い尽くせるものではない。この世に言い尽くせることなんてあるんだろうか? わからない。ただ、今回の自転車行、距離にしては短く、速度にして遅い。だが、私は相当な距離を、相当な速度で走り抜けたのだと、そう思う。まだ、この7月26日という日について書くことは、たくさんある。片道切符を渡されて、さあ行け、さあ書け、考えろ、思い出せと、なにかせっつかれているような、そんな気がしているのだ。