NHK「日本人はなにを考えてきたのか 第10回昭和維新の指導者〜北一輝と大川周明〜』を観る


 この番組をNHKオンデマンドでご覧になったわけではなく、そろそろアニメの編成が変わる時期で、Blu-rayレコーダーを整理していて、なんとなく再生ボタンを押したものだ。司会者のアナウンサー。各地を旅してインタビューする田原総一朗、スタジオで解説するのは松本健一
 おれは去年の……いつごろだったか、北一輝大川周明にはまっていた。ただ、おれは飽きやすいところもあるので、ちょっとご無沙汰だった。だから、これを録画したのも「俺得?」と思ったには違いないが、盛は過ぎていたというところだろう。ちなみに、おれが読んだのは渡辺京二の『北一輝』だったりして、その中で松本健一はさんざんディスられてた。まあいいけど。
 ちょっと関係ない話をするけれど、どっかの社長だかなんだかが書いていたこと。ブックマークを探せばあるだろう。まあいい。ある分野について学びたければ、普通薄い本(入門書)から読み始め、やがて専門的な厚い本に行くのではだめだ。薄い本というのはその分野のエッセンスだけを集めたものだから、それを理解するには厚いところからいけ、と。
 その点で、テレビとはどういうメディアだろうか。薄い本か厚い本かでいえば、薄い本に近いものといえるだろう。情報量として書籍にかなわない。ネットなどで取材やインタビューを受けた側の話などもいろいろ読めるようになったが、本当に一部しか使われない。それだけ尺というものの厳しい制限があるということだろう。その上で、あるいはそれゆえに編集を経たものが悪意そのものと受け取られ、ときに炎上したりもするのだろう。
 とはいえ、書籍、あるいは静止画像では伝わらないものが伝わる、そういう側面はたしかにある。たとえば、大川周明の東亜なんたら……通称大川塾の塾生でご存命の方が二人ほど出てきて、一人はその寮歌を歌った。これなんかは、どんな名ルポライターが書いたところで、歌声は聞こえない。そういうところはある。あるいは、まあこれは写真でも再現できるが、北一輝の処女出版作のタイトルのフォントがこんな感じだったのか、とか。
 それが必要か? 大川周明が入院時に走り書きした「わけのわからない言葉」の映像が必要か? というと、おれにはよくわからない。「日本人はなにを考えてきたか」の限られた枠に入れるべきなのか? ……うーん、やっぱりアリかなあ。アリナシでいえばモハメド・アリ。だってまあ、薄い本なり厚い本なりがあるわけだし、と。それで、おれは評伝やら、大川周明の著作やら、ここにもちょっと顔と名前の出てきた宮崎滔天やら磯部浅一の獄中記やら読んでて、まあおれ程度にしては、厚い本から薄い本へ、いな、厚い本からテレビへとたどれて、なにやら勉強になったような気にはなったよ、と。それにまあ、たとえば松本先生がふと言った「イスラーム覇権国家を作らない」とか、いや、どこからどこまでがイスラム国家で、覇権国家とはなんなのかとか、やはり説明は足りないわけだけど、きっかけにはなったりとかさ。
 これが逆だったらどうだったかというと、どうだろうか。北や大川を単なる魔王や須佐之男、もとい右翼と梅毒としか思っていない人が見たらどうだろうか。うーん、わからん。わからんが、いや、ひょっとすると「あれ、見逃してたけど、興味深い人物、思想があるんじゃね?」と思ったかもしれない。少なくとも悪者と病人扱いはしてなかった。薄い本にしたくなるような両者の交遊までは紹介してなかったけれども。
まあ、興味のある人はNHKオンデマンドとかいうので見ればいいと思った。おしまい。

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