アドルフ・ガーラント『始まりと終り』を読む

始まりと終り―栄光のドイツ空軍

始まりと終り―栄光のドイツ空軍

彼は、われわれの隊について要求することは何かとたずねた。メルダースは、もっと強力なエンジンを装備した一連のMe-109が欲しいといった。その要求は受け入れられた。「それで、きみは?」とゲーリングは私に向かっていった。私はためらわずにいった。「自分の隊にスピットファイアを装備してもらえればと思います」いってしまったあとで、私はかなりのショックを受けた。そういったのは本音ではなかったのだ。もちろん、基本的に私はMe-109の方がスピットファイアより好きだった。だが私は、司令部の理解の欠如と頑固さにひどく頭を悩ましていたのだ。そこから与えられる命令は、われわれには罪のない幾多の欠陥のために遂行できなかったし、やれたとしても不完全にしかできなかったのだ。私の厚顔かぶしつけな言葉に、ゲーリンクは唖然とした。彼は足音も荒くその場を立ち去り、歩きながら罵りの声をもらしていた。


■言うまでもなく、この「私」はアドルフ・ガーランドである。本書の著者名は「ガーラント」となっているが、今ではガランドないしガーランドが一般的なようなので。ほか、本書では「ゲーリンク」や「シュペール」などの表記だが、以下も現在一般的とおもわれる表記にする。表記する機会があればだが。

■「言うまでもなく」といったところで、おれもこのエピソードをなんとなく知っていただけで、ルフトバッフェ初心者なのである。「空対空爆撃」のハインツ・クノーケと「赤い彗星」ヴォルフガング・シュペーテの手記を読んだくらいのものなのである。

アドルフ・ガーランドは『北欧空戦史』の表現で言えば「田舎空軍」のひとつというか、それ以前に禁じられていた空軍の創生期からのパイロットであり、コンドル軍団の一員としてスペイン内乱に参加したりして、エースになって、エース過ぎて落とされるといかんので地上勤務な、となって、それでもルーデルとかいう人みたいに勝手に飛んでたりしたんだけど、結局は戦闘機隊総監だの最年少少将だのになるんだけど、上層部や内部のいざこざで最後は飛行機乗りに戻って、ジェット戦闘機Me262を駆るスーパーエース部隊JV44を率いたりした人物である。

■そんななんかすごい軍人で、じっさいにすごくすごいのは言うまでもないが、わりと長い本書を読んでいて感じたのは「中間管理職」という言葉である。第三帝国の、ルフトバッフェの中間管理職。ちょっとニュアンスはずれているかもしれないが、現場に理解のない総統や国家元帥と、自分もすぐにでも戻りたい戦闘機乗りたちとの板挟みというかなんというか。まあ、戦闘機隊総監というのも妙な立場なのだが。

■というか、シュペーテの手記に、新機種のお披露目かなにかでゲーリング元帥に声をかけられ「ここは前線の基地で、おれとおまえは同期の戦友だとしよう。本音で言ってくれ、実際は何機落としたんだ?」とかなんとか撃墜数を疑われるエピソードが出てきたが、国家元帥殿は戦闘機パイロットに対してえらい不満と不信感を抱いていたようで、少なくともガーランドの記述からはそう読み取れる。

■これはなんというか意外だった。勝手にBf109やFw190が花形であり中心であると思っていたら、元エースパイロットのゲーリングがえらくそのパイロットたちの敢闘精神や能力を疑っていたというのは。あるいは、ゲーリング自身がパイロットだったがゆえの部分だの、単純に新しい世代の戦闘機のあり方や制空権についての理解が足りなかっただけかもしれないが。

■とはいえ、こんなやりとりもある。

 ゲーリンクはじっと私の目を見て、言った。
「飛行機から脱出するパイロットを射てという命令を下されたら、きみはそれをどう考えるか?」
「私はそれを殺人と考えます。あらゆる手段をつくして、そのような命令には服従しないように努力します」と私は答えた。
 ゲーリンクはその両手で私の肩を押さえて、言った。「まさにそう答えてくれることを期待していたんだ、ガーラント第一次大戦中に同じような考えが出されて、やはり戦闘機パイロットに強く反対されたことがあった。

 この会話の裏には、軍のどこかからそうすべきだという意見が出て、ゲーリングが自分たちの支持を望んだということがあるのだろうと著者は書く。さて、この会話の記された章のタイトルは「戦争はクリケットの試合ではない」である。そういったのはイギリスの両足義足のエース・パイロットであるダグラス・ベイダー(http://en.wikipedia.org/wiki/Douglas_Bader)。ガーランドと捕虜となった彼とのやりとりは興味深い。すっかり打ち解けて、一度メッサーシュミットの操縦席に乗せてほしいと頼まれ、それに答えると、こんどは「どうか飛行場の上空をひとまわりさせてください」とベイダー。さて、どうなったか。

