夢野久作『近世快人伝』を読む。そして、読め。

近世快人伝 夢野久作著作集〈5〉

近世快人伝 夢野久作著作集〈5〉

 渡辺京二が次のように書いていたので興味をもった。

 久作のナショナリスティックな一面に注目するのはいいが、それは同時に、彼がそういう宿命に強いられた国士的自覚を、自分のシュールリアリスティックな、つまりはモダニスティックな創作志向と、どのように折り合わせたかということへの注目でなければなるまい。久作という特異な芸術家は、そういう矛盾した綜合のなかからしか生まれえなかった。『近世快人伝』には、国士的使命感を狂的ないし魔的な衝迫、つまりはシュールリアリスティックな情念に転換しようとする彼の苦肉の策が、露わに読みとれると思う。
夢野久作の出自」

 おれにはその「苦肉の策」が読みとれただろうか? この浅学菲才、読みとれるはずないじゃないですか。でも、むちゃくちゃ面白いんだよ、『近世快人伝』。どこからどこまでが法螺やらわからぬ奇人怪人たちのエピソード。「青空文庫でも読めるじゃん」って気づいてからは、会社の昼休みにブラウザで読んだりもした。というか、ほぼ電子で読んだ。電子で読んでも色褪せない。
 さて、怪人(面倒だし、「快人」としたのは出版社が玄洋社を恐れてのことだったらしいので)の面々、頭山満杉山茂丸、奈良原到、篠崎仁三郎。
 頭山満といえば、著者が最初に言うとおり。

ナアーンダ。奇人快人というから、どんな珍物が出て来るかと思ったら頭山先生が出て来た。第一あんまり有名過ぎるじゃないか。あんなのを奇人快人の店に並べる手はない。明治史の裡面に蟠踞する浪人界の巨頭じゃないか。維新後の政界の力石じゃないか。歴代内閣の総理大臣で、この先生にジロリと睨にらまれて縮み上らなかった者は一人も居ない偉人じゃないか……とか何とか文句を云う者が大多数であろう。

 まったくもって、この頭山先生のサナダムシのエピソードはひどい。まあともかくとして、頭山先生から始まり、続いて杉山茂丸。やはり政界のフィクサー、怪人の一種である。

頭山満曰く、
「杉山みたような頭の人間が又と二人居るものでない。彼奴は玄洋社と別行動を執って来た人間じゃが、この間久し振りに合うた時には俺の事を頭山先生と云いおった。ところがその次に会うた時は『頭山さん』とさん付けにして一段格を落しおったから、感心して見ていると、三度目に会うた時は頭山君と云うて又一段調子を下げおった。今に俺を呼び棄ての小僧扱いにしおるじゃろうと思うて楽しみにして待っとる」
 これは杉山法螺丸の一番痛いところに軽く触れた言葉で、実に評し得て妙と云うよりほかはない。

 この変幻自在、法螺丸という別名を持つ男、やはり只者ではない。しかし、頭山満に比べると、やや権力や徒党というものから距離を取っているようにも読める。そしてもちろん、この通りである。

「俺の伜は実に呆れた奴だ。小説を出版してくれと云うから読んでやると、最初の一二行読むうちに、何の事やらわからなくなる。屁のような事ばかりを一生懸命に書き立てているのでウンザリしてしまう。たまたま俺にわかりそうな処を読んでみるとツイこの間、ヒドク叱り付けてやった俺の云い草をチャント記憶ていやがって、そっくりその通りを小説の中味に採用していやがるのには呆れ返った。娘を売って喰う親は居るが、親を売って喰う伜が居るもんじゃない。一生涯あの伜だけは叱らない事にきめた」
 因ちなみに、その伜の筆名ペンネームは夢野久作という。

 三番目の奈良原到となると、Wikipediaでも「名前はあれど項目はなし」クラスの知名度となる。世間的な知名度、影響度となると、頭山>杉山>奈良原となる。が、分量も勢いも奈良原に至ってさらに増してくるようである。反比例している。

