中山雅洋『北欧空戦史』を読む

中山雅洋 北欧空戦史 (学研M文庫) フィンランドスウェーデンノルウェー、北欧三国。これらの国について、いったいどれだけのことを知っていたかというと、ほとんど知らなかったといってもいい。地理か世界史かのテストで、バルト三国とともに並び順くらいは覚えようかというくらいなものだった。そして、冷戦生まれ中曽根育ちの世代として、これらの国が西側か東側か? というのもいまいちイメージしていなかったし、ましてや第二次世界大戦にどう参加していたなんかはまあ知らない。知らなかった。

 まあそれで、『フィンランド上空の戦闘機』なぞ読んでいくらか知ることはできた。ただ、『フィンランド上空の戦闘機』はやはりあくまでフィンランドのエース・パイロットの手記であって、もうちょっと引いたところからの光景というとどうなのかというと、どうもこの本なんじゃないかというような。
 というわけで、「貧乏国」の「田舎空軍」がいかに戦い抜いたか? という話なのである。このあたりをわりと軽妙洒脱に描いているのである。その当時で航空博物館に置いといたほうがいいような飛行機しか持っていなかったところから、いかに? と。
 って、実のところドイツも先の大戦の結果「田舎空軍」で、しかも飛行機飛ばすなよくらいの話のところから出発していて、ひそかにソ連で研究と訓練していたりとか、スペイン内戦で腕を磨いたとか、そのあたりの話も載っていて勉強になるのである。ちゅうか、ナチス・ドイツとソヴェート連邦の、独ソ枢軸の線という(世界の嫌われ者同士)可能性も歴史のifとしてはありえたわけで、わりとなんというのか、なんなんだろうかというか。そして、ガーッと電撃戦やらかしたドイツも結局は滅び、なんつーのか、やはりソ連というのは大国ではなく超大国だったのだな、とか。そしてまたアメリカも、とか。まあ、いろいろ思ったりもしつつ。
 で、そんな超大国と大国がバルト三国ポーランドをあんなんしちゃってて、どうしようってなんのも当然で、そこんところは大変だよな、みてえな。干鱈でイタリアから軽爆撃機(カプロニC310←パイロットたちからも干鱈呼ばわりされて役に立たなかった欠陥機だったとか)買ってきたりするわ、とか。
 そんで、あと、この、フィンランドの青いスワスチカと深い関係にある、スウェーデンwikipedia:カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵とかな。爆撃機に改造?したDC-2旅客機とオランダの複葉機2機を自腹で買って馳せ参じる。つーか、このハンシン・ユッカ号の珍妙な爆撃行やその後の活躍、あるいはその複葉機コールホーフェンFK52のエピソードとか興味深いっつーか、この伯爵の伝記みたいなの日本語で読めないのかよ。二次大戦後はアフリカでビアフラ戦争とかに参加して、最後は戦死したらしいんだが、なんとも興味深いじゃないか。
 まあそれで、ともかくルーッカネンさんの本じゃフォッケル→ブルーステル→メルスみたいな感じしかわかんなかったけど、日本以外のほとんどの国の軍用機が北欧方面に大集合している感じみたいな、さらにはフランス機にソ連のエンジン載せたらすげえ使えた(ラグ・モラーヌ)とか、そういうのがあったんだな。というか、そうか、二次対戦時のアメリカとソ連は仲間で、レンド・リース法とやらで大量の米英軍機なんかがソ連側に提供されていたのかとかいうと、冷戦生まれロン・ヤス育ちとしては、なんつーのか、知識としてわかっていても、なんかピンとこないところがある。赤い星のハリケーンスピットファイア、P-51にP-40にP-38とか、そんなのあったんだ、みたいな。でも、幸いにもソ連の搭乗員教育がそれに間に合わなかったという事情もあるらしいが。
 ところで、ルーッカネンさんの本で、ソ連の軽爆を追ってたら急に脚を出してブレーキをかけてきてびっくりしたとかいう話があったんだけど、あれはソ連流らしいな。

カリマ……普通の回避操作や、旋回機銃による応戦の他に、ソ連機が好んでよく使った手は、いよいよやられそうになると、戦闘機も爆撃機も突然脚やフラップを下ろすのだ。そうすると、つんのめるように速度が落ちて、戦闘機の場合は、追う者が追われる者の前に飛びだしてしまう。冷汗はかくし、あわてるし(大笑)。