■話を戻すと、さらに厳しいのは総統であって、わりと的確な判断をするときもあったのに、高速爆撃機を作ってとにかく報復だ、Me262を爆撃機にしろ的な、戦闘機を爆装して爆撃に使え的な、いきなり防空は高射砲一本で行け的な、そんなあたりの強力で無慈悲な絶対命令を降ろしてくる。国中絨毯爆撃にさらされながら、ようやく防衛戦用に必要な戦闘機とパイロットを用意したと思ったら、前線で反攻に出ろとかいわれてかっさわれる。そんな愚痴がいろいろと出てくる。「総統の命令だ!」

■ほか、出てくる幹部としてはシュペーアとミルヒには好意的というか、非常に厳しい状況下で戦闘機増産させた能力を買っている感がある。wikipedia:エルンスト・ウーデットについては、この上なく人間的な魅力に溢れているとしているが、果たして軍幹部としてはどう見ていたのか。急降下爆撃偏重の礎みたいなところがあるように見えるが、さて。

■しかしまあ、なんというか変な話ではあるが、やっぱり「日本ばかりではなかったのだな」という妙な感想を抱きもした。いまいち最終目的が無計画で、無駄に広がるばかりの戦線、敵方の圧倒的な物量に比べて圧倒的に少ない資源、成功体験に執着しすぎてせっかくの技術が宝の持ち腐れになる、総力戦言いながら軍部での縄張り争い……。幸福な家庭はみな似るが、などというが、戦争に負ける国にはみな一緒のところがあるのかどうか。負けに不思議の負けなし。

■まあ、そんななかでガーランドは決してゲーリングイエスマンになったりせず、やるだけのことはやった、言うだけのことは言った、というあたりを言いたいのだろうし、戦闘機乗りたちはよくやったんだと言いたいのだろう。そしてまた、ドイツがどれだけの量の爆弾を落とされたかということも言いたいのだ。サー・アーサー・ハリスに言ってやりたいのだ。

■戦記ものとして読み応え充分であって、自身の空戦は被撃墜の箇所、あるいは指揮する立場として、シャルンホルストグナイゼナウプリンツ・オイゲンの海峡突破作戦だとか。そして「終り」。

 一九四五年一月、われわれはヒトラーが命令した私の部隊の編成に着手した。わが第四四戦闘機集団がブランデンブルク=ブリースト地区でかたちをととのえつつあるという知らせは、急速に各戦闘機隊にひろまった。第四四戦闘機集団というのが、われわれの公式の名称だった。
 シュタインホーフがパイロットの再訓練を担当した。リュツォウがイタリアからかけつけてきた。東部戦線で三〇〇機あまりの撃墜を記録したバルクホルン、ホーハゲン、シュネル、クルピンスキーらは、病院からまんまと逃げ出してきた。多くの者が許可も転属命令もなしにやってきたのである。彼らのほとんどは戦争の第一日目から戦ってきて、全員が負傷した経験を持っていた。彼らの全部が戦争の傷跡を身につけ、最高の勲章を与えられていた。騎士十字章こそが、いわばわれわれの部隊の紋章だった。技術と数の劣勢を長きにわたって忍んできた末に、いまやもう一度空における優越感を味わいたいと望んでいた彼らにとって、ルフトバッフェの最後の戦闘機パイロットにして、最初のジェット操縦士として名を残すことこそ本望だった。そのため彼らは、もう一度その生命を投げ出す覚悟を固めたのである。

 ……と、なにかマンガやアニメなら最後の大逆転でも起こしそうな雰囲気ではあるが、結果は知ってのとおりである。ただ、本書ではこのあとのJV44のエピソードも多くなく、そのあたりも含めてまたなにかべつの本にあたる必要があるかとは思っている。おしまい。

関連☆彡

 シュペーテの名は本書にも二回くらい出てきたが、コメートがらみでちょっと触れられただけ。戦前から有名なグライダー・パイロットとか言われてた。シュペーテも最後はMe262に乗り、撃墜も記録しているけどガーランドの部隊ではない。

 この本にガーラントとの絡みが出てきたか覚えていないけど、パンツ一丁で寝ていたらゲーリングから電話があってお褒めの言葉をいただいたという話はあった。

ベルリン飛行指令 (新潮文庫)

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 冒頭、ガーラントは「自分の隊に零戦を装備してもらえればと思います」というのが正しかった……などと発想してしまうのは、大昔にこの本を読んだからだろう。たしかおもしろかったはず。