いつでも『けいおん!!』はだいたい素晴らしかった。だからあえて取り上げてなにかメモする必要なんてなかった。でも、第五話は少し不思議な気がしたから、ここに書き残す。
不思議なのは最後だった。軽音部の先輩たちが帰ってくるところだ。……おい、ここだ、もうここがこの話のすごいところなんだ。「先輩たち」。俺はすっかり唯も澪も律も紬も「先輩」に見えてしまってたんだ。俺の視線は、いつの間にかあずにゃんの、憂の、純の側に立っていたんだ。
第五話はその三人で回る物語だ。だから当たり前か? 俺は、そうは思わなかったんだ。三人がどう過ごしたかってところが鍵じゃねえかと思う。
それは雨降りの日だった。どこかに行くって話だってつぶれてしまって、ひとりはちばあきおの『キャプテン』を読みあさってる始末だ。麻雀をやろうにも人数が足りない、点数計算できるやつがいない。スーファミに移植された格闘ゲームにも飽きてしまったし、ゲーセンに行くのもかったるい。けど、しまいにはしょうもない用事ができて、雨の中どっかに行くはめになる。
そんな連中が、しょうもない友だちだったんだ。俺にはなにかの行事に一生懸命になったこともなかったし、部活に打ち込んだこともなかった。だから、俺にはそういう、雨降りの退屈な連中、冴えない面子、そんなのとつるんでいて、ただそれだけだったんだ。
たしかにあずにゃんは校内人気バンドのギタリストかもしれない。純もジャズ研でがんばっているのかもしれない。憂……はどうなんだ? よくわからない。ひょっとしたら、こういうなんでもできそうな、周りからそう見られがちな、器用貧乏なやつこそ、人生の先行き未確定でニートになったりするかもしれねえが、それはまあ別の話だ。ともかく、それでも冴えない日を一緒に過ごしたやつは友だちなんだ。
だから俺は、もう放課後ティータイムのメンバーが、どこか遠く見えて、他人みたいに感じてしまったんだ。あずにゃんは違うだろう、俺の距離感だ。こうなると、俺の魂の居場所は後輩三人の方にシフトしてしまうかもしれない。
いや、ちくしょう、そんなことないだろう、また来週になれば俺は放課後ティータイムとともにある。だが、この第五話のひとときというのは、いくらかの追憶と感傷をはらんだものだった。俺はそう思うんだ。
ところで、俺には今友だちがひとりもいないし、それに満足しているんだが、ほかの冴えなかった連中はどこでどうしているんだろう。結婚して子供のいるやつもいるのか? 想像がつかない。というか、もう俺には顔と名前もろくに思い出せない。でも、何人かは俺のように冴えない人生を送っているのかもしれない。そんな冴えないやつがこの世界には少なからずいることも知っている。これを読んでいるおまえらのうちの何人かもそうだろう、知らないが。