タイガーマスクの伊達直人その他いろいろの話題でにわかに脚光を浴びたランドセル。ランドセルってそもそも必要か? これがよくわからない。今の俺にはまったく縁がない(子供もいないし、変態ランドセルプレイをしたいという欲求もない)のだが、どっかの売り場でたまたま見るたびに「こんなに高いのかよ」と思う。
施設の児童は小学校に入ってもランドセルを買ってもらえません。
ゆめみがちサロン : ランドセルをもらった児童「ありがとう」 - ライブドアブログ
多くの施設は経営がとても厳しくランドセルを買う余裕がありません。
そこで施設の児童は安い手提げカバンやリュックで通学します。
子供手当ても支給されないからです。
一目で施設の児童だと分かりいじめなどの原因にもなっています。
これは一つの書き込みなので、実態がどうかわからん。わからんが、おそらくは多くの公立小学校でランドセルが標準になっているのは確かだろう。標準的でないものが排除されやすいのもおおよそ確かだろう。「高くてランドセルが買えないので」という理由でべつのカバンを持っている子がいじめられることもあるだろう。
ばかばかしい。だいたい、このご時世、たかが教科書を入れて学校に行って、帰るだけのカバンに、二万だの三万だのの高級品を使う必要があるのか。それが標準というのはどういう了見だ。普通の家庭も苦しいはずだ。けれども、同調圧力かなんなのか、わが子、我が孫を思えばやはり買い与えなければいかんと思ってしまうはずだ。ばかばかしい。排除の種を蒔くくらいなら、責任を持って全員に配れ、学校が、国が。学校なんてやめてしまえ。
とはいえ、いろいろの反応もあるだろう。ランドセルには特別な意味があるという意見もあるだろう。そりゃ、ランドセルにまつわる「いい話」は100万個も200万個もあるだろう。ただ、それは単なる感傷じゃないか。追憶と感傷はすばらしいものだが、それが生活を圧迫する制度やしくみになってはいけない。
あるいは、ランドセルは非常に丈夫で、6年間使うことを考えれば高くない、という意見もあるだろう。だが、実際6年間使うか。これは自分の見てきた世界が多くを占めるのでなんとも言えないが、少なくとも自分は3年間くらいしか使わなかった。小学校高学年になってランドセルは、ダサイ。そういう意識があった。ちなみに、もう一例だけ挙げれば、自分より20年上の女性が、やはり小学校時代、ランドセルをわざと壊して、代わりのカバンを買ってもらったという。べつにとくに上流階級のお嬢さまでもない。
……いや、このあたりはおそらく、学校の空気とかそういうものに大きく左右されるので、世代を問わず、地域を問わず、「いや、6年まで全員ランドセルだったよ」という話もあるだろうし、とくに根拠にはならない。ならないが、「ランドセルを使わなくなる」というありえなくもないケースで、どれだけ「ランドセルでない」ことのデメリットがあったかといえば、あんまりねえんじゃねえの、と思う。
というか、大きなスーパーの入口で売ってるような、1,000円均一、2,000円均一とかのバッグって、かなり丈夫で機能的だと思うのだけれども。どっかのスポーツブランドのロゴが入って、その3倍、4倍の値段で売られてるものとたいして変わらんような気がする。要するに、もっと機能的なものが安く作れるんじゃねえのか、と。あるいは、1万、2万、3万出すんなら、6年と言わず、中学高校まで使えるバッグでいいじゃんか。つーか俺、小学校高学年のときに買ってもらったちょっといいカバン、大学通いで復活させたくらいだ。同じオーバースペックなら、それでまあ、小学校低学年となれば体格の問題もあるだろうが、いや、だからこそ小さなうちしか使えないようなものは安価に済ませてしまってもいいだろう。また、それをリユースしたっていいじゃないか。
なんとも、つまらない話だ。
全部ちゃぶ台をひっくり返すと、ランドセルを全員に行き渡らせることすらできないのか、というような思いも強い。一億総中流時代脳の恐怖。そして、「ランドセル高いから不要だよね」と言って仕分けた瞬間、それなりに大勢いるであろうランドセルで飯を食っている連中(アクロバティックな食事法という意味でなくて)に、死刑判決するようなもんじゃん。そこんところも悲しいよね。悲しいけど、これ戦争なのよね。え、何戦争? いや、しかし、こんなにガラパゴス進化してきたしまったもの、それゆえに淘汰されるときは一瞬かもしれないが、それゆえに妙な進化を遂げていておもしろくもあるのだ、たぶん。そういう意味では、ランドセルのコレクターとかもいるかもしれない(妙に変態的な印象のある字面だ)。いや、ランドセルのもたらす経済効果、孫となると財布の紐がガバガバに緩くなる祖父母世代に金を使わせる、という効果は少なくないかもしれない。おひな様に五月人形、そんなところじゃないのか。
というわけで、ランドセルにはもやもやさせられる。しかし、なんというか、貧乏人の僻みとか、偏見、偏狭かもしらんが、だんだんランドセル文化を維持する余裕はなくなっていくのかもしれない、などと、そんな気はする。みんな貧しくなっていくと、ちょっと高いものはフッと消える。実用的でないものはおさらばだ。さて、その先にどんな世界が。