30歳を過ぎて深夜アニメにはまったおれだが、たまに買うアニメ雑誌といえば『娘Type』くらいであって、たまにはべつの雑誌をと思って手に取った。……というか、伊勢佐木町の有隣堂の前でやってた古本のチャリティワゴンセールでなにか一冊だけあったので買ってみたのだが。昭和55年10月1日発行。
「●期待の特集」は「伝説巨神イデオン」と「ガンダム研究PART3」だ。おれはRX-79年生まれのガンダム世代とか言いつつも、はっきり言ってリアルタイムのガンダムの放送のころは物心がついてないどころじゃない。生まれたてだ。知ったのは再放送とガチャポンとカードダスとゲームだ。『イデオン』は……未見です。富野喜幸総監督のインタビューでは「本誌:イデオンおもしろいですね」「富野:どこが?」とか言ってるけど、まあ見たくなったわ。
ガンダム研究も「PART3」ともなっていれば、銃器から双眼鏡、腕時計、乗り物などの設定といったマニアックな話になっている。が、それ以上に驚きなのは、読者同士によって熱い「ガンダム論」が語られていることだ。前号でガンダム総論を募集したらしいが、174通も来たという。「レポート用紙に書く人や、色インクで書く人がほとんどいなかった」ことに「特に驚かされた」といい、まともな原稿が多いことを喜んでいる(レポート用紙がアウトということは、原稿用紙か?)。
して、その内容を読めば……なんといえばいいのか、おれの少ない知見ではエヴァをめぐる論争を読んでいるような気になるというか、「ガンダムはこのような論争を巻き起こすような作品でもあったのか!」という、一種の驚きがあった。戦争を描くとは? SFとは? まあ、上に書いたような、おれのような世代にとっては。「ガンダム」の世界いうたら、わりと定まった物としてもう「あった」のだから。しかし、SFの定義論争みたいなのはわりと熱いもんだな。あと、読者投稿ページで「グワラン、グワリブはグワジンタイプですか?」との質問もあって、「グワリブなんてあったんだっけ?」とか思ったりした(参考:OWâ)。
それでもって、雑誌もわりと辛口なら(上半期作品総括とかのぶった切り方とかすごい)、読者同士のやりとりというのもわりとヒートアップしている。はっきりいって一冊ちょっと買っただけだからわからんが、前号の○○さん(たぶん実名)に対して、「おれはガンダムを見るために修学旅行を休んだんだ。死ね!」くらいのことを言ったりしてる。いや、そういうお約束的な流れ、なのかどうかわからんが。
それにしても、サークル仲間やビデオの貸し借り仲間の募集とか、実名、実住所があたりまえで、まあ昔はそうだったよな、というような。って、そういう雑誌を読んでいたこともないが、古い雑誌はちょくちょく買ったりするし、昔はプロ野球の選手名鑑にも住所載ってたくらいだし。
しかし、30年前のアニメ雑誌、アニメファンたち、か。おれは1歳くらいでもっぱら……なにをしていたかよくわからんが、ここに熱い論文を送った人たち、「中学、高校生になってアニメを見るのは恥ずかしいのか」、「大人になってアニメを見てはいけないのか」と送っていていた人たち、彼らは今40代から60代くらいか。もちろん、その数は決して多くなかったろうけど、なかにはプロになった人や、作り手から角川書店の社長になった人もいるわけだ。そうやって「子供向き」に閉じ込めてはおかれなかった人らがいたおかげで、まあ今のアニメの市民権的な物があるのかなどと考えると……、ここまでの過程のことも知りたくなるようなならんような。まあ、少なくとも、目下のところのおれの生きるよすがの一つと言えば大げさかもしれないが、まあすげえ楽しませてもらっているのはたしかだし、ここは素直に先人たちと、いまアニメに携わる人たちに感謝の念を、と言わざるをえない。おしまい。