奈良原到翁はその極端な清廉潔白と、過激に近い直情径行が世に容れられず、明治以後の現金主義な社会の生存競争場裡に忘却されて、窮死した志士である。

 はっきりと明記してはいないが、先の反比例の思い入れがここにある。

 実際……筆者は物心付いてから今日まで、これほどの怖い、物すごい風采をした人物に出会った事がない。同時に又、如何なる意味に於ても、これ程に時代離れのした性格に接した事は、未だ曾つて一度もないのである。
 そうだ。奈良原翁は時代を間違えて生れた英傑の一人なのだ。翁にしてもし、元亀天正の昔に生を稟けていたならば、たしかに天下を聳動していたであろう。如何なる権威にも屈せず、如何なる勢力をも眼中に措かない英傑児の名を、青史に垂れていたであろう。
 こうした事実は、奈良原翁と対等に膝を交えて談笑し、且つ、交際し得た人物が、前記頭山、杉山両氏のほかには、あまり居なかった。それ以外に奈良原翁の人格を云為するものは皆、痩犬の遠吠えに過ぎなかった事実を見ても、容易に想像出来るであろう。

 とまで書く。なにやらこの人物を書き残しておかねばという使命感すら感じられる。高場乱門下のことから叛乱の歴史を経て晩年に至るまでみっちりと描かれている。とはいえ、豪傑感あふれる軽妙な語りがそこにはある。板垣退助が話題になっている頃、頭山満と一緒に会いに行った(国のためになりそうなら加勢しよう、そうでなければ叩き潰そう)ところなど面白い。

二人とも或る意味での無学文盲で、日本の地理なぞ無論、知らない。四国がドッチの方角に在るかハッキリ知らないまんまに、それでも人に頭を下げて尋ねる事が二人とも嫌いなまんまに不思議と四国に渡って来たような事だったので、途中で無茶苦茶に道に迷ったのは当然の結果であった。
「オイオイ百姓。高知という処はドッチの方角に当るのか」
「コッチの方角やなモシ」
「ウン。そうか」
 と云うなりグングンその方角に行く。野でも山でも構わない式だからたまらない。玄洋社代表は迷わなくても道の方が迷ってしまう。

 この軽妙さ。さらには、次のようなキリスト教論? なんかも痛快である。

「そうとも……日本の基督教は皆間違うとる。どんな宗教でも日本の国体に捲込まれると去勢されるらしい。愛とか何とか云うて睾丸(きんたま)の無いような奴が大勢寄集まって、涙をボロボロこぼしおるが、本家の耶蘇はチャンと睾丸を持っておった。猶太でも羅馬でも屁とも思わぬ爆弾演説を平気で遣りつづけて来たのじゃから恐らく世界一、喧嘩腰の強い男じゃろう。日本の耶蘇教信者は殴られても泣笑いをしてペコペコしている。まるで宿引きか男めかけのような奴ばっかりじゃ。耶蘇教は日本まで渡って来るうちに印度洋かどこかで睾丸を落いて来たらしいな」
「アハハハハ。基督の十字架像に大きな睾丸を書添えておく必要がありますな」
「その通りじゃ。元来、西洋人が日本へ耶蘇教を持込んだのは日本人を去勢する目的じゃった。それじゃけに本家本元の耶蘇からして去勢して来たものじゃ。徳川初期の耶蘇教禁止令は、日本人の睾丸、保存令じゃという事を忘れちゃイカン」
 筆者はイヨイヨ驚いた。下等列車の中で殺人英傑、奈良原到翁から基督教と睾丸の講釈を聞くという事は、一生の思い出と気が付いたのでスッカリ眼が冴えてしまった。

 アハハハハ、まるで鈴木正三が公案禅を批判がするがごとき切りっぷりじゃないの。
 と、引用しだすときりがないので、最後の人物に移ろう。篠崎仁三郎。

ここに紹介する博多児の標本、篠崎仁三郎君は、博多大浜の魚市場でも随一の大株、湊屋の大将である。

 頭山満から始まった怪人伝は、最後に魚市場の大将に至る。そして、反比例は生きていて、世の権力や金銭から一番程遠い町人に、一番のスポットが当たっているといっていいかもしれない。あるいは、彼のような市井の人物こそが「西洋文化崇拝の、唯物功利主義の、義理も、人情も、血も、涙も、良心も無い」社会になっていく日本へのアンチテーゼとしてふさわしいのかもしれない。
 そういうわけで、もう篠崎仁三郎までくると、実在した人物かどうか確かめようがないくらいのことになる。そしてそのエピソードの面白いことときたらない。旅の道中、死にそうな仲間の肝の手付金で酒を飲む話やらなんやら、もうむちゃくちゃである。読め、としか言いようがない。
 ……と、『ドグラ・マグラ』といくらかの短編しか読んだことのなかった夢野久作、あらためて「すげえなあ」と思い知らされた。まだまだ読む作品はあろう。そしてまた、『ドグラ・マグラ』しか読んでない人がいたら、『近世快人伝』をおすすめする次第である。以上。

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)