 この変態的な急ブレーキは、プガチョフ・コブラとかいう現代機の機動に引き継がれているのだろうか……。

 つーか、現代の戦闘機同士の戦いってどんなもんなんだろう。コブラもデモンストレーションみたいなもんらしいし。よし、そうだ、ちょっとPS3エースコンバット買ってくる!(←役に立たないと思う。なんか本読むか)。
 で、このカリマさんも10.5機撃墜のフィンランドのエース。というか、最後の章は著者がフィンランドを訪れて元エースの集いで話をちょくせつ聴いているのだった。

ユーティライネン……日本のエース達は、追われたらどうやっていたのかね?
中山……私はグライダーの操縦しか習わなかったから、記録による知識しかありませんが、フットバーをふんで機を横滑りさせたり、格闘中はひねりこみに頼っていたと思います。くわしいことは坂井三郎さんにでもきかないとわからないでしょう。
ユーティライネン……そうだ! 私は今日あなたと一緒にサブロー・サカイもくるのかと思っていた。

 みてえな。
 しかしなんだろうね、まあちょっと第一次世界大戦の空戦ことも現代の航空戦のこともまったく知らないけれども。戦争である個人がその武勇で名を残すというか、そういうのってもう二次大戦が最後だったのかな、とか。いや、ベトナム戦争の名狙撃手とかいるのだろうけれども、こう大量に大空のサムライたちが飛び、中にはすげえやつがいたし、地球の向こう側まで名前が知られていたり、みたいな。
 さらにいえば、戦技というか、レシプロ機(と、初期ジェット機、ロケット機?)に乗って、なんつーのか、人間の技術や技能、肉体の延長線で3次元の空間を最大限に動き、戦ってたのもそれが最後なのかな。でも、まあ戦争という要素を抜いたら現代のレッドブルのエアレースやアクロバット飛行のほうがすげえのかな。つーか、やっぱり現代の戦闘機の戦い方もようわからんし。つーか、まあ大規模な世界大戦が起こってない、互角みたいな空軍同士の空戦が起こってない(湾岸戦争でも空戦はあったみたいだけど)のは喜ばしい話に違いない。
 と、まあしかしなんだろう、坂井三郎の名前が出てきたりして、なんというのか、じゃあ日本は? みたいな、そういう気持ちが、この本を読みながら常にあったのもまた確かな話であって。いや、ミッドウェーで零戦バッファローをカモにしたからその比較で……とかじゃなくて、大日本帝国の版図でも、現代日本の国力でもいいけれども、こいつをこう、客観的に見たら、とかね。この北欧三国に比べたらやっぱり大日本帝国はでけえし、今だって人口すげえ多いしとか。
 でもなんつーのか、この、幼い頃からの、「日本は小国ながら世界を敵に回して戦ったのだ」という意識、それこそ、幼稚園の親子参加の木工授業で木片を飛行機風に十字に釘打ちして、緑色に塗って日の丸描いて「ぜろせん!」って言ってた(※注:親父は自らを新左翼と規定していたのですがね。まあ反米)意識というか、俺の中の小さな国、日本観みたいなものの在りかとか、そういうところね。自らの国土がか弱いと思うところにこそトポフィリアが生じる、愛国心が生じるのである、みたいな。でも、そうとも言い切れねえなというか。
 むしろ、たとえば、北欧三国の戦争に、北欧三国寄りで見てしまい、そこになにかこう、ありえなかった日本の防衛戦争というか、小国が必死に生き抜いたみたいな美談というとなんだけれども、そういうものではありえなかったあたりを仮託したくなるみたいな、そういう意識がおれのなかにあったかな、とか。
 むろん、あのとき日本はどう決断するべきだったかって、『ゆるゆり』の合間のCM見て考えたりもするけれども、まあともかくこのあたりはわりときちんとした歴史知識や歴史観のない人間が突っ込んでいってはワンショットライターであって、沈頭鋲のごとく頭を引っ込めて、考えたり考えなかったりいろいろしていったりいかなかったりしようと思います(まあ頭引っ込めてつるりんと空力抵抗なくなったところで知的成長は見込み薄なのだろうけれども)。
 ああ、あと、やけにたくさん出てくる「ついてないカタヤイネン」のエピソードや、「エープリルフールの戦闘機」J21や、戦後、「空軍か福祉か?」みたいになったスウェーデンとか、気になる話とかいろいろあったんだけど、まあこのへんでおしまい、と。