『ククルス・ドアンの島』がなぜ人を惹きつけるのか

 

 

ククルス・ドアンの島」のことを知ったのはいつだろうか。覚えていない。ただ、世にいう「作画崩壊」というような言葉を知る前に見たのが最初だとは思う。ネタ的に語られているのを見たのはいつだろうか。久米田康治あたりがネタにしていたような気もするが、よく覚えていない。

 

いずれにせよ、『機動戦士ガンダム』のなかでも異色の回であるという意識はあった。「作画崩壊」したドアンのザクの顔を認識したりしたのは、それこそインターネットが普及してからのことに違いない。

 

で、「ククルス・ドアン映画化!」である。けっこう驚いた。同時になんらかの悪ふざけの大きめのやつのようにも思えたけど、監督は安彦良和ときたもんである。さらに紹介されていくドアン専用ザクの設定。修理の末に鼻(?)が長くなったという設定まで付与された。すごい。すごいけど、公式でやることなんかなと思わないでもなく。

 

 

ガンプラも人気だったとか。

 

でもって、おれはなんか劇場で見ようかな、見るほどでもないかな、とかちょっとだけ迷って、「まあいいや」ということにした。見に行った可能性がないわけでもなかった。

 

そんでもって、おれはサブスクのあれで配信されているのを観た。それならば観る。正直な感想をまず述べると、長い。いくらなんでも膨らませ過ぎだろうという気がした。半分観て、翌々日また半分観た。そんな感じ。

 

決して悪くはないし、ククルス・ドアン赤い彗星と並び称されるほどになっていてかっこいい。もちろん、モビルスーツは現代風に動く。

 

でも、なんか過剰なんだよな、と思った。なんというのだろうか、30分の「リメイク」くらいでよかったんじゃないかと。ちょっと大きくしすぎて、間延びの感じがするのよ。子供パートの増加と追っ手パートの増加、両方でどうも、というところ。

 

で、とうぜんその後、「原作」の方も観てみたんだ。なにせ、サブスクでそこに「ある」からね。

 

 

そしたらね、なんか最新のアニメを見たあとに40年ものは厳しいかと思ったら、そんなことねえんだな。まあたしかに作画は怪しい感じもするけれど、なんというのか、普通にアニメとして観られるんだ。これはすごいなと思った。そんでもって、やっぱり映画版は盛りすぎ、膨らませすぎだろうと感じずにはおられなかった。というか、30分、オープニング、CMなどを含めるともうちょい短いのか、それでしっかりと語りきっている。ドアンのザクをあれする結末も一緒だ。うーん、あえて映画にまでする必要があったのか。よくわからない。そんな気になってしまった。

 

あと、オープニング観たら、なんか『Gのレコンギスタ』が思い浮かんで、同じ人が監督なんだから似るだろうと思ったけど、ファーストより前の作品でもそうだったかもしれず、まあそこまで詳しくないので。

 

それにしてもあれだな、古谷徹はすごいな。まだ若アムロの声ばりばりに出せるな。いや、そりゃアニメ版のほうが声高いと思うけどさ。そこまで違和感なかった。あとは、中の人が交代したメンバーもあんまり違和感ない。アニメのミライさんの声とかは、なんか懐かしいなとか思ったけど。なんでミライさんだけ。まあいいや。

 

というわけで、これからおれはフラウ・ボゥがストライカーユニット履いてアムロを探しに行って、巨大シールド展開でサザンクロス隊のザク・マシンガンから子どもたちを守る二次創作書くので、それじゃ。いや、嘘です。