精神科だか心療内科だかに通うのも一年になるわけだが


 診察券に記されし初診日の日付見て気づく一周忌。精神科だか心療内科だかに通いはじめてちょうど一年になる。
 初めて受診した日のことを思い出す。あれは朝、ベッドの中で体が動かなくなったのだった。脳の命令に体が動いてくれない。まるでなにかが断線してしまったかのようだった。金縛り的な悪夢とも違う、まったくもって初めての経験だった。その後、うつ病の体験談などで似たような表現を見るたびに、「やっぱりあれはそういうものなのだ」と再確認するようになった。
 ようやく体がスローモーションで、滑稽なほどわざとらしいが、本人としては大まじめなスローモーションで動くようになり、会社にメールを打ち、そしておれはiPhoneで近隣の精神科だか心療内科だかを検索し、電話番号を書き留め、電話をかけ始めた。何件かは休診日で、何件かは「予約は二週間先になります」だった。一件だけ「今日の午後可能です」というところがあった。まだ午前だったので、おれは会社に行って以上の経過を報告し、精神科だか心療内科だかに行った。いろいろのことを話して薬を処方された。会社に戻って仕事をした。
医者「本当は休養したほうがいいんだけれども」
わたし「説明した通り、この状況だと仕事休むわけにはいかんのですが」
医者「ですよねー」
(零細企業に「休職」などというものは存在しない。なぜならば、おれがいなければ会社自体が無くなるからだ。「休職」を悩めるものは恵まれている)
 そうやっておれの精神科だか心療内科だか通いは始まった。

プリントアウトしても人は変わらんわ

 おれには軽い期待もあった。おれは変われるのではないか、というものだった。この消極的で怠惰、人見知りで人間不信、コミュニケーション能力の欠如、まあすなわち「就活」とかで若い人求められる人材の正反対の性質が改善されるのではないかという、軽い期待だ。
 しかしまあ、現代医療でそいつは無理だということだ。少なくとも「薬剤で人間の性格は変えられないのだ」ということだった。それははっきりした。
 とはいえ、突発的な激情、激憤、瞋恚は抑えられる。これは収穫だ。また、ある種の抗うつ剤SAS用スリープスプリント着用必須のおれの睡眠をさらに改善させた。睡眠導入剤は睡眠時間管理に大きく寄与している。また、ジョギングの習慣が強迫性障害を加速させていたようだが、これも一切断ち切ることができた。煙草は金銭的な理由でのまなくなっていたが、酒も一切やめてしまった。酒については「ちょっとくらいならいい」と言われており、ここのところあまりの寒さに焼酎など買って飲んでみたが、まったくすぐに寝てしまうというあんばいで、飲んでいて面白くもなんともない。アルコールが臭く感じる。映画や小説、詩の描写に影響されて、煙草を吸いたくなることもあるが、タスポも持ち歩いていないし、吸いたい銘柄も手に入らないのでつかの間我慢すれば霧散する。
 とはいえ、こんなものはプラスではない。断線した部分をひっつけて、辛うじて電気が流れるようになっただけだ。元よりの性質が変わらないのだから、やはり人と同じスタートラインどころか、あまりに100m走で10m、50m後ろから競走させられることに違いはない。そのうえ、足は遅いし、いつまた断線するかわからない。
 この不毛な徒競走、あるいはスタートしてしまったマラソンかわからぬが、どこに向かって走るにしろ、なにかいいことが待っていることなどありえない。死ぬのがゴールというのは全人類に課せられた条件だろうが、いい死に方が待っているという気もしない。そもそも脳味噌に欠陥のある人間、なにかを成しうる才もなければ、幸福を感じる器官も欠いているのだろう。あるいは環境のせいだろうと、不幸の欠陥機械が不幸な環境に陥り、そのフィードバックを受けつづけるという惨めな壁打ちが続くばかりだ。
 とはいえ、強烈に高まっていてほとんど決心までしていた希死念慮というものは、やはり薬物によって抑えられているという実感がある。とはいえ、そのせいかどうか、もうおれは感受性やらそういったもの、あるいはそれを表すことについていくらかあったような手ごたえすらすっかり失ってしまって、まるでおもしろいところのない人間になってしまったような気がしている。そうして、そんな中身のがらんどうのドーピング機械が、とくに現代社会に興味などせず、ずったらずったら冬の街を歩いていて、今年が何年か、今は何月かもすっかりわからない。このような人間の末路はおおよそ決まったようなものだ。ひょっとすると、医者では手に入らぬ薬でもきめれば、もっと世界が明解になり、自分自身を動かす力を得られるかもしれないが、それを買う金も無い。如何ともしがたい。