- 作者: 鈴木五郎
- 出版社/メーカー: 光人社
- 発売日: 2003/02/01
- メディア: 文庫
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「総監、私はMe262で戦うより、乗り馴れた109で心の通じた部下と戦う方が、よりよく任務を遂行できると思います。どうかJG52へもどれますようお願いします」
「ほう、世界初のジェット戦闘機のパイロットにになることを拒否するのかね!」
ゴロップ大佐はけげんな顔をする。
ノンフィクションのなかには当事者自身が自らのことを記した自叙伝のようなものと、伝記作家が書いたものがある。人間というものは不完全なものだし、人間の記憶というものも不完全なものであり、さらには意識的、無意識的に自分の信じたいところを描こうとするものであろう。ゆえに、当事者の証言だからといって無条件に信用できるものではない。一方で、伝記作家がいろいろの資料、二者、三者の証言を集めたり、当時の資料にあたったりしたものが完全に信用できるかといえば、そうとも言えぬ。ものによっては「お前、見てたの?」みたいな気になることもある。
とはいえ、面白ければいいのだ。資料的信用性や価値などは歴史学者が、おそらくは存在するであろういろいろの手法で判断すればよろしい。どうでもいいおれのような人間が読むものは、読み物としておもしろければよろしい。近藤唯之が「男泣きに泣いた」と書けば、「男の人生など三日先もわからないものだ」と思う、それでよろしい。
というわけで、一万ルーブルの賞金首、無電符号「カラヤ・ワン」、「南部の黒い悪魔」ことエーリヒ・ハルトマンとゴードン・ゴロプの会話が上のようなものだったか、どの資料をあたったのかわからぬが、そういうものだったのだろう、などと想像するばかりなのである。そうでなくっちゃやってられない。なにをやってられないのかわからないが。
てな具合で本書は、第一次世界大戦と第二次世界大戦のエース・パイロット20人をざっと紹介する本である。おれはいくらか二次大戦のエース・パイロットの話を読んではいたが、リヒトホーフェン以外の第一次大戦のエースの話などは初めて読んだ。といっても、「フランスの殺し屋」ルネ・ポール・フランク少佐と「情け知らずの空戦理論者」エドワード・マノック少佐の二名が大きく採り上げられているだけだが。そう、日本人のエース、バロン滋野(wikipedia:滋野清武)なんてのもいたんだな、とか。あと、ロンドン上空で火災が発生し……のwikipedia:小林淑人とか。その小林が一次大戦撃墜数第四位のベリイ・ビショップ(カナダ)をたずねたが、ビショップは人から空戦談義を求められても応じない人で、ついに話を聞けなかったとか、そんなエピソードもある。
二次大戦となると、ハルトマン(墜落後ソ連軍に捕まるが、殴って逃げたことがあるとは知らなかった)に、「アフリカの星」マルセイユ、ガーラント、「祖国の空征くレジスタンス」ピエール・クロステルマン、空母レキシントンを救ったエドワード・H・オヘア、「赤色のエース」アレクサンドル・I・ポクルイシュキン、ご存知「大空のサムライ」坂井三郎……と、すばらしいストライクウィッチーズの予習にはいいんじゃないでしょうか。とかいいつつ、自分の中では、実在は実在(だって男だし)とフィクションの区別はけっこう厳密についているのだけれど、まあそんなところ。
あとはなんだろうね、それぞれのエースの逸話の中に出てくるべつの人の話なんかは少量だけあってちょっと気になるな。
ただ赤色ソビエト連邦兵士という、イデオロギーにこり固まった彼らであるから、最終三十五機のスコアをもつウラジミール・D・ラブリネコフ中尉のように、ソビエト領内に撃墜したBf109戦闘機のパイロットが不時着して脱出のあげく、峡谷に逃げ込むのを見て自分もそばへ着陸、あとを追って飛びかかり、両手で絞め殺してしまったというような、ソビエトの英雄かもしれないが、西側から見れば「パイロット同士の情」あるいは「騎士道精神」もない“野蛮さ”に辟易しての、白眼視も手伝っているといえるだろう。
ソビエトのエースについて偏見について書かれたところだが、なんというかこの筆者も(年代的に仕方ないかもしれないが)偏見に凝り固まってるようにしか思えんのだが、なかなかすごい話である。が、この話も検索してみると一発で「嘘やん」ということになるので、やはり素人は伝記ものなど「ふーん」という感じで接するのがいいのかもしれない。
でもって、まあ、個々のエピソードは本書を読み、さらに真偽を確かめたければそうすればいいかも、という感じだろうか。ただ、あとがきで著者が述べていることには、「ああ、そうなのか」という気にもなった。
それにしても、わが日本のエースを遇することのいかに薄かったことか。世界の超エースともなれば、すべて尉官より佐官まで昇進している。ところが日本ときては、陸軍はまだ論功行賞に吝かではなかったが、海軍の場合、エース級はほとんど下士官どまりであり、それでいて指揮をエリートの経験不足な士官がとることもあった。したがって、日本のエースたちは宿命的な下積みに甘んじ、欧米のそれに比べて闊達さに乏しく、悲壮感をただよわせている。
本文中でも旧軍が個人の撃墜記録の認定なんかをやめてしまったというような話も出てくるが、そう言われればそうか。個人の技量というものに重きを置いた戦闘機の設計思想から戦術までやっておきながら、いざ結果を出した者がいてもそれを十分に評価しない。やって当たり前の感じすらあるかもしれない。パイロットの扱いもそれぞれのお国柄が出ているとも(それ以前にお国事情か?)いえるが、現代日本になにかしら通じるところがあるのかどうか、さて、そんなことも考えてしまうが、どうだろうか。
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