さっきカネヒキリに会ったんだけど、「今日はアジュディなんとかの野郎いねえの?」って言ってたよ。

 2010年6月30日、大井競馬場帝王賞

 冴えない時間を一緒に過ごしたやつが友だちだと思う。俺にとって大井競馬場というのはいちばん冴えないころ、いちばんよく過ごした場所だった。「よく」というのは回数の意味ではない。魂の居場所としての話だ。

 なにかの間違いかと思った。今日のことだ。まったく、大井競馬場がわからなくなっていた。
 いや、なにも今日はじめて知ったわけではない。閉鎖された券売機、移動した売店、新しくできた建物、つねに変わろうとしているのが大井だ。
 そして、俺は大井のそういうところが好きだ。「なにが地方競馬だ、府中や中山に比べたら、ここは都会競馬じゃねえか」というような気概だ。トーキョー・シティ・ケイバのアーバン・ナイト・レース。古くからの競馬ファンは嫌うだろう。俺も好みではない。しかし、それでもなおかつ公営大井の雰囲気がある。それがよかった。

 量的変化から質的変化とでもいうのかどうか。まったく今日、ここがべつの場所になってしまったことに気づいた。角を曲がって馬券を買おうとしたら券売機がない。無料給湯コーナーで水を飲もうとしたらどこだかわからない。もう、大井は先に先に行ってしまったのだった。

 騎手もさっぱりわからない。いまだに戸崎圭太をトップジョッキーと思えない。腕の話をしているのではない。俺の魂の居場所だったころの大井で、戸崎は乗り始めのあんちゃんだったという話だ。

 そして今、どんな騎手がトップクラスで争っているのか。

 町田は知ってるよ。俺の本命のトキノシャンハイと山田信大を撃破したやつだ。

 もう、石崎隆之の時代でもない。かといって石崎駿の時代にもなっていない。そして俺の馴染みの腕利きたちは、かつてのようにたくさん騎乗しなくなってしまった。あるいは、調教師欄の名前になってしまった。

 元気なのは的場文男だけだ。的場文男だけは変わらない。カレー食ってるからか?

 そんな中、血統欄の母親のところにアブクマレディーを見つけると安心する。ラシアンスキーを見つけると安心する。オペラハットの一族を見つけると安心する。

 さすらいの賞金稼ぎ、スマートファルコン
 父ゴールドアリュールゴールドアリュールにはオーラがあった。自分が生で見た馬の中で、とりわけ別格だった。これは別物だと、そんな風に思った。大井の照明灯が生み出した錯覚かもしれない。しかし、俺はそう思ったし、今でもそう思ってる。俺にとって、ゴールドアリュール種牡馬として成功するのは当たり前なのだ(タケミカヅチが死んだのを知っておどろいた)。
 母ケイシュウハーブ、すなわち兄ワールドクリークワールドクリークの勝った東京大賞典は西日が射していたように思う。強い強い西日だ。実際の話は知らない。俺の追憶の話をしている。そして、砂煙の中、加藤和宏を乗せた芦毛馬が駆けてきたのだった。夢か幻かという気がした。メイセイオペラでも、ファストフレンドでもなく、ましてやゴールドヘッドでもなく。なにか微妙なものにやられたと思った。西日だけが残った。
 もう、こんなのはこの日記でも何度も何度も書いてきたことだ(いま数えてみたらあわせて26回もしている)。だからなんだ? なんだっていうんだ。ただ、応援したい馬を応援しないで負けたくはない、そんな思いがある。ただ、応援したい馬を応援しないで勝ちたくもある。俺はせっかく贔屓の地方馬が中央馬を撃破するのに、馬券を持っていないケースが多すぎる。

 馬券の話はしたくない。カネヒキリの話をする。カネヒキリほど、血管を浮き上がらせてパドックを周回する馬がほかにいるだろうか。

 尋常ではない。カネヒキリ、まさに不死鳥、やっぱりお前がチャンピオンだ! - 関内関外日記(跡地)

 今日の馬券の負け方は、尋常ではなかった。自分が競馬場に行ったのかどうかも疑うくらいの内容だった。馬券が当たらないのは、サッカースタジアムに来て、サッカーを見ているのではないか、というような疑念だ。スタジアムに行くべきだと、オシムも言っていたからだ。

 もう、大井にパージされたような気になった。ここはお前の知っている場所ではない。おまえけに馬券も当てさせない、と。そうだ、もう客層も違う。若く、利口そうで、金も持ってそうな人間が増えた。女性も増えた。子供も増えた。カメラも高そうなデジカメを持つやつが増えた。ますます客層が変わった。たかだか10年前を語れるだけの俺がそう感じる。如実に感じる。
 公営競馬場としては掛け値なくすばらしい。これをなす為に費用は投じられ、賭けられているにしてもだ。10年前のやつがそのまま10年分の歳を取り、20年、30年、やがて死ぬ、死ぬとき賭場も死ぬ。それではつまらない。
 しかし、大井にだって20年、30年、40年プレイヤーがいて、たまに激しく騎手を野次ってまわりをドン引きさせたりしている。競馬場の隅の隅にいたり、古い建物のよくわからない場所に潜んでいたりする。俺はそういうものになりたい。

 もっとも、俺はほとんど紙の馬券を買わなくなったような人間でもである。何で買ったかといえば、もちろんiPhoneでね、なのだけれども。

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 モダンなツイッターでのツイートである。トイカメラでよりいっそう感傷的な色付けだ。しかしあの、神取忍選挙カー公選法的にセーフなのか?