俺はわりとジュリーいいと思うんだけど

 ここが問題でジュリーの判断がほぼ絶対のものになっている。これでは畳の上の審判は何のためにいるのかということになる。

旗判定が一変…柔道、競技に水を差す「ビデオの目」 :日本経済新聞

 柔道といえば中学生の頃に体育の授業に取り入れられていたせいで、使い道のない柔道着を買わされていくらか受け身の練習をしたことがあるくらいで、視聴者としてもほぼ四年に一度に近いおれが思うに、前のオリンピックに比べて柔道よくなってるなって。なにがいいって、効果がなくなったり、レスリングのようにタックルだらけじゃなくなったり、寝技を見るようになったりと、まあ解説の受け売りだし、「本来の日本柔道」とかそういうのも知らんけど、まあ見てておもしろいと。
 そして、問題のジュリーについても、悪くねえんじゃねえかって思う。そりゃあの、旗判定全部ひっくり返ったあれはいったい? みたいなのはリアルタイムでもツイートしたりしたし、どうもジュリーの立場がそれほど明確でない以上、最後の介入はどうなのか? というのはあるけど、いっそのことジュリーの立場を主審以上くらいにしてもいいんじゃねえか、副審は必要なのか? とすら思ってしまったりして。
 たしかにまあ、一度主審が「技あり!」とか「一本!」とか判定したのが覆ったりするのは、流れ的に微妙なところはある。あるけれども、あの篠原vsドゥイエ(と、そのあとの一部の日本人……というかおれの父もその一人で、えらく軽蔑したものだが)を思い出して欲しいが、あれに比べたら微妙でいいじゃねえかくらいの。
 そう、われわれ視聴者は(会場のお客さんはどうかわからないが)、問題のシーンを、専門家の解説付きで何度も見ることができてしまうのだ。そして、素人にも、背中がしっかりついているかどうかくらいは見えてしまうのだ。それが、主審の判定と大いに違ったら? これはどうも、すっきりしないというか、おもしろくない。
 まあ、「おもしろい」ために柔道をやっているわけじゃない! と柔道者に言われれればそれまでだし、そこんところの内心はわからんので、競技者が「いくら間違えられても主審の目を信じたい」というのであれば、それはそうなのでしょうとしか言えんが、まあもとより性能に限界のある人間の一瞬の判断がどこまで正確か? 同じ専門家でもリプレイをスローで見た方が正確ではないのか? そして、競技者は正確な判定を望まないのか? そんなふうに思えてしまう。
 というわけで、わりとなんというか、もうこうなってきた以上は、フェンシングみたいな電子的な方向に進んでみてもいいかもしれないし、判定を出すタイミングの問題とか、そもそもの判定の優先度とか決めたほうがいいんじゃねえかとか、まあ、柔道といえば中学生の頃に体育の授業に取り入れられていたせいで、使い道のない柔道着を買わされていくらか受け身の練習をしたことがあるくらいで、視聴者としてもほぼ四年に一度に近いおれは思うのだった。おしまい。