観音食堂の日

 書き忘れていた日記。大船の観音食堂に初めて入ったことである。
 観音食堂をご存知だろうか? 大船駅の観音様とは逆方向の、新しくない出口を出て道を渡る。交番があって、島森書店があって、その並びにある。

 外から中はいっさい見えない。営業しているのかどうかも定かではない。店構えは昔から変わらない。俺は小学生のための進学予備校に通い始めてから、中学、高校、そして大学からニートへとすべての間、大船をうろついてきた。うろついてきたが、観音食堂がなんなのかさっぱりわからなかった。客の出入りを見たことがなかった。ただ、観音食堂はいつもその角にありつづけた。鎌倉書店がなくなっても、ありつづけた。

かんのん食堂の中が見られて感動。あれが一体なんなのか、じつに二十年気になっていたといっても過言ではない。

出没!アド街ック天国 大船 - 関内関外日記(跡地)

で、その正体、近くの魚屋さんがやっている食堂であって、御年九十超のおばあさんが包丁を握っている云々。まあ、それなりのお値段だし入ることはないだろうけれども、謎が解けてすっきりした。いや、本当に。

 まあ、その正体は「出没!アド街ック天国」が教えてくれた。偉大なるかなテレビ東京

 して、知ったところで二年三年、今や横浜はじまったな市民になってしまった俺は大船に行く機会も少なく、食堂を訪れる機会もなく、またそれほど行きたいとも思わず。
 が、なぜ急に行ったのだろうか。行く気になったのだろうか。行ったのは3月21日である。直後とは言えないが地震のあとである。外食産業が困っているという話もあったが、それよりもなによりもやはり今のうちに行っておくべきだと思ったのだ。行っておかなければならない、と。
 そして、行ったところでどうだったか。果たして、観音食堂は普通の食堂であった。ただ、特筆しておきたいのは、店内がほぼ満員で、また次から次へとお客さんが入ってきたことである。飲食店に閑古鳥、というのとは無縁であった、少なくとも俺の行った日の昼には。

 ついに俺は観音食堂で飯を食った。それに俺は大船の「城」にも行ったこともある。幼き日に見たあの場所に。ただ、あとひとつ大船に心残りがあるとすれば、それはキャバレーホンコンである。昭和の小学生であった俺は、サラリーマンになったらキャバレーに行くものだと思っていたし、それはキャバレーホンコンかもしれないと常々思っていた。鎌倉書店がなくなり、キャバレーホンコンもなくなって久しい。
 小学生の俺に会ったら謝りたい。俺は大学も出られなかったし、スーツを着るサラリーマンにもなれなかった。ホンコンに限らず、キャバレーにも行ったことはない。ただ、観音食堂には入ったし、飯も食った。観音食堂で飯を食う大人にはなれた。それだけは伝えておこう。知りたくもないか。