ブローティガン『バビロンを夢見て 私立探偵小説1942年』を読む

おれがどうしても一流の私立探偵になれない理由のひとつは、年がら年じゅうバビロンの夢ばかり見ているからではないかな。

 私立探偵もので「バビロン」などというと、隠喩としてのバビロン、巨大都市やなにかを思い浮かべるかもしれない。しかし、本書の私立探偵が夢見るバビロンは(曖昧さ回避)でいうところの「メソポタミア地方の古代都市」に安い探偵小説やなにかをふりかけたものであって、夢見るのも本当に白昼夢の世界に入り込むことにほかならない。スペイン内戦に参加した結果できた、しょうもない傷がもとで徴兵もされない、借金だらけのだめ男。試験中にバビロンを夢見てしまったせいで警察官にもなれず、私立探偵を自称するだめ男。これはそんな男の話だ。その男の名前はC・カードという。訳者あとがきでハメットのサム・スペイドの名を連想させるというが、いまいちぴんとこない。とか言ってたら、英語版のWikipedia先生にこうある。

The central character, C. Card, is no Sam Spade, but actually does do detective work of a sort, when he's not off dreaming of Babylon.

 "is no Sam Spade"。英語がよくわかる人にはピンとくるのかもしれないが、おれにはさっぱりだ。
 サム・スペイドはともかくとして、おれにとってこのダメ探偵を見ていて連想するのは、チャールズ・ブコウスキーの『パルプ』の主人公ニック・ビレーン、そして、我が最愛の映画『ビッグ・リボウスキ』のデュード。ダメなアメリカ人の系譜のようなものがあるかもしれない。ただ、C・カードは酒や博打ではなく「バビロン」に溺れている。そういう意味では、ダメさに違いがあるといえばある。
 『バビロン』は1977年に書かれた。『パルプ』は1991年に書かれた。『ビッグ・リボウスキ』は1998年に公開された。
 ブローティガンの小説に出てくるものは、みなファンタジーを生きているなどとも言われるようだ。そういう意味では、この探偵もファンタジーを生きている。しかし、バビロンを夢見るようになった原因も語られていて(脳天に野球のボールを食らう)、なんというかはっきりしているのだ。バビロンをバビロンとはっきりと理解している。

 おれはハンバーガーを買うための二十五セントをかき集めながら暮らす二十世紀に住むより、古代のバビロンにいるほうがずっといいんだ。

 とはいえ、バビロン以外ではない現実が現実的かというと、そんなことはない。もちろん、リアルな貧しさ(やけに歩く)や、本人の経歴に起因するであろう父親の不在だとか、現実に根ざすものはある。あるけれども、やっぱりわけのわからない不条理さが取り巻いている。

 家賃を払うってのが、一種の死なんだから、なんでわざわざほんとに死ぬことがあるか?

 謎があって、答えはない。夢見るのはバビロンのこと。探偵小説という枠にあえて入り込んだブローティガン、出てきたのはわりあい奇妙でいて、ブローティガン的には納得の範囲内。そして同じくどこか滑ってるユーモア。ただし全体を覆う暗いなにか。そんな印象。そういう意味では『ホークライン家』と同じなのだろう。まあ、同じような意図でそういう書かれ方をしているのだろうし、なにしろ書いてるやつが一緒なんだから。
 というわけで、まあそれなりの『バビロン』。そろそろまた詩集にも手を出そうかしらん、といったところ。では。

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