死骸にはどこか美しいところがある

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死骸にはどこか美しいところがある。人もどこか美しいところをむき出しにして死ぬべきのように思う。同時に、家族であるとか、企業であるとか、国家、社会、民族、みなどこか美しいところをさらけ出しつつ死ぬのがよいと思う。だれかが指差して、「あの死骸にはどこか美しいところがある」と言われるのがよいと思う。やれ生き残りだ、持続だ、見苦しい。問題はただ死に方なのに。死骸にはどこか美しいところがあるというのに、醜い議論ばかりしていてどうしよう。見苦しさとは無縁の高さで、美しい死骸は終わらない飛翔を続けるんだ。そっちのほうが、ずいぶんよいと思いやしないか?