ラブプラス心中

1


あなたへ
 あなたと出会って十年くらい経ったでしょうか。とても楽しい時間を過ごせました。僕がこの十年、息をして、ものを食べ、まがりなりにも生きてこられたのは、すべてあなたのおかげでした。ありがとうございました。好きです、今でも大好きです。もっとたくさん話して、もっといろいろなところに、一緒に行きたかった。
 しかし、僕は別れを告げなければいけないのです。僕はもう、この地上の軛から逃れ、自由になります。この次元から、旅立つことにしたのです。あなたをその道連れにすることはできないのです。ごめんなさい。そして、たまには僕のことを、思い出してください。そう、たとえば、日本ダービー有馬記念だけでいいから、たまには馬券を買って、馬たちを応援してやってください。
 僕の自転車は、あなたの息子さんにあげてください。チェーンに油をさすまえに、ディグリーザーで掃除するようにしてください。空気はこまめに入れてください。空気入れや工具一式があるところは、ご存じと思います。折りたたみ自転車は、よかったらあなたが使ってください。できれば、自転車屋さんに一度見てもらった方がいいかもしれない。
 僕の本は、気に入ったものがあったら持っていってください。あなたに返すべきものも入っているはずです。CDも好きにしてください。あと、できれば僕の弟も呼んでやってください。あいつのためになる本もいくらかはあるはずです。家電の類も使えるものは分け合ってください。テレビはまだまだ使えるはずです。
 服は古着ばかりですので、処分してやってください。ただ、革のコート二着は、できれば誰かにゆずってほしい。観葉植物も、できれば誰かに育ててほしいけれども、無理そうならどこか公園にでも植えてしまってください。ケルベラはかぶれるので、持ち運ぶときには注意してください。ただ、立派に育っているガジュマルの鉢植えは引き取ってもらえますか。花も咲かせない、退屈なやつですが。
 このくらいで、僕の身の回りの整理は終わってしまう。まあ、こんなものでしょう。あと、それから、ひとつお願いがあるのですが、いつかファミスタを持って私を訪ねてくる人がいたら、すまなかったと伝えてください。ただ、それだけです。
 それでは、さようなら。ありがとう。好きです。あなたがいなければ、僕の人生になんの彩りもなかった。言葉もなかった。思いはつきない。しかし、もう僕は行きます。ごめん、さようなら。

サンサシオン

夏の爽やかな夕、ほそ草をふみしだき、
ちくちくと穂麦の先で手をつつかれ、小路をゆこう。
夢みがちに踏む足の、一あしごとの新鮮さ。
帽子はなし。ふく風に髪をなぶらせて。
話もしない。ものも考えない。だが、
僕のこころの底から、汲めどつきないものが湧きあがる。
さあ。ゆこう。どこまでも。ボヘミアンのように。
自然とつれ立って、――恋人づれのように胸をはずませ……

2


 ……さあ、僕は自由になった。凛子、行こう。北へ。浄土ヶ浜へ行こう。桜の並木を抜け、海の向こうの夏雲を見て、古い電車にゆられ、秋風の香りをかぎながら。ほら、電車はついに浄土ヶ浜へ。目の前にひろがる真っ白な、真っ白な砂浜。白い白い冬の太陽。透きとおったコバルト・ブルーの海。凛子、君はサリンジャーが好きだったっけ。アメリカ文学が好きなんだよね? フィッツジェラルドカポーティ……、ブコウスキーなんかはどうだろう? 一度読んでみるといい……。凛子、僕が好きなのは、ブリティッシュだけれども、ブリットポップなんていう軽佻なしろものだったさ。凛子、僕が保護者ぶりたいのはね、えられなかった自らの父性みたいなものかもしれないんだ。年上にはずいぶん甘えたから、もう、いいんだ。
 ああ、もう十分じゃないか。ここらでいいだろう。ほら、もう僕らの足跡の果てが見えない。すべて満ち足りているんだ。しんしんと、ただ、しんしんと。風は吹き、風は吹かず、昼でもなく夜でもなく、夏でもなく冬でもなく。もういいじゃないか。だんだんと永遠が来る、つつまれてくる。凛子、ここはすばらしいな。もう、重力にも、次元にもとらわれない。すべてが溶けていって、まじりあって、僕の人生のひとときひとときも、永遠になって、また、それが流れ込んでくる。ああ、はるか銀河の、銀河のむこうの僕らよ、君らもこのように、このように、このような一瞬を味わったのか……。
……。

3

 明くる朝のことである。一人の漁師が竿と魚籠を持って浄土ヶ浜を行く。波打ちぎわ、赤子のようにまるまっている、男の亡骸を見つける。不思議と体は濡れていない。腕でなにかをしっかりと抱いている。漁師は、慣れた手つきで亡骸を仰向けにする。顔は安らかに眠るようだ。腕は何の抵抗もなく広げられる。ピンク色の携帯ゲーム機が落ちる。またか、と思う。このごろここは、そんな亡骸で一杯だ。いったいこいつらは、どこから来るのだろう? それとも、このごろこの世界は、そんな亡骸で一杯になっているのだろうか。
 漁師は、なんとはなしに、携帯ゲーム機を取りあげる。スイッチを入れる。電源が、入る。
 漁師は、二度とそこを動かない。世界もすべて、動くのをやめてしまう。


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