ぼんやりした前提で好みを尋ねられても困るよな

dot.asahi.comこちらの記事が話題になっていた。読み応えある話だ。男性と女性、見る側診られる側。おれなどは小さい頃から小さかったから、否応なく見られるというか、逆に目に入らないものだろうな、と思って生きてきたものだが。

まあ、それはともかく、次の部分がおもしろかった。

 僕は以前、映画や演劇のために子役のオーディションを何度かしたことがありました。未就学児から小学生、そして中学生、高校生までです。

 会話をはずませて、場の雰囲気を和らげるために、「どんな男の子(女の子)が好き?」と毎回、聞きました。

 女の子達は、幼い時は、「楽しい人」と答える人が多く、それがやがて「面白い人」「賢い人」「頼りがいのある人」と、さまざまに変化しました。

 男の子は、幼い時はほぼ全員が、「可愛い子」と答え、小学生になるとほぼ全員が「可愛い子」と答え、中学生になるとほぼ全員が「可愛い子」と答え、高校生になるとほぼ全員が「可愛い子」と、なんのことはない、ほぼ全員がずっと「可愛い子」のままでした。

無論、かなり限られた人たちによる、限られた状況での対話にすぎない。サンプルは偏ってるかもしれない。でも、そうなっても、それはしょうがねえんじゃねえか、という気がするのである。

だって、なんか、そこにはぼんやりした前提しかねえんだもの。いや、ぼんやりした前提すらないかもしれない。「これこれこういうAさんと、これこれこういうBさん、あるいはこんな感じのCさんでは、だれが好みかな?」ですらない。「あの作品の登場人物だと、だれが好き?」でもない。

「どんな女の子?」って言われたら、そりゃとりあえず「可愛い子」って答えるしかないじゃん。……いや、そうでもねえか。べつに男の子が「楽しい人」、「賢い人」、「頼りがいのある人」って言ってもいいんだものな。

あるいは、有名なコピペ?

ある男が、自分を愛している3人の女の中で誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
そこで彼は3人に5000ドルずつ渡し彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
一人目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、自分を完璧に見せるためにその金を全て使って こう言った。
「私はあなたをとても愛しているの。だから、あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
二人目の女は、夫になるかも知れないその男のために新しいスーツやシャツ、車の整備用品を買って、 残らず使いきる と、こう言った。
「私にとってはあなたが一番大切な人なの。だからお金は全部あなたのために使ったわ」
最後の女は、5000ドルを利殖に回し、倍にして男に返した。
「私はあなたをとても愛しているわ。 お金は、私が浪費をしない、賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」
男は考え、3人の中で一番おっぱいの大きい女を妻にした。

けどまあ、上の状況で、思春期の男の子が「おっぱい」とは恥ずかしくて言えねえだろうが。「おっぱい」関係ねえか。

けどまあ、最初おれが「可愛い子」って答えちゃうよな、って思ったのは、おれの内なるルッキズムの表れであり、これを自己批判し、同志による総括援助を頼むべきところかもしれない。

しかしまあ、おれが幼いとき、小学生のとき、中学生のとき、高校生のとき、その後、どんな子が好き、だったのだろうな。

……あんまりこれといって、「自分はこういう子が好きです」というのはないかな。むしろ、実際にそこにいる同級生を好きになるのが先というか、ありふれた言い方だと「好きになった人がタイプです」というやつだろうかな。あ、ちなみにおれは中高男子校だったけど、同級生を好きになりました。

でもな、なんというかな、そりゃまあ顔の好みがあるかないかといえば、ある。世間で大人気の女優やアイドルの顔にまったくピンとこないこともある。むしろ苦手ということもある。一方で、中身も名前もわからないのに、「この人の顔は好きだ」ということもある。そりゃ、アセクシャルの人とか、人間の顔面には一切興味のないフェティシスト(白いゴム長靴にしか興味がない、とか)の人はどうかわからないけれど、そういう好みはある場合は多いだろうな。

