カラッとした傑作『冷たい熱帯魚』

冷たい熱帯魚 [Blu-ray]

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富士山と工場

 「映画秘宝」3月号で主演のでんでんと吹越満と監督の園子温のインタビューが載ってたのよ。そんなかで監督がこんなことを言ってた。

――ところでこの映画の舞台はなぜ静岡なんですか?

園 強引なんですど、富士山と工場群がこの映画にぴったりはまると思ったんです。清き日本なんてものはちゃんちゃらおかしいぜ! ってことで。僕も故郷に帰るときいつも見ていた工場群の向こうの富士山をなんでみんな映画に撮らないんだろう? ってずっと思っていました。
映画秘宝 2011年 03月号 [雑誌]

 これ読んでね、ええ、これはいいなって思ったの。富士山に工場というのはいいんだ。

 この写真は、静岡どころか横浜の根岸、磯子あたりの工場なんだけど、俺はこの景色好きなのよ。

 展望台からは富士山が見えた。富士山の手前に工場やタンクがあって、まるで富士山の麓までずーっとこういう工場がつづいているような妄想にとらわれた。

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 俺もね、お金ないところで、いろいろあってね、それでブルク13でやってる『キック・アス』と迷ってね。けど、富士山と工場込みなら、こっちだろうって思って、鴨居とかいうよく知らんところまで出て、ららぽーと横浜の映画館で観たわけよ。

感想

 で、感想書くよ。あ、富士山と工場はばっちり出てきたよ。でさ、昭和の話になるかもしらんけどさ、ヤクザ映画観終わると、観客が肩をいからせて映画館から出てくるとかさ、そんなんあるでしょ。観てきた映画の影響うけちゃう、みたいな。それで、『冷たい熱帯魚』もそんなところがあって、なんかこう、スカっとした気持ちになって、わりかし足取り軽くっていうか、思わず笑みがこぼれちゃうような感じになれる。ぐじぐじ、ぐだぐだ、もやもや考えたり、悩んだり、クソ無駄っぽいし、もっとパッカーンってやっていこうよってさ。植木等の曲なんか流れてきちゃったりして、へんなステップ踏んだりとか、そういうさ。まあ踏まないけどさ。でも、映画の帰り道、冷凍餃子をたくさんスーパーの袋に入れたババアがいて、思わず吹き出したね、おまえナイスタイミング大賞。
 まあ、マジで人間、おおよその人間がしょう油持ってろってより、持たされる側だ、あるいはそのどちらでもない立場でその場にいるっていうか、いねえっていうか、まあそんなんなるのはよくわかる。おまえに言われんでもわかっとるし、だいたい俺は写真だけ出てきた行方不明のやつ、みたいなもんだろうよ。
 そんでもね、こう、そうだ、スッキリしたいってのはあるし、なんだ、やっぱり生きるってのは、腹から声出して、二本足でしっかり立ってさ、あらよって一仕事終えたらおいしいコーヒー、そういうもんじゃねえかって。いやね、そんなんじゃなくても、なんかこういろいろ言うやついても、同じ血の流れてる人間っつーか、血と肉と骨でできてるもんでしょって。そこんところの再確認みてえな、おう、そんなもんか! そんなもんや三度笠、みたいなね、そういう気づきみてえなのは日々生きててあんまりないしさ。それで、服とか着て偉そうにしてるやつも、元素に還元していけば鉱物と一緒の起源なわけだし、同じ世界はこの宇宙に数えきれないほどある。あんまり心配しなくていい。
 そういうわけで、映画にはいろいろあって、「いいなこれ!」って思うものでも、こっちに宿題渡してきたり、考えさせられるものみてえなのもあるけど、『冷たい熱帯魚』は、サクっとしててスッキリする。こんなんでしょ、おお、それそれ、それよ、って具合の、そういう映画。そこんところ外してない。気分がカラッとして、フラットになるし、足取りも軽くなる。世界が軽くなって、俺は息がしやすくなった。この効用がいつまで続くかわからんけれども、なんか不愉快な目にあっても、ボディ透明にしてやろうかみたいな、そこんところの気分があるかぎりけっこう自由だし、まあべつに捕まるわけにはいかねえんだ、みたいな荷物もないようなもんだし、あれ、俺って思ってたより生きやすいんじゃねえかってさ。
 いやね、いろいろ御託並べたりとかさ、時代がどうのとかなんとか、俺にだって用意がないわけじゃねえけれども、いろいろ感想考えてて、それでも湧き上がってくる感情といえば、この妙にスカっとした、すっきりした高揚感みたいなもんだったし、露悪趣味みてえなところもあるんだろうけれども、なんかこの気持よさみたいなものがね、思いのほか大きくて。もちろん、趣味に合わない人もいるだろうし、俺もそれほど血と肉多めの映像とかが好きなわけじゃないんだけどさ。だけど、俺が観た回も、シアターいっぱいのお客さんだったし、ネット上の感想はまだあんまり読んでないけど、激賞してる人も多いみたいだから、この映画のあり様みたいなものは、けっこう今の世界にフィットしてるところもあるんじゃねえかとか。全ての馴れ合い常識納得、予定調和のルールの作り笑い、したり顔の偽善、そんなものを一切取り払ったあたりがさ。まあ、俺が予定調和の作り笑いを、今、ここでしていると指摘されても、それを否定する材料もねえんだけど、でも、このスッキリ感はじつにリアルなんだ。
 それで、俺としても、もっとこの、そういうサクっとしててユーモア風味のある、カラッとした仕上がりの唐揚げみたいなもんを、こう、この気分のよさを、表すことができるのならば表していきたいとか、そんな風に思った。おしまい。
 
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