パチンコ玉と発煙筒、女性自身のアナーキズムについて

 こないだちょっと奥崎のインタビューを読んで以来、奥崎謙三を見なおさなければという思いに駆られ、『ゆきゆきて、神軍』をみたり、『ヤマザキ天皇を撃て!』を買って読んだりしている。涙なしには読めず、まだ途中である。
 で、冒頭で井出孫六の「奥崎謙三に関する覚え書き」についてちょっと書く。

 昭和四十四年一月三日の新聞を、私は待ちきれぬように開いて、その社会面に目を注いだことを記憶している。すでに前日一月二日のテレビで、私は、ひとりの中年の男が新春皇居参賀の群衆にまぎれて、バルコニーの天皇めがけてパチンコ玉を数個ゴムパチンコで撃った、というニュースを耳にしていたが、より詳しい記事に接したかったである。
 同じ一月二日、やや時をおいて、同じ場所で発煙筒をたきアジビラをまいて去った男がいたという事件も起こった。残されたビラから、それはあるアナーキストのグループらしいといわれたが、この二つの事件のうち、前者の方が私の注意をいちじるしくひいたといってよい。なぜなら、後者のそれはあるグループによる宣伝を含んだ一定のアジテーションと推定されるのに対して、前者のそれは仲間があるでもなく、また周囲に呼びかけるのでもない、たったひとりの彼自身の営みに終始したらしく、すぐれて個人の内面的なものを伴う行為だったのではなかと思われたからである。

 ちょっと長く引用したが、ここでむしろ気になったのは「後者のそれ」だ。皇居で発煙筒? どっかで……。


 なぜかわからんが(まあ一家離散のごたごたで親父の本棚から紛れこんだのだと思うが)俺の手元にある、
天皇制破壊への渦動-1・2皇居発煙事件訴訟記録-』(1971年9月16日<大杉栄ら虐殺記念日>発行*1)ギロチン社・ネビース社・黒色戦線社 共同出版)の中身そのものじゃねえか!
 これはパラパラめくって、埴谷雄高の証人供述が勉強になるのと、最後のアジビラの内容くらいしか読んでなかったが、そうだ、これだよ、気づかなかったな。
 と、この裁判で、共犯として訴えられてるアナーキスト・大島英三郎って『ゆきゆきて、神軍』に出てきたじゃねえか! と、また驚く。そう、遺族役として奥崎に同行してたじゃん(このあたり、目的のためなら平気で嘘をつくのも厭わんところは好き嫌い分かれるところだろうか。え? それ以前の問題?)。なんかアナーキズム世界では当たり前の話なのかもしれんが、ちょっとびっくりした。

 と、また井出孫六の話に戻ろう。いったいどんな男が事件を起こしたのかと新聞を開いた井手だったが、朝日新聞には、「不動産トラブルで刺殺事件を起こして十年の懲役の後出所した軽度の偏執性妄想狂と診断された男が昨年十二月二十五日に交通違反取り調べを受けてムシャクシャしてマスコミを騒がせたくてパチンコで撃った」的なことしか書いてなかった。それでも井手はほかの新聞も買って読んでみて、ただ毎日新聞のみがこう記事にしていたという。

 ……奥崎はこのとき、バルコニーの前方約十五メートルのところから手製のゴムパチンコでパチンコ玉三個をたて続けに陛下めがけて撃った。さらに「ヤマザキ天皇を撃て」と声を上げて周囲の関心を引き、パチンコ玉をもう一発撃った。

 奥崎は近くにいた皇宮警察護衛官に「オレがやった。一緒に行こう」と叫び、おとなしく同行した。奥崎は元工兵で、戦争にも行ったことから「皇室に対し、かねてからなにかしてやろうと思っていたが、年末、交通違反で警察に取調べられてムシャクシャしていたので、マスコミを騒がせるためにやった」といっている。

 この記事を読んで、井手は「時代的背景がくっきりと浮かび上がってきているといってよい」と考える。

これを「軽度の偏執性妄想狂」とみるか、「戦後二十四年の時間に裏打ちされた行為」とみるかによって、四十八歳の元工兵奥崎謙三の人間像は雪と炭のように異なってくるというものではないであろうか。

 ただ、毎日の記事も記者が見聞きした取材を取り入れているものの、警察発表の偏執性妄想狂の線を崩してはいない。このあたり、国家が思想犯、確信犯の犯行自体を隠そうとする意向が見て取れるかもしrない。朝日平吾もテロ前に各所に声明文を送りつけていて、北一輝がこんなふうに述べていたという。『朝日平吾の鬱屈』166ページから孫引きする。

 第三者として、彼は立派な殺し方であり、且つ立派な死方であつた。然も夢にも知らない僕の名など出して遺言する等は、死後、事件を迷宮に入らしむる落ち着いた謀事で、大いに感心している。之はよく革命家などが問題を外らす為にやる手段だ。

 この「問題を外らす」というのは、問題を「逸らす」のとは逆の意味だろう。
 ……ってまあ、なんというか『ゆきゆきて』を見れば、それがかなり常軌を逸しているものとはいえ、奥崎の行動はなんというのか、魂のところから出ていることはわかるし、ムシャクシャしてるなら、ずっとムシャクシャしてんだろうとは思う。が、とりあえず経歴だけ見ると新聞がそう伝えるのもむべなるかなと思わんでもない、正直、いや。
 で、この奥崎の事件は、その後ほとんど続報がなく、ただ「女性自身」のみが事件直後と次号、さらに一年後に本人との接見をもふくめた追跡取材をしたと紹介されていたわけである。え、「女性自身」ってそういう雑誌だったの? なんで?
 これは正直なぞだったが、その後ちらちらインターネットをうろついていて、こんな記事を見かけた。
wikipedia:竹中労

1959年 - 「ルポライター」を名乗り、「女性自身」のライターとなる。

 正直、竹中労のこと知りません。でも、アナーキストとある。「女性自身」とある。奥崎の件は1969年だけど、その線か! みたいな。
wikipedia:女性自身

1958年創刊。創刊時はアメリカの『Seventeen』と提携したファッション雑誌であった。しかし売り上げが伸びないため、皇室ネタを中心にした女性週刊誌として大幅に方針転換されていった。

 え、どういう意味で?
 と、思ったら、今日こんな話題を見たりして。

 女性違いだけど、「女性セブン」が宮内庁からお叱り食らってら。って、過去ログ見たら、「女性自身」も食らってるな。

 いや、少ないな。もっと頑張れよ。
 いやいや、そうじゃなくて、なんかその、女性誌とかいうものとか、そうだ、皇室ゴシップとか、美容院行って帰ってきたおかんが急になんか言い出したりとか、あれって、アナーキズムのパチンコ玉が発煙筒を弾いて煙ってたりしたもんだったのかよ!
 ……って、そういうことなのかは知らんが、なんかいろいろ歴史はつながっているものですね。おしまい。

*1:奥付にそう書いてあるんだもん。