『ハンター・キラー アメリカ空軍・遠隔操縦航空機パイロットの証言』を読む

 「先刻勝利を収めた戦争では、多くの英雄たちが戦闘機で飛び回った。しかし、次の戦争では無人の戦闘機で戦うことになるかもしれない。……昨今の航空戦について学んだことはいったんすべて忘れ、次世代の航空戦のために備えよう。それは、世界の常識をくつがえすようなものになるだろう」

 1945年対日戦勝記念日アメリカ陸軍航空軍ヘンリー・"ハップ"・アーノルド大将

 

「お、遠隔操縦のパイロットの話か。非対称的な戦場についての葛藤などが読めるかもしれない」

……と、思ったのだが、おれの目論見は外れた。なにせこの著者は「9.11で祖国がやられたのが許せねえ。けどおれの出世コースから考えると情報将校とかやってたし、国内のAWACのパイロットか、教官になるくらいしかねえ。だったら、不人気な無人機のパイロットに志願してムスリムのテロリストどもぶっ殺したいぜ」(意訳)というタイプの軍人だからだ。

それでもって、無人機が偵察の任務からミサイルをぶっ放す方向に行くところを誇り高く謳い上げるのである。「標的を抹殺できて嬉しいという思いはあった」。

とはいえ、一応、たぶん一回だけ葛藤みたいな心情を吐露している。

家に到着する間際になって突如ショックが襲ってきた。信号待ちをしている時だった。人の命を奪ったのだという事実に茫然自失した。初めての経験ではなかったが、標的が身近な存在だっただたけに頭から離れない。他の空対地攻撃はすべて銃撃を受ける陸上部隊を援護するためのものだった。それなら納得がいく。我々の戦友に銃を向ける名も知らない戦闘員が標的なのだから。

まあ、たぶんここのみである。それ以外は、無人機操縦者とオペレーターがいかに軍人であるか、現代の戦争の支配者であるかという自画自賛の連続である。無論、「無人機のパイロットなんて」という軍の空気に対抗してのことでもあるだろう。

かなり長いことアル・ザルカウィを偵察してきたが、虚勢を張っているただの凡人にしか見えない。AK-47の撃ち方も分からず、盗んだSAW機関銃を使おうとして手こずっている映像もある。映像を見て皆で笑った。AK-47は頭が悪くても子どもでも使える。アル・ザルカウィはそれ以下ということか?

というわけで、なんというか、無人戦闘機の部隊は軍のいろいろなところから信頼を得て、戦場の主役になっていくのである……。

うーん、正直、そんなに面白い本ではない。けれども、「こういう軍人もいるのか」という驚きというか、なんというか、そういうものはあった。それでもって、現在の、今後の戦場、空対地、あるいは空対空の戦争もプレデターやリーパー(最初はラプターと名付けられていたが、三日でF-22に取られたらしい)が飛び交うことになるのだろうという感想は持てた。

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つーか、こないだAIとベテランパイロットの模擬戦でAIが勝ったというニュースがあったが、おそらくはもうそれ以上のものが実戦に投入されていると思って間違いはないだろう。『戦闘妖精雪風』ではないが……。

まあ、そんなもんの現場、立ち上がりの現場の様子を読めるのは、ちょっと興味深いか。そしてあれだ、自衛隊F-2の次期主力戦闘機というやつを作るなら、無人機の方向で一つ、と思うのであった。以上。

プラッツ 1/72 無人攻撃機 MQ-1B L 武装プレデター( AC-3) プラモデル