- 作者: 小川国夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/03/10
- メディア: 文庫
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栃木県の牧場から、益三郎は三頭の四歳馬を連れて来た。二頭は沼津と江尻で売って、家まで曵いて来たのは一頭だった。その日は夕方まで家の大戸につないであった。十吉は軒の土止めの石に腰掛けて、半日近く眺めていた。細身の鹿毛だったが、脚が太く、蹄は並みはずれて大きかった。十吉が龍の鬚の実を摘んで、胸へぶつけると、筋肉を顫わせて躍ねのけた。実が触れる前に、筋肉は反応するようだった。一瞬現れる充実した皺が、十吉の気に入っていた。彼はそれを、なん度見ても見倦きなかった。
という冒頭から始まる小説である。おれは正式にも俗にも文学というものの教えを受けたことはないが、よみながら「これが純文学というものだろうか」という思いを抱いた。「試みの岸」、「黒馬に新しい日を」、「静南村」の三部からなる『試みの岸』。これも渡辺京二の評論を読んで手を出してみたのだが、なんともそういう感想だった。風景描写はガリガリと、なおかつ精緻に削られ、明暗くっきりと彩られるようであり、人間の描写も些細なところに意図が込められているようで、なかなかに読んでいて体力がいる。まあ、おれの読書力の弱さもあるだろう。とはいえ、難解すぎて読めません、ということもなかった。それなりに面白いと思った。だから最後まで読んだ。本を読まないという読者の自由もある。
明るいか暗いかといえば暗い話だ。難破船を買ったら金目のものが盗まれて、その話をつけに行った先で人殺しをしてしまうとか、少年が崖から落ちて馬になるとか、自殺の方へ、自殺の方へ吸い寄せられる少女の話だとかだ。
――望みなく働くってことは、死ぬより辛いことだ。……望みなんか持つから、こういうことになる。そんなものをもともと持たなければ、世間も平に見えるし、死だってもっと無表情に見える、と彼には思えた。
「試みの岸」
……さっき闇の中で、あいつの眼を見たろうか、と余一は考えた。彼は見なかった。しかし、想像で見たのだ。大きな眼は苦しんでいなかった。元気な時にはとび出して、荒々しく、小憎らしいこともある馬の眼は、すっかり運命を受け容れ、羊羹色に落ち着いていた。枯れた玉蜀黍の毛みたいな鬣が瞼をなぶるままにさせていた。その様子は、死ぬ方法の手本のようだった。
「黒馬に新しい日を」
あの人は、たとえ明るすぎる海辺にいたって、暗さをたたえていた。中へは光が入らない部屋みたいに、自分を閉じていたけど、あの時は、海の粗い空気があの人の笑い声を誘い出したみたいだった。いつも十吉さんは周囲を翳らせて、身のまわりを自分の領地みたいにしてしまう。でも、あの時には、影が蒸発してしまって、あの人は外の世界と一つになっていた。
「静南村」
おれが小川国夫を読むのは初めてだ。でも、名前には記憶があった。父親の本棚に『アポロンの島』があったような気がする。あるいは、『試みの岸』も並んでいたかもしれない。それがなんだというのだろうか。それだけのことだった。ただ、おれはなぜか『アポロンの島』というタイトルが気に入らず、手に取らなかった。そんなことも覚えている。
『アポロンの島』も重いのだろうか。明るく、そしてその分、影も濃いのだろうか。『試みの岸』にはそんな明暗があるような気もする。人間の、庶民の生活があって、大井川が流れていて、海と山がある。どこか恐ろしい。ひどく重い。おれは旅で訪れた大井川のエメラルドを思い出す。茶畑を思い出す。そのよすががなければ、読み通す気になったかどうかもわからない。力強いが繊細、骨太の膂力を感じる。だから逆に、女性の視点で書かれた「静南村」がちょっとおかしくもある。そういうところもある。この先、小川国夫を読むかどうかは未知数である。おしまい。