すべての就活生に告ぐ。できるだけ、できるだけ大きな企業に就職しなさい。国策企業に就職しなさい。あるいはお役人さまにおなりなさい。それ以外のことはいっさい考えるのをおよしなさい。ともかく、大企業の社員になるか、役人になるか、そのどちらか以外のことはいっさい考えるのはおよしなさい。中小零細企業なんていうものはろくなものではありません。たとえ企業というものが沈むとしても、大きな船と小さな船では沈むまでの猶予が違います。できることも違います。救命ボートのあるなしも違います。できるだけ大きな企業に就職しなさい。それ以外のことは考える必要ありません。起業なんてもってのほかで、わたしは身内にそれで廃人になった人間を知っています。若いころも、ちょっと年を食ってからでも、失敗したらすべて終わりです。ひどく惨めな思いしかしないでしょう。悲惨と悲痛の果てに苦しみと後悔を抱えながら死んでいくのです。だから、大企業の社員か、役人になりなさい。たとえ病に倒れても、休職というものが存在する規模の世界の住人におなりなさい。そのためには人を殺めてもかまわないくらいのことなのです。私は極端なことを言っているわけではありません。老婆心から言っているのです。この社会には大企業の社員か役人以外に存在する意義など見つかりはしないのです。それはもちろん、あなたがなにか金銭に変換できる分野において日本代表クラスであるとか、親の金であと二回は人生を送ることができるというのならば話は別です。でも、もしそうでないのであれば、大きな起業に入りなさい。あるいは役人におなりなさい。それいがいに幸福というものはありえませんし、そうでなくては小さな幸福どころか地獄が待っていることをゆめゆめわすれないようにしてください。「おれは大企業の人間でもないし、役人でもないけど、そこそこ楽しく生きているよ」などという人間のいうことを信じてはいけません。生存バイアスというものにほかならないからです。大企業の社員や役人になれなかった大多数の人間は、悲痛の声をあげる権利もないままに、ただひたすらに死んでいくだけなのです。死んでいるだけなのです。結婚したり、家族をつくったり、老後の計画を立てたりできるのは、大企業の社員か役人だけができることなのです。あるいは、それを拒否して自分一人の生き方を模索するのも大企業の社員か役人、あるいは特別な才能を持った人間か親が金持ちであったり、株で大儲けした人間しかできないことなのです。それ以外の人間に選択の余地というものはそもそも存在していないのです。虫けらのようにあしらわれながら、一応は人間なので虫けら以上の自意識に苛まれて、精神を病み、身体を病み、死んでいくばかりなのです。だから、大企業の社員か役人におなりなさい。なれないというのならば、苦しみは短い方がいいかもしれません。貧乏や馬鹿に生まれてしまった人間は、それ自体が罪で、それ相応の罰を受けた挙げ句、惨めに死ぬしかないのです。なるようになる、なんてことはありません。信賞必罰、因果応報、それがこの世というものなのです。私は親切心、老婆心から言っています。できるだけ、できるだけ大きな企業に。あるいは役人に。それ以外は死んだほうがましな人生しか用意されていません。大卒というエリートの切り札に新卒という武器を駆使して、ともかく就職に成功しなさい。それ以外にこの世の安楽は存在しませんし、それよりちょっと下なんていうものはなく、あとは一面の地獄しかありません。人間存在のすべてを賭けて、就職活動にお望みなさい。そこで成功をつかむ以外に、平穏な人生、楽しみのある人生を送ることは不可能です。そのことをゆめゆめお忘れなきよう、心からご無事をお祈りしております。
……と書いたわたしは三流高卒で給料の出ない零細企業勤めの敗残者、双極性障害を抱え、向精神薬と抗不安剤と希死念慮を手放せない人生の落伍者、失敗者であります。つまりはもう、頭の線がぷっつりと切れた異常者にほかなりません。え、だったら上に書いたこともてんででたらめで、書いてあることは大嘘だってことにならないかって? クレタ人もそう言ってると? まあ、そう思いたいのならばそう思いなさい。ただ、人生に失敗した人間からは、世界はこのように見えるのですから……。