それでもな、なんというか、この年になると、ではないのだけれど、おれがもし誰かと対の関係を結ぶとすれば、そこに最低限あってほしいのは、「話せること」だな。もっと言うと、「話せて、一緒に笑えること」だな。最低限というか、それが成り立たない人間とは、たとえば恋愛関係でなくとも、つきあうのは難しいように思えるな。

「話せる」というのは、なんか上から目線があるかな、ないかな。わかんないな。話が合う、でもいいのかもしれないが、なんというか「話せる」だ。なにをどう話せるかというと、やはり最低限の知識、いや、高卒のおれが知識というか、知見、知見というよりセンス、ものの見方、いや、やっぱり常識も必要? うん、よくわかんない。でも、言葉のキャッチボール、場合によってはトスバッティングでもいい、野球が嫌ならワンツーでもいい、ラリーでもいい、なんか打ったら返ってくる、そういうのがいい。おれのレベルに応えてくれる人がいい。なにかが高すぎても低すぎても、右よりすぎても左よりすぎても、大きすぎても小さすぎてもいけない。

そして、「笑える」だ。ジョークや一発芸じゃないけれど、会話に笑えるところがないとつらい。同じものを見て泣く、同じものに怒る、それも大切なことかもしれないけれど、同じものを笑えるってのが、おれにとっては一番だ。一緒にいるなら、下らなくて、ときに下品で、ときに社会通念上ここに書けないようなアウトな話題でゲラゲラできればいい。あ、なんか下らないとか、下品とか新要素出てきた。気にするな。

そうだ、今朝、山里亮太蒼井優の結婚記者会見を見ていて、「この二人は、同じものを見て笑えるもの同士なんだろうな」って思ったんだった。いろいろな会見というものが毎日開かれていると思うが、おれは、かなりいい会見だなって思った。

話を戻す。でもって、それはなんというかおれが人間全般について求めていることだろうな。

魂の落としどころがどっかにあるはずなんだ、たぶん - 関内関外日記

 でもさ、人類の人種も文化もなしにさ、どっかしら人間同士の落としどころみてえなもんはあると思うよ、俺はそう思う。そう妄想する、そう希望する。
 で、それはなにかっていうと、愛、だとか、正義、だとか、思想、だとか、あるいは科学、とかでもなしに、もっとろくでもないもの、人間の弱さ、卑怯さ、怠惰、汚さ、ずるがしこさ、いい加減さ、そんなもんじゃねえのかって。強さより弱さ、正しさより間違い、美しさより醜さ、そっちで手を繋げるんじゃねえかって妄想だ。そこが落としどころじゃねえのって。俺はそんな夢を見る。

魂の落としどころで手を繋げる人間がいい。弱さ、卑怯さ、怠惰、汚さ、ずるがしこさ、いい加減さ、そんな下らないものを共有できる人間がいい。間違って生まれてしまったわれわれのことだ、これがわかってそうなやつじゃないと、おれとは話せない。おれと話すのは、たいへんなことなんだぜ。ああ、だからおれはこんなにも人間関係というものを疎ましく思い、人間の集団を嫌い、極めて少数の人としか話さない人生を送っているのだな。もっとも、それは望むところであって、ここに向かって歩いてきたような気さえする。

なんか話が逸れたな。もっとも、ここは川に向かって石を投げているような場所なんだ。三途の川かな。まあ、誰も読んでないからいいか。おっぱい。

 

さて、帰るか。

 

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goldhead.hatenablog.com

……男性が女性より見た目と若さを重視するのは、進化の過程でそうなってきたのだ(そういう判断をした人間の方がたまたま淘汰されない側であった)、というお話。実験の信憑性はともかく(上の話ではないが、サンプルが偏ってそうなので)、年齢についてのおおまかな傾向なんかは言い切ってもよさそうだが。