元脱走ペンギン337号との対話


 2012年9月1日、葛西臨海水族館。私は同水族館より82日間の逃走ののちに捕獲されたフンボルトペンギン「さざなみ」、旧名337号との対話を試みた。以下に彼の語ったことを掲載するが、あくまで文責は私にある。なお、本件に関していっさい葛西臨海水族館は関与していないことを明記しておく。
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 「……おれになにか用があるのか? 話を聞きたいだと?……おおむね、セリーヌの『夜の果てへの旅』でも読んだんだろう。このところそんな奴らばかりだ。……しかし、そもそもおれがその脱走ペンギンだっていう証拠がどこにあるっていうんだ? ほかのペンギンと言い争うペンギンなんて、ほかにもいくらでもいるだろう? ……なるほど、水族館の連中がおれを見分けるために識別用リングをとっぱらってしまってことは知ってるさ……。

 「……けれどあんた、おれは絶対に半身を見せないぜ。もう片方の羽根にはリングがついてるかもしれないじゃないか……おれはあんたがいる間は、ぜったいに全身を見せないし、水に入ったりもしないだろうさ……。

 「……ふん、おれがでっちあげの『さざなみ』でもいいっていうのか……まあいい、そうことにしやってもいいさ。でもまあ、その自衛隊護衛艦みたいな名前はやめてもらおうか? ……ペンギン的になにかかたくるしくていけねえよ。……まあいい、なんとなくしっくりこないんだ……337号……元337号がいいかな……、ただ、言っておくが、おれはでたらめなことしか言わないぜ……ちょうどいいひまつぶしってもんさ。

 「……おれがどんなやつらと会ってきたかって? そりゃ水のいきものが多いに決まってるだろ……知ってるか、ペンギンって飛べないんだぜ。まったく、なにかふざけた感じがするね。……ところで、フラミンゴってのは飛べるんだろ? 連中がしょっちゅう逃げ出さないのはどういう筋立てなんだ? おれにはよくわからんがね……。

 「……『ピンクフラミンゴ』って映画があったよな、あれの最後で犬のクソを食うシーンがあったけど、人間ってのは落ちてる犬のクソを食うもんなのか……? しばしば? それとも、まれに? ふん、おまえが質問する側だったか。まあ、水の中にはでかいゴキブリみたいなのもいるし、けっして美しい連中ばかりじゃないってことだよ。

 「……そうだな、美しいとかそうでないとか、そんなものを決めたりするのもペンギン的ではないな。めいめいが勝手に名乗ったり、名付けあったりしてりゃいい話だろうさ……でも、わりと早い段階で変化をあきらめてしまった連中っていうのは、おれはいくらか怠惰だと思うね……なにペンギンが勤勉だとも言わんが、ピロピロ触手みたいなのを出していたら、小さな食い物がひっかかって、そのまま何万年なんてのは……退屈だろうさ……ペンギン的に見てもな。

 「……ペンギン的ってどういうことかって?……つまんねー事きくなよ!……って、そんなのが流行ってるんだろ?……当たりさわりのない答えが聞きたいのか?……まあ、いずれにしろおれにはよくわからんのさ。ただ、おれはいくらか外を見てきて……ああ、おれはペンギン的なものとしてペンギンと呼ばれる連中を見るようになっちまった……そしておれ自身のペンギン性ってものにもな……。

 「……つまんねー事だな。話を変えようや。そういや、さっきあんたも見たろう、ここにゾロ目の横浜ナンバーのベンツが来てたの。……ヤクザってのはバーベキューが好きなもんなのか? なんだあんた横浜から来たのか……横浜には海辺でバーベキューできるところはねえのかよ? それともヤクザを締め出してるのか……? まあペンギンには関係ない……。

 「……おれも、やっこさんらのベンツのトランクに潜り込んで……ペンギンだけにな……首都高とやらを通って横浜にも行ったもんさ。……大岡川中村川も泳いが、あのクラゲの群れはなんなんだ? あいつらは海にいるもんじゃないのか? ……ああ、浮浪者の魂がクラゲになるのか……そいつは知らなかったな……。

