リチャード・ブローティガン『ホークライン家の怪物』を読む

 グリアとキャメロンにとって、サン・フランシスコからハワイまでの旅は、なんともまあ怖ろしいものだった。アイダホ州で保安官補を撃ったときよりもおっかないくらいだった。その保安官補ときたら、十回も撃ったのに全然死ななかった。最後にはとうとう、グリアが頼むはめになったのだ。
「もう撃つのはいやだから、どうか死んでくれ」すると保安官補のいうことには、「オーケーだ。もう死ぬからさ、撃つのはやめてくれ」
「もう撃たないよ」とキャメロンがいった。
「結構、じゃ、死ぬよ」言葉どおり、かれは死んだ。

 本作の舞台は1900年代初頭(だったかな?)のアメリカ、東オレゴンアメリカ人にしても「東オレゴン?」という場所らしい。グリアとキャメロン、二人のガンマンが科学者の娘の依頼を受け、「ホークライン家の怪物」退治をする……。ゴシック・ホラー? ゴシック・ファンタジー? いや、ゴシック・ウェスタン? こないだ読んだ『ソンブレロ落下す』は「日本小説」とのことだったが、こちらはそういうものだ。そして、これがわりと面白い。普通に面白い。映画化などしてもいいんじゃないかと思う。実際、あとがきに映画化の話は出てくる。実現はしなかったのだろうが。
 普通、という意味ではブローティガンらしさがいくらか死んでいるのかもしれない。しかし、やはりブローティガンらしさがないわけじゃあない。ジャンル小説の型の中にその才能や志向を流し込んでみてできたらこんなのでした、というような感じがする。おれはブローティガンの評伝をまだ読んでないのだけれど、どうも放浪の、あるいは試行錯誤の人だったのだろうと思う。というか、「ほかの時代なら、もっとくつろげるように見え」(『愛のゆくえ』)る男の悲しさのようなものがある。あるいは「怪物」の正体は著者自身じゃないかとすら思える。
 というわけで、もしブローティガンを読んでいない人に勧めるとすれば、3番目くらいにいいんじゃないかと思える『ホークライン家』だった。そろそろ読む作品も残り少なくなってきた。悲しさのようなものがある。

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