めずらしく、チェーンの中華料理屋で晩飯を食ったときの話だ。俺はその晩、タンメンと餃子を注文した。タンメンと餃子を食いたかったからだ。先に餃子がきた。餃子のたれとラー油、それに多めの酢で食った。ビールは注文しなかった。ビールはいらない気分だったからだ。
やがて、湯気をたてたタンメンが到着した。スープをすすり、野菜をひとかけらつまんで食った。麺をかき混ぜ、もう一度スープをすすった。また野菜をつまんで食った。味がまったくしなかった。
俺は手をあげて、女性店員を呼んだ。呼んでこう言った。
「このタンメン、味がしないんだ。薄いとかそういうのではなくて、塩気が、まったくしないんだ。なにかの間違いだと思うんだが、確認してもらませんか?」
女性店員は目を見開いて、ものすごい勢いで頭を下げた。
「たいへん申し訳ございません!」
と、言うやいなやタンメンの丼を盆に載せるや、すぐに厨房のほうに引き返した。
それからちょっとの間も立たぬうちだ。どたどたと白衣の男がこちらに突進してきて、土下座した。
「たいへん、もうしわけありませんでした! せっかく、数ある飲食店から当店をお選びいただいた、そのご恩に、報いることができませんでした!! どうか、おゆるしください!」
ゴン、ゴンと床に頭を叩きつける。この男、店長だ。すると、先程の女性店員が俺と店長の間に割って入り。滂沱の涙とともに頭を下げた。またべつの店員、べつのコックと次々に土下座しながら集まってきた。店内の目が俺に集中した。
俺は椅子から立ち上がると、土下座する店長に覆いかぶさるように抱きつき、こう言った。
「もういい、よくやりました! あなたは店長合格です! 最高の店長だ! このように、誠心誠意頭を下げていただいて、私は報われました! ありがとう! ありがとう、店長さん、コックさん、店員さん! 私はこの店が大好きになりました!」
すると、様子を見ていた他のお客さんたちが、次々に立ち上がり、拍手し始めた。やがて、拍手は歓声となり、みながみな肩を組み、この晩のことを祝いはじめたのだった。「この店は最高だ!」、「明日からも頑張ろうって気になったよ!」。
「ありがとう、みなさん、今日はすばらしい日です、人生にたいせつなのは、絆だと知りました! この涙こそが、最高の調味料です! ありがとう、ありがとう!」
輪の中で俺はそんなことを叫んだ。叫びながら思った。どこか遠い、べつの宇宙のべつの俺のことを思った。
そのべつの俺は、自分の舌か脳が狂ったんじゃないかと思いながら、餃子のタレを舐めたりした上で、おずおずと店員を呼ぶ。店員は困惑と訝しさが綯い交ぜになった表情を一瞬浮かべて、「ただいま交換します」と普通に丼を持ち帰る。また何事もなかったように新しいタンメンを持ってきて、ついでに伝票をテーブルに置く。俺は黙々と味付きのタンメンをすする。
……ただ、それだけのことだった。その宇宙はそのようにできているのだ。俺は、むしろその宇宙のほうがよくできてるんじゃないかと思った。思いながらも、俺は涙を流しながら仁王立ちで熱々のタンメンをすすった。すするしかなかったのだ。
店内の歓喜と興奮は絶頂を迎え、いつ止むともしれないようだった。この輪はやがて店の外にひろがり、町中の人々を巻き込んだ。俺はずっと世界の中心にいるはめになり、俺はついにそこから動くことができなくなったのだった。おしまい。