 「……おまえたち人間がつくるものというのは……まあ、ペンギン的にいっても、そこそこいい線いってるってこともあるさ……。

 「……なにか人間以外から……おれからペンギン的な文明批評とやらをしてもらいたそうな顔をしてるな……どれだけほしがりなんだ、あんたらは。もうちょっとさ……つつしみってもんがあったっていいだろうが……。

 「……まあ、あんまりえらそうことは言わないぜ。沈黙ってやつが、そう、ときには沈黙ってやつが最適解な場合ってのがあるんだ。……白河夜船ってやつか? 違うかね……。

 「……なにも欲しがりすぎちゃ、うまくいかないもんはいかない……ってやつだろ? クジラを一呑みにするようなやつは、なにかしらやりすぎだから、結局歴史の舞台から去って……あんなふうに歯だけ晒し者になったりしてんのさ……。

 「……あの構造体、あのばかでかい観覧車……観覧車のやつはどうなんだろうな……あいつはやりすぎちゃいないか、ペンギン的にも、ちょっと気になったりはするんだ……。

 「……自分で自分を解体する観覧車の話を知ってるか? ……ペンギン的には理解し難い話だがね……望みすぎてはいけないって場合もある。……ペンギンが水中を自由自在に泳げるように、陸を高速で走り、空まで飛べたら……あんた、想像してみなよ……、おれが思うに、きっとなにかでかいツケを払う日が来るんだよ、おれにはわかってる……。

 「……おれがツケを払っているかって? 今の状態が? ……そうともいえるし、そうともいえないだろうね。まあ、あんた、あんたにはわからんだろうさ、きっと、永遠にな……。

 「……ペンギンのおおよその連中もわかりはしないさ。だから、そう落ち込むもんじゃない……。

 「……飛翔する隙をうかがってるようなやつはいくらでもいるんだ……そうだろう? そこにだっているさ……でも、飛べるやつと飛べないやつ……いや、もっとはっきり言えば……いや、わかってるだろ、あんたは……。

 「……まあ、せいぜい女とどっかいいところにしけこんだりしてりゃいいんだ……そうだあんた、江戸川競艇には行ったことあるかい? あるのか……まあ、いくらでも金の作り方はあるさ……ところで、博打の必勝法を教えてやろうか? ……いや、ペンギン的なものだから、まああんたにはわからんだろうし、勝ったところで得られるものも違うだろう……

 「……まだペンギン的なものがなにかって気になるのか? まあ、あんたもサンシャイン60の60階に登って、おれみたいに『イマージーン』って叫んでみりゃわかるかもしれないぜ……ああ、その件についてはあんまり話しちゃいけないことになってんだ、禁則事項ってやつだ……まあ契約の問題もある……。

 「……外を夢見ることはあるか?……ばかなことだ。おれにとって内も外もなくなってしまったんだ……気に喰わないのは名前くらいのものだ……まあ、それに、グッズのひとつくらい作ってもらいたいもんだが、そのあたりは大人の事情もあるんだろう……なにせ脱走を許してしまった方の咎みたいなものがあるんだろう……咎って字には人は入ってるけどペンギンは入ってないから、まあ、おれは気楽なものなんだがね……。

 「……そろそろあんたはあんたの世界に還るがいい……地面と、労働の世界に……なに、おれはおれであらゆるペンギンの中で全時代的で全宇宙的なあらゆるペンギン的なものとして……こうしてここにいるわけだしな……ペンギン的であることを、檻であるとは考えない。ただ、自由であると言うわけでもないが……自在ではあるかもしれない……。話しすぎたな……。

 「……まったく今日も暑いな……おまえ、モエ・シャンドンくらい持ってきてないのか……少しぬるくたっていいんだぜ……まあ、いずれにせよ、おれは今日は水には入らないし、あんたにもう半身を見せる気もないんだよ……まあ、嘘っぱちのペンギンに会ったとでも記憶しておくんだな……間違っても公開はしないことだ……ペンギン的なものは偏在しているし、それはおれが元337号だとしても、そうでないとしても、あるいは両方だとしても……まあ、ろくでもないことになる……。

 「……せいぜい、ゲリラ豪雨にでもうたれて帰ることだ……そして、せいぜい京葉線の東京駅のホームの遠さでも嘆いて、日常に帰りな……まあ、ペンギン的にいっても、あの乗り換えは面倒臭いからな……そこんところは同情してやるよ……」