夢の中で逢った、ような……燈台、あるいは花咲くいろは花咲かないいろは

 アイフォーンのホームボタンを押す、バーをスライドさせてロックを解除する、ウェザーニュース・タッチをタップして立ち上げる、関東地方をタップする、千葉県をタップする、いちばん右端の天気アイコンをタッチする、付近の様子をタッチする、ライブカメラにあの景色が映る、私はその場所に行きたいと思った。

 私はその場所に行きたかったのか、行ったのか、あるいは夢で見ただけなのか。

 その宿に入った瞬間から俺の頭にはひとつのフレーズがリフレインする。

 「涙の雨が頬をたたく たびに美しく」……高浜虚子だったろうか。

 「ときに、さきの津波、ここに被害はなかったのかね……」
 「ええ、おかげさまで、芝生に少し海水が入っただけだったそうでございます」
 「それは息災、して、だったそうとはどういうことかね……」
 「はい、わたくし自宅におりまして、いちばん低いところにありますから、あわてて坂を駆けあがって避難したものでございます。あとから聞きましたところ、この宿ではどなたもお逃げにならなかったとのことでございます」
 と、ルイ・ヴィトン・ガール。

 なめろうでヤックス。

 「ときに、夜明けは何時頃になるかね……」

 「四時四十四分でございます……」

 そして私には夜明けが来た。「私、輝きたいんです」……高村智恵子だったろうか。

 「鰯がうんと食えるそうだぜ」
 僕はすぐそばにいた荒畑(寒村)に、きのう雑役の囚人から聞いたそのままを受け売りした。幾回かの入獄に僕らはまだ、塩鱈と塩鮭との外のなんらの魚類をも口にしたことがなかったのだ。

 で、この話を聞いた僕には、それが唯一の楽しい期待になっていたのだ。
 「そりゃいいな。早く行って食いたいな」
 荒畑も、そばにいた二、三人も、嬉しそうにほほえんだ。


 夜明けに大杉栄の獄中記を思い出していたろうか……。

 「昔、犬はびょう、びょうと鳴いていたんだよ」
 (そんなはずがあるわけなかった)

 「え〜、嘘ばっかり」
 (そもそも、あのライブカメラ映像も、天気をたしかめるために見て、「あっ」となったのだ)

 「ここの海もびょうびょう鳴くから、地名がついたんだよ」
 (「あっ」というのも、宿のウェブサイトでその景色を見ていたからだ)

 「馬鹿みたい」
 (一度目の人生で見なかったことにはできないことがあって)

 「馬鹿みたい」
 (その代償にいつわりを書きつけたくなるから、この日記はあるのだ)

 その種すら明かしてなにを証そうというのか。
 「馬鹿みたい」

 ここは……伊東温泉……だったような。

 さようなら。

 トンネルを抜けると。

 燈台は明るく。

 魚に食いつかれている。

 私は九十九段の階段を登ったのだ。
 「もし地震が起きましたら、階段では段に座り、塔の上では中心部の壁に背を当てて、足を伸ばしてやりすごしてくださいませ」

 ありがとう、ガール。さて、ガール、どこかな?

 君は、どこにいる?

 「ときに、君はガールか……。いや、君はヴィトンのバッグを持っていないからにせものだ」
 
 ...Ever get the feeling you've been cheated?

〜つづく〜

関連していない