セリーヌ『ギニョルズ・バンドII』を読む。そして「セリーヌの本」読破

 わが命のすべてを彼女に!……わが死のすべてを!……彼女の望むすべてをいやそれ以上を!……彼女の膝にキスする……服の布地に!……ちょっと私を押し退ける……ああ! なんという悲しみ!……胸がはり裂ける!……許しを乞う……そうしてまた繰り返す! スカートを上まで捲り上げる! 腿をじかに噛む!……にゃむ! にゃむ! にゃむ! ……彼女をすっかりだって食べちまいたい! 貪り尽くしたい!……なまのまま!……あんまり好きで!……
 彼女はもがく……笑おうとする……けど私が乱暴すぎる。ほんとのとこ幾つなんだろう? 十二か三……ああなんて豚なんだおれは!

 ブヒブヒ。というわけでセリーヌの『ギニョルズ・バンドII』を読み終える。前半は彼女……ヴィルジニーの美しさに狂い、中盤は乱痴気騒ぎ、そして最後には……どうなったんだか……。538ページ読んでそのくらいか? そのくらいだよ。苦行に近いといっていい。おれにしては努力した。なぜってあんた、もうこれで終わり、「セリーヌの本」全巻だっていう、それだけといっていい。そうじゃなかったら途中で放っていたぜ。そのために読む……それでも一応目を通せたってのは、どっかしらやっぱりセリーヌのいいところがあるんだろうが……どっかもう、ずっとバロウズでも読んでるような……なにが幻想だかわかりゃしねえ。まあ、これで一応、本当に一応だが、生涯のうちで、ある作家の全集を読破したっていう、そういうなにかは手に入った。むろん、原文じゃあないし(原文だと反ユダヤのパンフレットが読めないけど)、おれには学がないからセリーヌの時代、セリーヌの真髄なんてもんはわかりゃしねえんだ。だいたい翻訳者がこう言ってるもの。

 イタリア語に、「翻訳は裏切り」という韻を踏んだ格言がある(Tradurre traditore)。異言語のニュアンスの違いを移し取ることは不可能だし、まして文学言語のパラディグムを含めた観念連合などは翻訳によってすべて切り捨てられる(新しい観念連合が生じるということはあるが)。そうして優れた作品ほどこのような多義性が豊かなのである。ただでさえそうなのだから、セリーヌについてはいわずもがな。この翻訳によって伝えられたものはその全容の半ばにも満たないだろう。それでも、意味の取れない日本語を読者に供する勇気がないままに、私はすべてを諦めてなすべきでない意味解釈に終始せざるをえなかった。その結果、セリーヌを読む喜び、意味決定保留のまま不思議な単語や文の綾なす絶妙のリズムの流れに身を委ねる快味は諦めていただくしかない。
「訳者解説」高坂和彦

 ときにフランス語を離れて(いい加減な)他言語も放り込んで、流行歌の一節も放り込んで……こっちはなんだかわかりゃしない。なぜってもとからわかりゃしないような、どうとでも読んでくれっていう……話し言葉の奔流……でもそいつは作者によって何度も書きなおされ、チューンされてる代物で……そいつが翻訳者が無茶だっていう翻訳されてさ……。それなのに「セリーヌの作品」15まで分厚い全集が出ちまうんだし、読む物好きもいる。それでもやっぱり「全容の半ば」から漏れてくるもんがあって、なにかしらあるんだよ、苦行だけど。諦めの読書。ああ、おれはフラ語の活用を覚えるのがいやで大学を辞めたが、セリーヌの言葉がそのままわかると知っていれば……やっぱり辞めてたな。
 まあいい、これでおれのセリーヌ読みはひとまず終わりだ。いや、ひとまずもなにも全部読んじゃったじゃないの。いや、それでも『旅』と『なしくずしの死』は手元に置いておきたいな。いつか金があるときにでも。でも、それよりもっとなんかナイスに、わかりやすく、面白いものを読むべきなんだ。そうじゃなきゃ耐えられないんだ、このいまいましい人生ってやつに……。

人間が暴れるのに何も酔ってる必要なんかない。身体の底に殺戮を宿してんだ! 人間が互いの殲滅に努めながらいまだに生存し続けてんのは奇跡みたいなもんだ。消滅しか願っちゃいないんだ、この底意地悪い生き物は、犯罪の種は! そこら中血の色しか見えないんだ。これ以上言うのは止そう、言えばポエムの終焉だ。

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夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

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なしくずしの死〈上〉 (河出文庫)

なしくずしの死〈上〉 (河出文庫)

なしくずしの死〈下〉 (河出文庫)

なしくずしの死〈下〉 (河出文庫)

……まあ、セリーヌの何読めばいい? といわれりゃこの2作という妥当な線で。