馬のように大きな犬

 高級マンションと貧民街を区切る二車線道路の交差点。犬の散歩をする女とその犬。馬のように大きなその犬。女は上下グレーのくたびれたスウェット、手入れされたふうでもない髪形からなにからかもし出される疲れ。飼い主ではなく犬の散歩の代行。犬の毛並みは美しい。その犬、車道側に出て街路樹の根元のにおいを嗅いだり、座り込もうとしている。女は必死にリードを引っぱるが、犬はいうことをきかない。
 幸いにも赤信号。車はいない。が、一台ママチャリが車道をやってくる。ポロシャツにジャージの中年男性。貧富でいえば貧の人間。停止線のあたりに犬がいるから少し手前で自転車を停める。そして、犬と女を睨みつけながらチリンチリンとベルを鳴らす。チリン、チリン、チリン!
 女はいっそう力を込めて犬を歩道に連れ戻そうとする。だが、犬は踏ん張るそぶりを見せて動こうとしない。動かない。不機嫌なベルは鳴りつづけ、女は無言でリードを引っぱる。犬はなにもかも無視する。
 いよいよ信号が変わる。と、その時になると、犬はすっくと立ち上がり、歩道に戻る。今度は女を引っぱるように歩いて行く。長い脚、美しい毛並み、蹄鉄つきのサラブレッドの足音が聞こえてきそうな歩み。自転車はベルを鳴らすのをやめ、よたよたと交差点を突っ切る。ギシギシと自転車のどこかがきしむ音がする。
 あの場所であの犬よりも高い人間は一人もいなかった。それを見ていたおれも含めて。